ネコはミカンを片手に夜明けを待つ

日々の中で出会った映画・本・お店、演劇や物などを総合的に紹介する雑記ブログです。

『Last Moment 〜福岡で最後に贈る、ありがとう』感想

2020年から続くコロナ禍もようやく終わりが見えてきた。

実際のところ、これで終わりのような空気が漂っていることに疑問を感じる点もあるがライブでの声出しが解禁されるなど、比較的コロナ以前の日常が戻りつつある。

 

舞台『Last Moment 〜福岡で最後に贈る、ありがとう』はコロナ禍の中で必死に作品を完成させようとする若者たちを描いた作品だ。

演劇という形をしているものの、実際は出演者たちがこの作品を完成させるまでに遭遇したトラブルなどを下地にしており、ある部分ではノンフィクションの一面も持つ。

 

本作で主演を務めるだけでなく、演出も手掛けるのは弱冠21歳の宮﨑美光。

木村拓哉主演の『教場2』などにも出演し、福岡でもさまざまな舞台で活動している。

そんな彼が代表となり多数の俳優たちをまとめ上げ完成した本作は、荒削りながらも若い情熱が溢れる作品であった。

あらすじ

一世を風靡した、若手演出家が地元に凱旋し、地域の為の恩返し公演をすることになる。小屋入りの当日、誰よりも早く来た主人公だったが、その元にスキャンダルによる出演者辞退の連絡や、チーム内でのコロナクラスター等の急報が舞い込み、あわや上演中止の危機に陥る。主人公には、余命宣告を受けた母がおり、病院のベッドで寝たきりとなっている母の為にも、なんとしても地元での上演を果たしたい主人公は、地元にいる幼馴染みや舞台を見に来た役者を巻き込んで、舞台を作り上げる事を決意する・・・

引用: 『Last Moment』フライヤー

本作を一言でいうなら「一粒で二度美味しい」という表現がぴったりくる。

上演の途中で休憩時間があるのだが、それをはさんで前半と後半で全く違うテイストの物語が展開されるのだ。

 

前半は主人公・真狩駿がさまざまなトラブルに見舞われる様子が描かれる。

故郷での凱旋公演が危ぶまれる中、偶然再会したかっての同級生で同じ演劇部だった向井日向に作品への出演を頼む駿。

自身のミスが原因で演劇へのトラウマを抱えていた日向だったが、駿の熱意を受け作品への参加を決意する。

そして日向の他にも、俳優への夢を諦めきれない劇場のスタッフなども巻き込みながら駿は作品を作り上げようと奮闘する。

 

作品に出てくれる人がたまたま近くに沢山いたという展開はやや強引に感じられたが、逆にいうとテンポよく鑑賞することができた。

駆け足気味の部分はあるものの、エンターテインメントとして始まりから終わりまでひたすら前向きに進んでいく展開は爽快感を感じられて好印象だった。

 

本作は夢に挫折した人々が、駿の舞台を通して自分の夢を叶えていく物語である。

そして、その夢の挫折こそが後半の鍵となる。

 

後半では紆余曲折の末に完成した作品が上演されるという形で、前半とは異なるテンションの物語が展開された。

陸上競技に打ち込む主人公たちの姿を描く青春ストーリーなのだが、ここでは俳優たちの文字通り体を張った走る演技が展開される。

 

正直なところ後半が始まって最初の頃は前半とのギャップに驚いた。

しかしながら、ある意味では振り切った作風の変化に心地よさを感じたのも事実だ。

 

夢に挫折した人々の再生を走ることを通して描く。

 

そうすることで登場人物たちがそれぞれの自分の気持に向き合う様子を、ユーモアも交えながら鑑賞することができた。

 

全体を通してみれば繊細な心理描写が少なく、演劇にそうした部分を求める人にとっては物足りなく感じるかもしれない。

しかしながら、どんなことにも始まりが存在する。

最初から非の打ち所のない作品を作ることなど誰にもできない。

 

それよりもまず単純に、自分の気持としては作品を0から作った若者たちにエールを送りたかった。

何かを考え込むよりも実際に動いてみること、感じてみること。

そうすることで生まれてくるものを体感してみること。

本作からは年齢を重ねるたびに失われてきた、そうした新鮮な感覚を思い出すことができた。

 

今後若い俳優たちがどんなブラッシュアップされた作品を見せてくれるのか。

そのことに期待しながら次回作を待ちたい。

 

 

 

それでも彼女の未来を願いたいと思った

ちょうど去年の今頃はメイドカフェで働く推しの卒業が発表された頃で、深い悲しみの中にいた。

過ぎてみればあっという間の一年だったけど、この時間は自分にとっては何だったのだろう?

余生・・・・・・ という言葉を軽々しく使っていいものかわからないけれど、どこかそんな気持ちで、推しの卒業後に出会った子たちに接してきた気がする。

 

縁というものが人生にはある。

推しがいた時代に自分が初めて店を訪れたことが縁ならば、余生を送るような気持ちの時に何人かの子たちに出会ったのも縁だったのだろう。

 

その子たちに何かができたとは強くは思えない。

 

もっとこんなことをしてあげたかったとか、こういう話をしたかったとかそういうことの方がたくさん思い浮かぶ。

メイドは近い距離にいる人たちではないから、できることといってもさほど多くはない。

気がつくとルールを守って遊ぶために、自分とメイドとの間には一枚の壁があると考えて接している自分がいる。

 

そのことが以前のような熱を心の中から奪い去ったのだとするなら、それもまた仕方ないことなのかもしれない。

時間の流れとともに環境も変わったと思っていた。でも変わったのはそれだけではない。

自分自身も、それと気が付かない間に少しずつ変わっていた。

 

そんな変わっていく時期に出会ったメイドがまた一人卒業する。

誰にでも臆することなく話しかける明るい子だった。少なくとも自分にはそう見えた。

ダンスが好きで、この店で出会ったメイド仲間のことが好きな子。

他の店で働く子からも愛された子だった。

 

たくさん会えたわけではないけれど、それでもいなくなってしまうことはやはり寂しい。

永遠に会えるなどとは決して思ってはいないけれど、これから元気でいてくれるだろうかとか、幸せになって欲しいとか考えている。

 

そんなに遠くない昔、まだ推しがいた頃の自分は良く言えば素直、悪く言えば深く考えず色々なことを話していたように思う。

そんな自分の姿がどう映っていたかは、その頃を知る子たちの多くが卒業してしまった今となってはあまりわからない。

 

わかるのは、今の自分は昔よりも壁を意識している感覚があるということ。

熱い時代が終わった今、見守り役に徹していけたらいいとぼんやりと考えている自分がいること。

 

きっとこんなことは、普通なら考えなくてもいいことなのだろう。

メイドカフェは行きたい時に行ってただ楽しく遊ぶ場所。

それが多分正解なんだと思う。

 

それでも、単純にそうとは割り切れない自分がいるのも確かだ。その理由はきっと、この場所があることが日常の一部になっているから。

大切にしていくためにたどり着いた自分なりの心の形。それが今の状態。

その形が正解か不正解なのかはわからない。

 

だけどいざ卒業して会えなくなると思うと、やはり以前のように少し踏み込んで色々な話をして交流を深めたかったとも思う。

小さい頃はどんな子どもだったかとか、最初に観た映画や読んだ本の話など話したいことはたくさんあったはずだ。

以前ならできていたことができなくなったのは、余生という殻を自分で作ってそこに閉じこもっているからか・・・・・・

 

本当はもっともっと話がしたかった。SNSに投稿していた動いている姿もたくさん見たかった。

そのことを言葉で伝えることもできたはずなのに、それをすることもできなかった。

 

だけどマイナスなことばかりではない。彼女と出会い、残ったものもある。

それは彼女がこの場所でかけがえのない出会いに恵まれたこと。

それを見ていて嬉しいと思った自分の気持。

 

そういうものが残ったことで、これまで見送ってきたメイドたちが守って繋いできたものがここに生きていると感じることができた。

そう思うことで、例えここにはいなくても推しと自分との間に今でも確かなつながりがあるような、そんな気がするのだ。

 

これから彼女が進む先に何が待っているのかはわからない。

だけど願わくば、この場所であったような素敵な出会いに恵まれた人生になることを願っている。

何もしてあげられなかったけれど、素敵な未来を掴んでくれることを願いたいと思った。

 

そしてもう一つだけ、こうだったらいいと思うことがある。

自分との出会いが彼女の中で、想い出のひとかけらにでもなっているのならそれに勝る喜びはない。

 

この場所でのメイド生活お疲れ様でした。

新しい世界の扉を開けるために、そこで楽しく踊るように生きていってくれることを願って・・・・・・ 行ってらっしゃいませ。



 

 

 

舞台『Thank U Next』感想 ~いわない優しさ、いう優しさを描いた超傑作~

※この記事は作品のネタバレを含みます。

最近はほぼメイドカフェのメイドの想い出と舞台観劇の感想で占められるようになったこのブログ。

とはいっても実際のところは観劇した舞台の数はさほどでもなく、まして福岡以外の演劇を観たことがないので作品を適切に捉えられる目があるかと聞かれたら自信はない。

 

しかし!

 

そんな浅い観劇歴の中で、というより人生で観てきた『演劇』と呼ばれるジャンルの中で「これがナンバー1だ!」と感じる作品に出会った。

それが今回紹介する『Thank U Next』である。

 

最初にはっきりと自分の意見を述べるが、本作は『傑作』ではない。

それを越えた『超傑作』である。

今回だけで終わるのは勿体ない。これからも何度も上演して欲しい。

これまで観てきた作品の中で、ここまで自分に刺さる作品も初めてだった。

 

あらすじ

三宅陽太は売り出し中の歌手。

バックダンサーのメンバーやマネージャーの常田らと共に全国ツアーも決まり順風満帆な音楽人生を歩んでいるが、心に大きな悩みを抱えている。

ある日陽太は、女子高生の大嶋紡(つむぐ)に出会う。彼女は同性愛者であることを理由にクラスメイトの男子からいじめを受けていた。

陽太たちとの交流を通して次第に歌の魅力や自分を表現することに目覚めてい紡。

一方で陽太もまた、紡との交流の中で隠していた自分の悩みに向き合っていく。

 

先に本作を『超傑作』と書いたが、まず私が思うクオリティの高い作品とはどういうものかを整理したい。

・ストーリーに整合性があり、それが『誰』の物語なのかはっきりしている

・わかりやすい、わかりにくいは別として張るべき伏線はきちんと張る

・演出や台詞に無駄がなく、意味不明に感じる台詞や場面が極力ない

・コメディ要素がある場合は、作品の世界観を壊さない程度に入れてある

大体このような観点から私は演劇や映画、ドラマや漫画、小説などを評価している。

断わっておくが突っ込みどころ満載のB級映画やシュールなギャグ漫画も私は好きだし、エンタメ作品の全てがこうした観点で評価できると思ってはいない。

 

あくまで肩の力を抜いた自然体の状態で作品を観た時に、特に重点を置いているという部分だ。

『Thank U Next』はその全てにおいて高いクオリティを誇っていた。

 

上演会場は福岡市にあるライブハウス『ゲイツ7』

まるでサンドイッチのように客席を挟む形でライブステージとバーカウンターがあり、その両方を使って俳優たちが演技を行っていた。

いわゆる一般的なステージに向かい合って観劇する作品しか知らない自分にとって、会場の形を利用した上演形態はとても新鮮だった。

 

さらに物語上の主な舞台は文字通りこのライブハウスの中であり、外を表現する場合はステージの背景に外の景色を映す形で表現されている。

こうした演出により登場人物がどこにいるのかわかりやすい、しかも観客がいるこの場所が今まさに舞台という初めての作風に衝撃を受けた。

 

物語は陽太のライブシーンから始まる。

文字通りライブハウスの中で歌っている場面なのだが、観客に手拍子を求める演出がありこれは上手いと思った。

一緒になって手拍子をしたのだが、その時点でとても楽しい気持ちになった。

「この作品はこれまで観た作品と何かが違う」

直感的にそう感じたのを覚えている。

 

本作の核となるのは交流を通して変化していく陽太と紡の心情だ。その交流が実に心地いい。

紡は同性愛者であることを自覚しているが、家族である父親と妹にはその事実といじめを受けていることを秘密にしている。

 

そして陽太も何かしらの秘密を抱えている。

秘密を抱えた似た者同士であるからこそ、出会って間もないにも関わず理解し合っていく過程に無理がない。

 

他にも本作は状況が台詞の中で極めて自然に説明されることも好印象だった。

陽太と紡をはじめ、陽太のマネージャーである常田やバックダンサーのメンバー、紡の家族など本作にはさまざまな人物が登場する。

紡の母は故人であり父と妹と暮らしていることを陽太に語るのだが、これが本当に自然に会話の中で説明されるので違和感がない。

全編を通して説明のための説明台詞がなく、あくまで必要だから交わされる会話の中に説明が入っている。

これにより作品のテンポが崩れることなく、わかりやすい形で登場人物たちの関係性を把握することができた。

 

登場人物たちもそれぞれ魅力的であり、俳優陣の演技力も高い。

本作は2チーム制で公演されており、私が鑑賞したのはBチーム。

陽太役として両チームで出演するの東条柳と紡役の心乃音はともにアーティスト活動も行っており、その歌唱力はライブシーンで遺憾なく発揮されていた。

本作では『歌』が物語の中で大きな意味を持つが、それを表現するにふさわしいキャスティングだ。

 

それ以外の人物も人間味を感じて好感が持てた。

そしてこうした人間味のある魅力的な登場人物たちだからこそ、ラストに至るまでのそれぞれの苦悩に胸が打たれる。

 

陽太の抱える秘密とは、売れるために常田の指示で変えざるを得なかった音楽性を昔の形に戻したいということだった。

それが判明した時の私の心情は正直「えっ?それだけ?」といったもの。

物語も中盤に差し掛かった頃なのだが、さんざん引っ張ったにしては物語を引っ張るにしては弱いと感じた。

 

しかしそれは大きなミスリードだった。

 

全国ツアーのスタートが迫る中、自分の本心に向き合った陽太は紡に動画でメッセージを残そうとする。

しかしそれを終えた時、陽太は倒れ帰らぬ人となってしまう。

陽太が抱えていた真の秘密とは病気に侵されていたということだった。

 

これにはやられたと思った。陽太の悩みが弱いと感じたことも実は伏線だったのだ。

これこそ脚本のマジックである。

作中の状況の中では登場人物たちが悲しみに暮れていたが、この二重の秘密を仕掛けた物語構造は見事としかいいようがなかった。

 

無論それだけが本作の魅力ではない。

陽太の死をきっかけにして、登場人物たちはそれぞれこの現実に向かい合っていく。

陽太に病気のことを知らされなかったことで自分たちの存在に苦悩するバックダンサーや常田たち。

実は陽太の古くからの友人であり、誰よりも彼を思っていたバーのマスターである桐谷の心情。

そして陽太がいない喪失感を誰よりも感じていた紡。

ここまで丁寧に描かれたきたそれぞれの物語があるからこそ、現実を受け入れ進んで行こうとする彼らの姿に感動した。

 

唐突な展開などはない。

丁寧に積み上げられた人間描写こそ本作の最大の魅力である。

 

陽太の死を受け入れた紡は家族に自分の真実を伝え、彼との交流の中で得た歌手になる夢を実現するためにライブハウスで歌う決意をする。

物語中盤に陽太が桐谷に心情を打ち明ける場面がある。

かっては一緒に音楽活動をしていたが、桐谷は陽太に音楽の夢を託しその道を退いていた。

そして陽太も、いつか誰かに音楽の夢を託す日が来るかもしれないと語る。

 

これもまた伏線で、陽太の言葉は紡が音楽の道に進むことで彼の意志は今後も生き続けるのだ。

 

悩みを抱えた人間同士の交流による心情の変化。悲しみを経てそれが希望へと変わっていく展開。

積み上げられたそれぞれの人物の物語が紡の成長につながる素晴らしい物語。

それが『Thank U Next』

 

死が描かれる本作ではあるが、実はコミカルなシーンも用意されている。

紡の父である孝昭は、娘たちにいい恰好を見せようと対外的には強面の人物を演じようとしている。しかしその実態は娘に対しては物凄く甘い父親なのだ。

それを突っ込まれるシーンは爆笑なのだが、同時にとても高度な演出だと感じた。

このコミカルさも孝昭のキャラクターを観客に表現するために用意されたもので、あくまで作品の世界観を壊さない程度に添えられている。

もちろん観客を笑わせる意図はあるはずなのだが、世界観を壊してまで強引にギャグシーンを入れようといった雰囲気は感じられなかった。

 

あくまで自然なのだ。

 

シリアスとコミカルのバランスの良さ。それも実に練られていたと感じている。

 

総じて自分にとって満足度の高い作品であるが「ここがこうだったら」という箇所もなくはない。

具体的には陽太の死について、病気であるならなぜ病院に行かなかったのかと疑問が残る。全国ツアーが間近に迫る状況だったからかもしれないが、それでも普通の感覚ならやはり病院にいくのではないか。

もちろん描かれていないところで行っていたのかもしれないが、伏線があるにしても急に病状が酷くなったような様子はやや唐突に感じた。

例えば陽太の死後、誰かの台詞で「手遅れの状態だった」などがあれば病院に行かなかったことも納得はできたと思う。(まさか演劇に対して「ではその病気は何だ」などと突っ込む人がいるとも思えない)

 

また陽太が死を意識していたならば、紡がいじめにより死を考えるくらい追い詰められているシチュエーションを作ることで、より深く『生きること』についての両者の交流を描くこともできたかもしれない。

 

しかしこうした部分は丁寧に作り上げられた作品に対しては些細なものである。

 

物語、演技、演出の全てが高いクオリティを誇る本作は間違いなく人に勧めることができる作品だ。

このような素晴らしい作品に出会えたことに感謝したい。

 

それにしてもである。

冒頭でライブを終えた陽太が仲間たちとテキーラを飲む場面があるのだが、そこが妙に気に入ってしまった。

個人的なことになるが、先日人生で初めてテキーラを飲んだ。

まるでガソリンのようで間違っても美味いとは感じなかったが、そうしたものを敢えて飲むことで仲間たちと盛り上がる気持ち。

不味いものを笑いながら親しい人々と飲むことで生まれる特別な時間があること。

実際に飲んでみたからこそ、なぜ彼らが祝いでテキーラを飲むのか想像できたことが自分にとっては面白かった。

 

そしてもう一つ。

 

本作の中で特に自分に刺さったのが「いわない優しさという優しさがこの世界にはある」と感じたことだ。

 

物語の終盤。

紡に同性愛者であることを告白された孝昭は、家族であっても言葉に出さなければわからないことがあることに気づく。

それと対になるのが、バックダンサーの仲間たちや常田に病気であることを最後まで隠していた陽太の姿だ。

恐らく陽太は仲間たちに心配させたくなかったのだと思う。

最後までアーティストでいたいと陽太が語る場面があるのだが、そこには「どうせいっても無駄だから」といった悲壮感は感じない。

いわないことが陽太なりの優しさだったのだろう。

 

インターネットの発展と共にSNSもスマホも普及した。

誰もが気軽に、しかも世界中に向けて言葉を発信することができる。

 

それでもだ。

 

何でもいっているようで、私たちは本当にいいたいことをいえているのだろうか。

友達に、恋人に、家族に自分の気持ち全てを伝えている人など恐らくいないだろう。

伝えないよりは伝えた方がいい。言葉にしなければ伝わらない。そのことは十分にわかっているはずなのに。

 

なぜだろう。

 

「いわない方が楽だから」

確かにそれもあるだろう。でも一番は、いうことで相手を傷つけたくないという気持ちがあるからではないか。

それを優しさというのではないだろうか。

 

人間は恐い生き物だ。その本質は悪かもしれない。

それでも他人を思い「いわない」という気持ちがあるのなら、人間には確かに優しい部分もある。

 

一方でいわなければ伝わらないことも確実に存在する。

時にいい辛くても、相手に伝えなければならないこともあるだろう。

いわれた方の心は深く傷つくだろう。

 

しかし見方を変えれば、いい辛いことを伝えるというのは相手にとって誠意である。

それが向かい合って面といわれた言葉ならなおさらだ。

信じるに値する言葉だ。

 

これはどちらが正しいとも間違っているともいえない。

この世界はその二つで成り立っている。

 

陽太と紡の姿を通してそんなことを考えた。極めて個人的な事だが今の自分には必要なことだ。

 

そういう意味でも本作に出会えて心から良かったと思う。

素晴らしい作品である『Thank U Next』が今後一人でも多くの人に観られる作品となることを願いたい。

 

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劇団テンペスト『体温』感想

行動した結果何かが終わってしまったとする。

その先に待つ新しい日々を怖いと思う自分がいる。

人生は前に進むと頭では理解していても、居心地のいい今に留まりたいと思う心情。

 

「今が変わってしまうことが怖い」

 

口に出さないだけでその気持を抱えている人も多いのではないだろうか。

福岡で新しく旗揚げされた『劇団テンペスト』

その第一回公演作品『体温』はそんな気持ちを抱えて生きる主人公の日常を描いた物語だ。

あらすじ

高校卒業後、ふとした出来事からインスピレーションを受け、短編小説を書き上げたことをきっかけに小説家となった秋(しゅう)。しかし28歳となる現在まで、常に髪はボサボサ、暗いオーラを纏い人生に何の張りもない鳴かず飛ばずの売れない作家。次回作のアイデアすら湧かない平凡な毎日を送る中で中途難聴障害を持つ女性あきと出会い、親友の加賀から執筆の後押しを受けてから少しずつ運命が動き始める。

引用: 『体温』フライヤー

まず一応ブロガーでありながらも、忙しさに理由をつけてほとんどブログを書いていない私自身と秋が重なった。

だから秋という主人公の行動や主張に共感できる部分が確かにあった。

なぜブログを書かかないのかというと、正直に白状すれば忙しいというのは建前である。

本音は書いた後誰にも見られないという現実を突きつけられるのが嫌なのだ。

アクセス数の伸びなさを痛感する度に、読まれているブロガーとの差を痛感させられる。

 

「書き上げて終わってしまうのが怖い」

 

秋が最後に明かす気持ちを自分なりに解釈した時、この偏屈な主人公に自分自身の姿を見た。

 

作中で秋の友人の加賀は不慮の事故で亡くなる。その葬儀に行かなかった秋を恋人が激しく責め立てる。もっと人間らしい心を持てと。

 

確かに劇中の秋という人物はお世辞にもできた人間とは言い難い。

偏屈な理屈を振りかざしては周囲の好意を踏みにじる。

特に献身的に尽くす恋人がいるにも関わらず彼女に向き合わず、偶然出会ったあきに付き添う姿はそれが彼の優しさだとしても男として腹が立った。

「違うだろ! もっと彼女を大切にしろよ!」

心の中で私はそう思った。

 

文学青年らしい繊細な心情を語ったとしても、そこにあるのは周囲の人間の好意に甘えた情けない男の姿。

 

しかし、だからこそ秋は人間らしい主人公だともいえる。

 

このブログを読んでくださっているあなたの周囲にも、どうしようもない人なのになぜか放っておけないと思う人がいないだろうか。

素直に認めるのが嫌でも、本音ではその人のことが好きと思う人。

 

秋は周囲からそう思われている人物だ。

もちろんそんな秋を好意的に見れない、感情移入できないという人もいるだろう。

それはそのまま秋を受け入れている周囲の人物に感情移入できないということにもつながる。

 

『体温』の評価は秋を受け入れられるか否かで大きく変わってくると思うが、私自身は全てではないにしろ共感できる部分があったので面白く鑑賞することができた。

逆に言うと、明るくカラッとした物語を好む人には合わない作品であったかもしれない。

 

また作中の時間描写がやや分かりづらい部分もあった。

舞台上は中央が秋の部屋、上手が喫煙所、下手がバーという構図になっている。

場面によっては複数の場所での会話が描写される時があるのだが、それが同時に起きていることなのか違う時間帯のことなのかやや困惑した。

今回が第一回の作品ということもあり、こうした部分が今後ブラッシュアップされていることを期待したい。

 

何より本作にはそのような不満点を補って余りある魅力がある。それは感情表現の言葉。

秋をはじめとする登場人物たちの心情は、誰もが思っていてもそれを言葉という具体的な『形』として表現するのは難しい。

だからこそ、一言では表せない感情を言語化し登場人物という目に見える形に昇華させた脚本の劇団テンペストメンバー・上野直人の手腕を純粋に評価したい。

 

『体温』は決して現実離れした物語ではない。

わがままで甘ったれた一人の男の日常の物語である。

加賀の死をきっかけに秋の日常は変化せざるを得なくなる。

それはそれまでの生活との別れであり、しかしそれまでと同じ部分もある新しい日常の始まり。

望む、望まないに関わらず人生にはそういった変化が必ず訪れる。

 

それが訪れた時に自分ならどうするだろうか。

恐らく情けなく泣きわめき周囲に迷惑をかけながらそれでもやがて受け入れていくだろう。

その時になって気づくのだ。自分が生きれているのは自分だけの力ではない。

周囲が自分という人間を我慢してくれているお陰だということに。

 

そして思うのだ。誰もが自分の周りの誰かを我慢している。

我慢しようと努力している。

生きている人間はみんな努力をしている、だから誰もが等しく凄い存在なのだと。

 

繊細な感情表現を見せてくれた劇団テンペストが次にどんな作品を観せてくれるのか。

その期待が持てる作品であった。

 

劇団テンペスト公式Twitter

 

 

 

感情そして哲学 ~舞台『新選組ロッケンロール熱血編』感想~

『エンタメの感想を書く』という行為は恋愛のようなものだ。

なぜなら感想のもとになる感情をいくら追求しようとも、最終的に行き着くのは理屈のない感情だからである。

どれだけ誰かを愛した理由を考えても、何となくその人のことを良いと思ったから愛した。そんな人は多いのではないだろうか。

 

エンタメの感想にも同じことがいえる。

結局のところどれだけ理屈をつけようとも楽しいと感じたものは楽しい。つまらないと感じたものはつまらない。

つまり面白かったの一言さえあれば感想は成り立つ。

だからそれを深く掘り下げる『感想を書くという行為』は恋愛のように難しい。

 

しかしである。

 

「面白かった」の一言で終わらせるのは簡単だがそこに物足りなさを感じる自分もいる。

だからこそ難しいと感じる理屈のない感情の出所に一歩踏み込み、作品を解き明かしたい。

気持ちの良い約束された勝利より、自分には少し困難と思える目標を目指すことで見えてくるものがある。

 

福岡で活動する劇団・陽projectの11番目の作品である『新選組ロッケンロール熱血編』の感想を書くにあたり、まず考えたのは上記のようなことである。

本作は感想を考えるのに理屈を必要としない作品だ。

時代考証や設定の理屈を抜きに、荒唐無稽でパワフルなキャラクターたちが物語を引っ張っていく。

あらすじ

ひとりの少女がその才能からイジメをうけ自殺を決意する。しかし、ふと目覚めるとそこは血風吹き荒れる激動の時代幕末。ゆくあてのない少女は、目の前の殺りくにまったをかける

引用: 『新選組ロッケンロール熱血編』パンフレット

本作は2022年春に公演予定であったものの、新型コロナウイルスの影響により映像配信という形となった『新選組ロッケンロール』を再構成した作品だ。

タイトルに『熱血編』とつくがキャラクターや設定に共通点はあるものの、実際は姉妹編と呼んで差支えないだろう。

近年の陽project作品の傾向に沿ってギャグシーンや歌唱シーンも用意。さながら幕の内弁当のように盛りだくさんの内容となっている。

主人公は沖田総司。新選組の一番隊隊長にして美男子というイメージで創作されることの多い人物だ。

タイムスリップしてきた女子高生という本作の沖田を演じるのは若手女優のソフィア(@SOFIA69_7n)

この沖田の介入により史実と異なる運命を歩む新選組。

高杉晋作や桂小五郎、武市半平太など幕末の偉人が登場し佐幕派・討幕派・さらに物語の裏で暗躍する天狗党などの勢力が入り乱れ登場人物の信念が激突する。

 

以上が本作の大まかな流れだ。

個人的に強く印象的だったのは武市半平太の狂気。

ベテラン女優・大國千緒奈(@chionaokuni)が演じた武市は史実と全く異なるキャラクターとして描かれていたが、彼女が客席に近い場所で一人叫ぶ場面は離れた席にいても自分に向けて叫ばれているような迫力を感じた。

 

本作に感じた満足感の多くは、大國氏の演技に触れたことによるものが大きい。

荒唐無稽な世界観を引き締める存在感。

例えるなら若手俳優中心の戦隊物の中に、司令官ポジションで一人ベテランの俳優がいることで生まれる説得力。

これまで観劇した陽projectの作品は若い出演者が多かったが、大國氏の出演により新しい作風を本作から感じることができたのは幸運だった。

その武市に付き従う岡田以蔵を演じた堺利菜(rina_sakai0403)の演技も個人的には好印象だった。

本作の以蔵は仮面で顔を隠し、動きだけで感情を表現しなければならない難しい役柄だが堺氏の演技からは確かに以蔵の感情を読み取ることができた。

 

大國氏と堺氏以外の演技に関しても出番の大小はあれど、それぞれのキャラクターが個性を発揮していたことは好印象だった。

これはあくまで私個人の感覚だが陽project作品の登場人物は現実にいそうなリアリティよりも、キャラクターの個性を一つ研ぎ澄ますことで存在感を発揮しているように思う。

それを一番強く感じたのが本作のコメディ部分を担当する松平容保だ。

前田俊朗(maedatoshirou)演じる松平は、アドリブあり野菜の被り物ありサングラスありと何でもありのキャラクター。

先に本作は荒唐無稽と書いたが、それを一番体現しているのが松平なのである。

恐らく本作を観劇した中で松平、ひいてはそれを演じた前田氏の存在感が記憶に残った人も多いだろう。

 

恐らく新選組の隊士の名前は知っていても、松平容保の名前を知る人はさほど多くはないだろう。

それをコメディという個性で描き切る思い切りの良さ。そこから生まれる存在感。

綿密に計算された設定よりもキャラクターの個性による観客を飽きさせない面白さ。

それが本作の、ひいては陽prpjectの魅力になっていることは間違いないと感じている。

 

一方で本作にも「ここはもっとこうだったらよかった」と感じた部分は存在する。

 

例えば沖田総司、武市半平太、桂小五郎はそれぞれ女性が演じているが、それがこれらの人物が設定上男性なのか女性なのかをわかりづらくしていた。

設定や台詞をきちんと見ていれば女性であることはわかるのだが、三人ともよく知られている人物である分女性だと受け入れて物語に没入するのにやや時間がかかった。

 

他にも死んだと思われていた近藤勇が物語終盤で生きていたことが判明し仲間のピンチを救うのだが、これに関してもやや説得力不足でなぜ生き残れたかのあと一歩伏線が欲しかった。

コメディ要素もあるとはいえ、多くの『死』が描かれている物語である。

だからこそ個人的には後の展開が多少盛り下がったとしても、近藤復活には伏線が欲しいと感じた。

 

そして主人公の沖田に関してだが、ラストで現代に帰ることを選択するのだがそこに至る過程にももうワンクッション欲しかった。

というのも、本作の沖田には目の前の戦乱への葛藤は感じられても「いつか未来に戻り仲間と別れる」という悲壮感があまりなかったように感じた。

本人が死んだと考えていたからとも解釈できるが、ラストの描写から見ても少しだけそうした表現が欲しかったと個人的には感じる。

 

とはいえ本作で最も訴えたいことを託されているのは紛れもなく沖田であり、彼女の人間と世界に対する熱い台詞には感動した。

同時にその台詞を聞いた時に本作を貫く『芯』を感じたことも事実であり、それだけでも本作を肯定的に捉えることができる。

 

本作は楽しい作品である。観てよかったと思った。

それは本作に芯があるから・・・・・・ 言い換えれば『哲学』があるのだ。

哲学があれば、個人の好き嫌いを越えて作品は何かを訴える力を持つ。

人に届く力を持つ。

哲学を持つ陽projectの作品が次に何を見せてくれるのか。

それを楽しみに待ちたい。

終わりに

 

陽projectの作品に初めて触れてから約2年が経過しようとしている。

ありがたいことに出演者の方々とも何度か話しをさせていただく機会があり、本作がこれまで以上の観客に見られたと聞き嬉しく思った。

それを語る陽projectのメンバーである窪津りの(rinotaan0118)の目から溢れた涙を私は忘れることはできない。

 

彼女と直接会話した数もさほど多くはない。

それでも、僅かな会合の中で彼女が語った舞台への思いは確かな熱意に溢れていた。

「人と違うことがやりたかったんです」

そう語ってくれた彼女は自分の気持ちからも、陽projectを背負う責任からも決して逃げることなく立ち向かっている。

エンターテインメントであり、作品である以上はそれが舞台にしろ映画にしろ漫画やドラマにしろ必ず賛否両論はつきまとう。

しかし陽projectの作品が、常に観客が楽しむことを第一に考えられた面白さを持つことは作品を観るたびに感じている。

それが強烈な個性のキャラクターであり、プロジェクションマッピングを使った演出であり、歌であり、荒唐無稽な世界観なのだ。

 

主催の作品は代表であるシマハラヒデキ(hidekishimahara)氏の箱庭ともいえるものだろう。

その箱庭作りを自身のためではなく、どこまでも観客の楽しみのために行えるところにこの劇団の魅力がある。

 

コロナ禍の時代を耐え一つずつ階段を上がり始めた陽project。

『新選組ロッケンロール熱血編』が終わり、少しの休息を経てまたその二本の足で力強く立ち上がってどのような作品を届けてくれるのか。

それを楽しみに待ちたい。

 

陽project公式サイト

 

 

 

推しが残したものに気づかせてくれた天からの音

慌ただしく日々が過ぎる中であっという間に年が明け2023年になりました。

忙しさにかまけブログも更新しなくなって随分になります。

『シン・ウルトラマン』をはじめ昨年の色々なエンタメを観ましたが、ことごとく何も書かず過ぎた日々。

大体そういった感想はTwitterやインスタグラムに書いて投稿しているので、わざわざブログに書く必要を感じなくなったのが大きいのかもしれません。

文字数制限がない分ブログの方が自由なはずなんですけどね・・・・・・

 

他にもありがたいことに昨年辺りから月の前半は忙しく、後半は多少ゆっくりできるという日々を送っています。

自由にできる時間は減った分、少しずつ分かってきたこともありますね。

もう少し若い頃にこういう生活が始まっていたら体力もあったんでしょうが、始まった時が必要なタイミング。

2023年も少しでも前に進めたらと思います。

 

メイドカフェには相変わらず通っています。

以前より回数は減ったけど、それは興味がなくなったとかではないです。

以前は「メイドを何が何でも自分が応援しなきゃ」みたいな使命感にも似た気持ちがあり、それがオタ活の原動力になっていました。

そんな中で訪れた推しの卒業。

寂しさに包まれた心も、時が過ぎる中で少しずつ整ってきました。

 

「今日は行ってみようかな」と思った時に最近は行くようにしています。

思い返すと、メイドカフェに行くようになった初期の頃もこうした気持ちでした。

何があるのか行ってみるまで予想できないワクワク感。

メイドカフェへの気持ちがなくなってしまったわけじゃなくて、これが今の自分が無理なく余裕を持って楽しむことのできる良い距離感なのかなと思います。

 

ひょっとしたら私は恐れているのかもしれません。

もしも次に『推し』ができてしまったら、また別れの時に辛い思いをしなければならない。

自分のことだからはっきりわかりますが、そういう気持ちは確かにあります。

一方で推しの卒業を経験して、以前よりも素直にメイドの卒業を受け入れられるようになりました。

 

みんなそれぞれに大切な夢があって、目標があって、そして卒業していく。

 

メイドカフェは、別れが決まっている子たちと一時の想い出を作る場所。

卒業を前向きに見送るために過ごす場所。

少なくとも今はそう思います。

福岡市のメイドカフェ『めるドナ』から一人のメイドが卒業します。

彼女と過ごした日々は、ちょうど自分の気持がこのように少しずつ変わっていく時期と重なっていました。

はじめてメイドとして店に立ってから実際に会いにいくまで、やや時間がかかったと記憶しています。

 

もっと早く会いに行けばよかったとも思いますが、その間に仕事に慣れてきたのか最初から明るく人見知りをしない方という印象がしました。

セーラームーンが好きという彼女。

かって在籍していたメイドの中にもセーラームーンが好きな方がいて、もしもその方がいたらきっと話が合ったんだろうなと思いました。

 

彼女がSNSにアップするメイド仲間との様子を見るのも楽しみでした。

メイドになって楽しい想い出を作ってくれるのが嬉しかったですね。

この時代にこの店を選んでここにいる。

それは何かが少しでも違っていたら起こらなかったことです。

私は店の人間でも彼女の保護者でもありませんが、ここで仲のいい友人ができたことを本当にいいことだと思いました。

 

この店に来るとどうしても推しの想い出を語ってしまいます。

彼女にも話したことがあって、知らない人の話であるにも関わらず真剣に聞いてくれたことが嬉しかったですね。

 

2022年11月

推しの誕生日に近い日に福岡タワーをピンクにライトアップしてもらいました。

もう会うことはできませんが、SNSにアップしていたらいつか推しが目にすることがあるかもしれない。

今でも応援しているという気持ちがそれで伝わったらいい。そうした思いがありました。

 

もうメイドではない人にここまでやって「やりすぎ」と周囲から思われるのではないか。そんな不安もありました。

しかし今回卒業する彼女がそれを肯定してくれて、そのことがとても嬉しかったですね。背中を押してもらえたようで安心しました。

彼女には本当に感謝しています。

 

「やってみたいと思い飛び込みました」

メイドになった理由を聞くとそのように答えてくれました。

自分の気持をわかっていてもそれを実行できる人間ばかりではないでしょう。

特に私は怖気づいてしまう性格なので、彼女のポジティブさを凄いと思います。

 

そんな彼女だからこそ、卒業の前向きな理由を聞いた時に素直に応援したいと思いました。以前の私ならきっと口では「応援する」といっても心では「残ってくれ」と思ったでしょう。

もちろん寂しさはあります。

それでも今は本当に進んだ先で頑張って欲しい、前進していって欲しいという気持ちの方が大きいです。

 

推しとの別れがあったから卒業を応援できるようになった。

 

今回卒業する彼女との別れは、推しが自分に残してくれた大切なものに気づかせてくれました。

この店で本当に頑張ってきた推しのあの子なら、きっと寂しくても後輩の卒業と幸せな未来を祈ったでしょう。

この場所がとても好きな子だったから。

 

だから自分もそうしたいです。

 

卒業した後も彼女の人生にはきっと色々なことがあるでしょう。

ですが願わくばメイドに挑戦しようと思い、周囲の人たちと親交を結んでいったその気持を忘れないで欲しいですね。

 

彼女がこれから挑戦していくことが、天を駆ける音のように誰かの心を元気にしていくことを願います。

 

できると信じています。めるドナで優しい気持ちを私にくれたのですから。

 

めるドナでのお給仕お疲れさまでした。笑顔で次の世界に行ってらっしゃいませ。

 

 

 

推しのいない夏の想い出 〜続・僕と推しと時々ぴえん〜 

 

前回の記事

orangecatblog.com

どんな悲しみや苦しみもいつかは終わる時が来る。

それは結局の所、人間は「忘れる」ということができる生き物だからなのかもしれない。

だけど本当にそれだけが、忘れることだけが悲しみや苦しみから逃れられるただ一つの方法なのだろうか?

推しのいない夏

メイドカフェで出会った推しが卒業してから約半年。

日常にいてくれることが当たり前だと感じていた彼女がいない喪失感を抱えたまま、新しい出会いや別れを繰り返しながら僕は生きていた。

近年では珍しくもない短い春が終わると、あっという間にうだるような夏がやってくる。

額に流れる汗を拭い、街中にあふれるエアコンの音に辟易しながら過ごす日々は、否応なく季節が変わる現実を僕に突きつけた。

 

街中で浴衣を着た人たちを見かけるようになった8月。

SNSを開けばメイドカフェで働くキャストたちの浴衣姿。

綺羅びやかな彼女たちの写真の中に、僕が一番見たいあの子の姿を見ることはもうできない。

 

赤い浴衣がとてもよく似合っていた彼女。

仲間のメイドと浴衣を着て、自宅で遊んだことを話してくれた楽しそうな笑顔。

想い出にふけるのを止め現実に意識を戻すと、僕には世界がどこか灰色に見えていた。

 

夏は苦手だ。

大量に流れた汗は体力どころか気力までも消耗させる。仕事が終わって帰宅し、食事とシャワーを済ませると何もやる気が起きない。

それでも今年の夏は色々とイベントもあったし、さまざまな人たちにも会えた充実した夏だったと思う。

人の優しさにも触れたし、知らなったことを知ることもできた。

 

それでもいつしか日常に現れだした灰色はなかなか消えることはなかった。

理由はわかっている。だけどそれは僕の力ではどうすることもできないことだ。

楽しいこと、悲しいこと。

そうしたことが起こった後、彼女に会ってそのことを話す時間が僕は好きだった。

もちろん内容全てを彼女に上手く伝えられないこともあったし、それは申し訳ないと思うのだけれど僕には聞いてくれるだけで十分だった。

 

「はじめまして。自己紹介させていただきます。私、メイドの陽向あかりです」

 

初めて彼女に会った時のことを、今でも昨日のように思い出す。

可愛い子だと思った。

でもそれ以上に、彼女にはそれまで出会ってきたメイドカフェの人たちとどこか違うものを感じていた。

具体的にそれを何と呼ぶのかはわからない。それでも微かに、でも確かに彼女に何かを感じた。

 

「どうしてもっと彼女がいた時間を大切にできなかったのだろう」

彼女が卒業してからずっとその思いが心に渦巻いている。

もっとたくさん会いに行けばよかった。もっとたくさんチェキも撮ってあげればよかった。オーラスだってすればよかった。

 

だけどいくら後悔したところで、何かが変わるわけでも起きるわけでもない。

前向きになろう、進んでいこう。

そう思う気持ちとそれ以上の過去を振り返る気持ち。

その二つを抱えたまま、季節は夏から秋に少しずつ変わろうとしていた。

今夜、世界からこの恋が消えても

映画『今夜、世界からこの恋が消えても』を観たのは9月のはじめだった。

その日は朝から忙しかった。

福岡のローカルヒーローが出演する『ドゲンジャーズハイスクール』のスピンオフ上映会に参加後、電車に乗って北九州へ。

同じくドゲンジャーズに出演している北九州のローカルヒーロー『キタキュウマン』の新しい車のお披露目に参加した後にそのまま映画を観た。

 

僕は恋愛映画は嫌いではない。というか、ジャンル的にはむしろ好きな方だ。

恋愛映画の枠に入れられるかは微妙だが、映画『男はつらいよ』シリーズや『トラック野郎』シリーズは大好き。

『ローマの休日』は特に好きな映画だ。

だがその反面、恋愛映画を映画館で観ることはまずない。

 

何故か?

理由は単純。周りがカップルだらけのあの劇場の空気に耐えられないのだ。

基本的に僕は一人でどこにでも行く。

映画も一人で観るのは全く平気だ。

しかし、こと恋愛映画に関してはどれだけ「自分は映画を観に来たんだ」と自分自身に言い聞かせても劇場にいるだけで惨めな気持ちになる。

 

そんな僕がなぜ本作を観たかというと、主演が『なにわ男子』の道枝駿佑君だからである。

推しはなにわ男子のファンだった。

まだ推しと出会ったばかりの頃、推しがお勧めの本を僕に紹介してくれたことがある。

それはとても面白い本だったが、それを読むことで推しと気持ちを共有できたように感じて嬉しかった。

 

僕自身は特になにわ男子に詳しいわけではないけど、もしかしたら推しもこの映画を観たかもしれないと直感的に思った。

会えなくてもまた気持ちを共有できたらと思った。

 

主人公・神谷透はクラスメイトのいじめを止めせるためにヒロイン・日野真織に嘘の告白をする。

偽りの恋人同士であったはずの二人は、いつしか互いの心を近づけていく。

しかし真織には交通事故の後遺症により、眠るとその日の記憶を失ってしまうという秘密があった・・・・・・

 

美しい作品だった。

役者の演技、音楽、画の見せ方や丁寧な心理描写などよくできた映画だった。

一つだけ展開に唐突さを感じた部分はあったけれど、それすら些細なものに思えるほど文句なく素敵な作品。

両脇をカップルに挟まれるというお決まりの惨めさの中で鑑賞したが、途中からそんなことは完全に忘れて僕は映画の世界に没頭していた。

 

作品の中でキーアイテムとなっていたのが真織がその日の出来事を書き記した日記。

眠るとその日の出来事を忘れていしまう真織のために、透はその日記を楽しいことで埋めたいと考えるようになる。

言い換えると、この映画は『書くこと』が物語の重要な要素となっていた。

 

それこそが僕の心に刺さったのだ。

 

推しの彼女の想い出を僕はブログに書いてきた。

それは真織の日記のように毎日というものではなかったけれど、彼女に喜んでもらいたいという気持ちで書いたものだった。

おおよそジャニーズのタレントとはかけ離れた顔で恐れ多いが、どこか透と真織に自分を重ねながら僕はこの映画を観た。

 

ネタバレを避けるため詳細は伏せるが、いつか別れることになっても大切に思う存在のために何かをしたこと。

その誰かを思い何かを書くこと。

それはとても素敵なことなんだと背中を推してもらえた気がした。

 

これは推しと出会わず本作を観たなら絶対に感じることができなかった気持ち。

不思議なものだ。僕はこの映画の内容を知っていて観に来たわけではない。

推しが好きなアイドルが出ている映画。それだけの理由で観た映画だったのに、どこか自分自身に重なる内容だった。

 

彼女は果たして観ただろうか・・・・・・ それはわからない。

献身的に彼女を応援したと声高々にいうことは僕にはできない。

むしろできなかったことだらけだ。

 

確かに言葉や文字という目に見える『形』で彼女のことを今でも呟いたりしている。

でも形に出さないだけで、きっと僕よりも強く彼女のことを思っている人はたくさんいるだろう。

 

それでもいい。

たとえ少しだけでも想い出を書き残せたこと、彼女がそれを喜んでくれたことが大切なんだ。

 

推しへ

僕はこの映画を観たよ。君は本作を観て、一体どんなことを感じたのだろう?

喫茶店にて

北九州に来た時に時間があれば立ち寄る喫茶店がある。

映画を観た後、久しぶりに僕はその店を訪れた。

騒がしい外とはまるで別の空間に来たかのような静 かな店内。落ち着いた雰囲気で過ごしやすい。

 

「こんばんは。お久しぶりです」

「こんばんは。あら、確か前にもお会いしたことがありましたね」

 

過去に訪れたのは一度だけなのだが、マスターは僕のことを覚えていてくれた。

「今日は何をしにこの辺りまで来たんですか」

「いやあ、映画を観たりとか色々です」

しばらく当たり障りのない世間話をしながら、そういえば以前ここに来たのはまだ推しが店にいた頃だったと思い出す。

そんなに過去ではないはずなのに、何だか遠い昔のようにも感じる。

 

「最近は実家に帰ってますか?」

カップに注がれたコーヒーの煙が消えたはじめたころ、ふとマスターが僕に尋ねた。

「最近はコロナとかもあって帰っていないですね。それにあまり帰りたくない理由もあって」

この時どうしてこんなことを口にしたのか自分でもわからない。

多分、普段の生活範囲から離れて遠くに来たという気持ちがこういわせたのだと思う。

「何かあったんですか?」

「あんまり父親に会いたくないというか・・・・・・ 自分では不仲だと思ってるんです。育ててくれたことに感謝はしているんですが、気分屋でわがままばかりいって母親を困らせて。年をとると人間は丸くなるというけどそんなことはなくて、両親を見ていても家の空気が悪くてとても幸せそうには見えない。あまり家にいたくないんです」

 

店には時計の音だけが鳴り響いている。長居するつもりはなかったのに自分語りをはじめると止められない。

カッコ悪く止めなければと思っているのに止められない僕の悪い癖だ。

 

「父と僕は性格も正反対で、腹を割って話したこともないです。自分が年齢を重ねるたびに父の悪い部分ばかりが目について、自分にはこんな人間の血が流れているのかと思う時もあります。だからあまり帰りたくないんです」

「そうなんですね。今は顔を会わせてもわかってあげることは難しいかもしれません。でも、お父さんにはお父さんなりに辛いことや怒る理由もあったのかもしれません。本心からお父さんを思っての優しいことはいえないかもしれないけど、言葉だけでも理解を示すことをいえば変わってくるかもしれません」

 

マスターの言葉を聞きながら、同時に僕は自分の心の声に耳を傾けてみる。

いつからだろうか、父親のことをそんな風にしか見れなくなったのは。

気分屋で少しでも気に入らないことがあれば不機嫌な顔をして一言も話さなくなる父。

 

本当はわかっているはずだ。

嫌悪してやまない父のそんな部分が、僕にも確かにあることを。それにより嫌な思いをさせた人たちもいることを。

本当はわかっているはずだ。

自分には父を憎む権利などないことを。

 

「色々な人を見てきたけど、親孝行をする人は平穏な人生を過ごせる人が多いですよ。親が何であっても親は親です。あなた自身も仕事で上手く行かない時もあるでしょう。でも親孝行を考えていたら、いつか仕事でもいい縁ができると思いますよ」

 

親孝行

それは僕が真剣に向き合ってこなかった言葉。

向き合うことを恐れている言葉だ。

なぜならそれは責任をともなう。そして責任をともなうということは、親も年をとったと認めるということだ。

 

わかっている。頭では理解をしている。

だけどそれを認めてしまうと不安と恐怖が襲いかかってくる。

いつか親もいなくなるという不安。それにより自分にのしかかる責任。

 

そこまで考えた時にハッと気がついた。

父親がどうこうと文句をいっていても結局僕はいい年をして大人になりきれず、大人になるのを恐れていつまでも子どもでいたいと思っているどうしようもない奴だ。

それに比べたら、嫌な部分はありながらもそれでも家族を守ってきた父親はやはり立派な部分も持っている。

少なくとも今の僕よりは何倍も凄いのだろう。

 

なぜ親孝行をする人間が幸せな人生を送れるか今ならわかる。

その人たちはきっと、自分たちの責任を自覚して現実に向き合うことができる人たちだからだ。

現実と向き合うことから逃げ、ただ不満ばかりを口にする僕とは違う。

 

「今日はたくさん話しができてよかったです。ありがとうございました」

「頑張ってくださいね」

色々と情けない言葉を口にしたことに少し後悔しながら、それでも久しぶりに訪れたこの店でマスターと話ができたことに満足感も感じて僕は店を出た。

9月とはいえ外はすでに真っ暗だった。今日も一日が終わろうとしている。

 

情けない人生だと思った。

自分では色々と経験したつもりでも結局僕は口だけだった。

だけどそんな人生でも・・・・・・ そんな人生だったからこそ僕は今ここにいる。

そして推しのあの子に出会うことができた。

マイナスなことばかりじゃない。

父を見ていたらわかるだろう? 人間は年をとったからといって完璧になれるわけじゃない。

だからこれから学んでいくんだ。完璧になれないのはわかっている。

でも今よりも少しでも進んでいけるように。

 

あの子が前に進んでいったように。

 

電車がホームに入ってくる。空を見上げても星は見えない。

でもそれでいい。

きっと今日もあの子は前に進むために頑張っている。

そう思えるから、今はその気持がさえあれば僕には十分だった。

 

 

 

演劇『極楽こたつ』感想

福岡という街が、演劇活動が盛んな土地であると知ったのは最近のこと。

たくさんの劇団とたくさんの演者たち。

役者、モデル、アイドル、パフォーマー、芸人・・・・・・

経験も経歴も異なる多くの人たちが1つの場所に集い、互いの全力をぶつけ合いながら作り上げる演劇というエンターテインメント。

 

そのエンターテインメントに本屋が参加!

 

「一体何のこと?」と思われる方もいるかもしれませんが、文字通り本屋の一角を舞台として演劇を提供するという試みがこの度行われました。

場所は福岡市にある福岡天狼院

 

さまざまなゼミやイベントを提供し、単なる本屋という枠組みを越えたサービスを展開している天狼院書店の新たなプロジェクト。

その名も『劇団天狼院いぶき』

その旗揚げ公演となる演劇『極楽こたつ』は、店舗スタッフである鳥井春菜さんが脚本を手掛けた作品です。

 

上映時間は30分。登場人物は2人。

本屋という空間のため本格的な音響や舞台装置はなく、始まる前までどんな作品なのか想像もできませんでした。

 

2人の登場人物は兄妹。

会社を辞めて無職の兄が妹の部屋で過ごしている所から物語が始まります。

大手企業で毎日残業だらけの日々を送る妹。

時に互いの不満をぶつけ合い喧嘩しながらも、つかの間の時間を過ごす2人。

しかし、互いの認識している現実がどこか違っているという奇妙な感覚に気づき・・・・・・

 

本作のタイトルの由来となっていて、物語の重要な舞台となっているのがコタツ。

実は福岡天狼院には、実際にコタツが置いてありお客さんが過ごせるスペースがあります。

しかし『極楽コタツ』ではコタツの表現が俳優陣による演技、つまりエアコタツで表現されていました。

 

これには意表を突かれましたが、しかしそこはプロ。

小道具が何もない中で、体の動きだけで確かにそこにコタツがあるように見えました。

そしてコタツという表現は、場所の狭さを上手く利用しているということに気づかされます。

これがもしもっと広い舞台であったならば、とてもコタツには見えなかったでしょう。

 

物語は一見すると兄と妹の日常を描いているように見えますが、そこには意外な展開が隠されていました。

本作は兄が妹を守る物語であり、妹が兄を想う物語。

 

『男はつらいよ』シリーズをはじめ今年さまざまな意味で話題となった『ちむどんどん』など、だらしない兄と働き者の妹という構図は多くの作品で見られます。

一見するとありふれたように見える設定ですが、『極楽コタツ』を鑑賞することでこれは題材を変えれば無限に物語が作れる非常に優れた設定であることに気づきます。

その普遍的な題材と場所の設定を活かした本作は素直に面白いと感じられました。

 

豪華な小道具や舞台装置がなくても、なぜ本作を面白いと思えたか?

それは突き詰めると、舞台演劇というのが観客の想像力に訴えかけてくるものだという結論にたどり着きます。

 

映画やドラマなどの映像であれば、基本的に場所や小道具などは全て何らかの形で視覚的に表現されています。

しかし舞台演劇では、どんな大規模な作品であってもそこは閉じられた世界。

だからこそ、そこには観客が想像する余地が生まれます。

それは演じる俳優の演技に迫真性があればあるほど強く想像力を働かせる。

 

『極楽コタツ』では場所と観客の距離の近い分、俳優の演技がダイレクトに伝わってくることで登場人物の感情もそこにあるであろう小道具や食べ物の存在も感じられました。

同時に、時折挿入される鼻歌など緩急のある演出により中だるみのないスピーディーな展開となっていることも魅力です。

それも何の脈略もなしに出てくるのではなく、それがあることで兄妹の普段の距離感を表現することに効果を発揮していました。

 

ここ最近はいくつかの演劇を鑑賞していましたが、実は演技による想像の重要性『極楽コタツ』を観て改めて気づかされました。

舞台、映像問わず演劇というコンテンツには多くの魅力があります。

ストーリー、BGM、小道具、演出・・・・・・

その中にあって、舞台演劇での魅力の1つに『俳優の演技でどこまで想像力を働かせられるか』という自分なりの基準を見つけられました。

 

何もないからこそ演技という、演劇の最も根源的な要素で世界観を表現した本作。

ここから今後どういった物語が生まれていくのか。

そのことに期待したくなる面白い作品でした。

 

 

 

 

演劇感想『幕末トリガー風雲伝』/『幕末トリガー蒼狼伝』

福岡を中心に演劇活動を行っている『陽project』

先日から過去に陽projectが過去に行った全公演が配信されるという企画が開催され、これまで見たことがない作品も鑑賞することができた。

もともと舞台を観に行く人間でなかった私だが、色々な経緯があり出会った陽projectの作品には生命力をもらっている。

この記事では記念すべき第1作である『幕末トリガー風雲伝』とその続編である第2作『幕末トリガー蒼狼伝』について簡単ではあるが感想をつづりたい。

『幕末トリガー風雲伝』感想

本作の上演は2018年4月。

幕末を舞台に神の力で岡田以蔵となった女性が歴史上の人物たちと関わりながら、愛する武市半平太のために奮闘する物語だ。

 

第1作ということで、現在では陽project作品の特徴となっているプロジェクションマッピングを用いた大胆な演出も本作には存在しない。

セットもわずかに高い台が組まれている以外はシンプルであり、最近の作品しか見たことのない私には今と全く違う印象に映った。

 

本作は幕末を題材にしており、その点に関しては新型コロナウイルスの影響で2022年4月に映像配信という形で公開された『新選組ロッケンロール』と共通している。

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決定的に違うのは現在の少女が幕末にタイムスリップしたという『今』の時代の要素が加わっている新選組ロッケンロールに対して、幕末トリガー風雲伝は幕末という『過去』の要素のみで物語が構成されている点。

 

ただの少女が神秘的な力で岡田以蔵となるというあらすじでもわかるように本作はファンタジーだ。

一方で本作には坂本龍馬や西郷隆盛など有名キャラが登場し、物語の一部に史実の要素も取り入れられている。

そのため一見すると歴史に詳しくない人にとって、ややとっつきにくい物語になっている一面もある。

 

もちろん岡田以蔵をはじめ、幕末の偉人に関しては名前くらいは聞いたことのある人がほとんどだろう。

だがある程度キャラクターの背景をわかっていなくては目の前の人物が置かれている状況がわからないという部分。

それがさらに史実と空想が混じっていて、理解するのに時間がかかるというのはこうした作品の難しい部分である。

 

そうした意味では、忍者を題材とした完全に空想の物語である最新作『忍』と本作が対になっていることが興味深かった。

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一方で、立場は違えどそれぞれの立場で自分の信念に殉じその命を燃やして生きるキャラクターたちの姿はこの第1作からすでに描かれている。

陽projectの作品に登場するキャラクターたちはとにかくよく走りよく叫ぶ。

 

もちろん人間らしさとはそれだけではないのだが、さまざまな勢力が入り乱れる複雑な物語にあって感情に訴えてくるものが確かにある。

 

そうした意味でも本作は、陽projectの始まりの物語として後に繋がるさまざまな要素が詰まった作品であった。

『幕末トリガー蒼狼伝』

本作の上演は2018年8月。

幕末トリガー風雲伝から直接続く物語であり、前作の岡田以蔵が新選組の沖田総司に生まれ変わり野望渦巻く幕末を駆け抜けていく。

 

映画においてエピソード1、2のように連続物が制作されることは今や常識だが舞台演劇でこのような形式がとられるのはとても珍しいと感じた。

それ故に前作を見ていなければキャラクターの背景がわからないという弊害もあるが、一方で前作からブラッシュアップされ見所も多い作品となっている。

 

出演した役者の数が前作よりかなり増えたことで、より多くのキャラクターや陣営の物語が描かれていた。

このキャラクターが増えたことに関しては一見すると物語がより複雑になっているようにも見える。

しかし個人的にはその多さが、かえって少人数であるよりもそれぞれのキャラクターがどの陣営に属しているのかをわかりやすく表現していたように思う。

 

もちろん新選組や薩摩、長州といった単語にある程度の知識があればこそなのだが「この人物とたくさん一緒にいるからこの人はこの陣営なんだな」とざっくりとでも感じられる効果があった。

 

また殺陣のシーンに関しても、前作より洗練され役者陣の動きも格段に向上しており見応えのあるものになっている。

 

一方で前作でも感じたことだが、さまざまなキャラクターが登場する中で主人公の沖田の印象がやや弱いように感じた。

もちろん物語の芯を担っていることは間違いないのだが、他のキャラクターたちの壮絶な生き様や個性の強さの方が個人的に印象に残った。

 

このようにまだまだ試行錯誤している部分も感じることができるが、若い役者陣が手探りの中でよいものを見せようとしている気概。それは確かに作品から伝わってくる。

続編として正当なパワーアップを感じることができる2作目であった。

 

陽project公式サイト

 

 

心につけてくれた薬

色々な人との出会いと別れが繰り返した今年も残りわずかとなりました。

その中で1番辛い別れは、2022年も序盤の3月に訪れた大切な推しとの別れ。

こんなに苦しく寂しいことがあるのかと眠れなくなるくらい私にとって辛いことでした。

 

福岡市の『めるドナ』というメイドカフェで働いていた推しの卒業が間近に迫ったある日、私は一人の新人メイドと出会いました。

季節は春。凍るなような寒さを運んでいた風が心地よさを運ぶようになりはじめたころ。

その新人メイドは、まるでそんな春の風のような穏やかな方でした。

 

ちょうど世間ではこれまでの出来事に追い打ちをかけるように暗いニュースが流れ始めたころ。

辛い時代にようやく終わりが見えてきたかと思えば、更なる困難が人々を襲い始めていました。

私はといえば、その頃は推しのいない日々を受け入れられない自分とそれでも受け入れようともがく気持ちの間で葛藤していました。

どうしようもないこととわかっていても、訪れた別れを受け入れることは容易ではありません。

 

そんな日々の中で、穏やかで可愛いらしい彼女の存在にはずいぶん助けられました。

今思えばわずかに時期が被ったといはいえ、推しがいた日々を彼女があまり知らなかったことが良かったのかもしれません。

前々から働いているメイドとはどうしても推しの思い出話をすることが多かったのですが、新人の彼女とはもちろんそうした話はできません。

 

その日あったことや最近のこと、彼女の好きなことなどが話の中心。

 

そうした時間を重ねることで、私の心も次第に過去ではなく『今』を見つめられるようになりました。

私の心は少しずつ癒されていきました。

 

彼女自身も客として店に来ていたことや憧れている先輩たちがいることを話してくれました。

そうした話を聞いた後は改めてこの店のメイドたちは凄いと思います。

その理由は、彼女たちが人の心を動かす力を持っていると実感できるから。

そして目の前にいるこの子もきっといつか、人の心を動かすのだろうと私は思いました。

 

そんな彼女も卒業をむかえることになり、その知らせを目にした時はとても寂しかったです。

私は彼女に会うことが楽しみでしたし、話をする時間もとても好きでした。

だからこそ、決して長くない時間でありながらも生誕祭をむかえるなど彼女が楽しい日々を過ごせたならそれに勝る喜びはありません。

「メイドになれて楽しかったです。憧れの先輩たちのようになれていたらいいな」

卒業が発表された後、店に会いに行った時に彼女が私にいいました。

 

大丈夫。貴女はちゃんと素敵なメイドになれていましたよ。

彼女が憧れている先輩たちは、メイドとしてだけでなく人間としても素晴らしい部分をたくさん持っていました。

それは年齢だけは上の自分も心から尊敬し、彼女たちのようになりたいと思うほど素敵なもの。

そして卒業していく彼女も、そんな素敵なものをたくさん持っていました。

 

寂しさで過去ばかり見ていた私の心を今に向けてくれた明るさ。

慌ただしい状況でも最後までやり遂げようとする粘り強さ。

お店に来た人を楽しい気持ちにさせてくれる可愛い笑顔。

そして、お客さんの心に触れた時にそれを大切にして自分も頑張ろうと思える優しさ。

 

本当に素敵な方で彼女に出会うことができて良かったです。

尊敬する先輩たちのようになりたいと語っていた彼女。

私は今、そんな彼女のようになれたらと思います。

彼女のように出会った人たちを明るく優しい気持ちに変えられるような人に。

 

それは理想かもしれませんが、確かにこの場所で出会いその存在を知った彼女を忘れない限り希望を持ち続けることができます。

思い続ければいつかは彼女のようになれるかもしれないと。

 

推しが卒業した日、自分にとって何かが終わったと思っていました。

だけど新しい出会いがあったことで人生は続いていくのだという大切なことに気づくことができました。

それに気づかせてくれた彼女に心から感謝したいです。

 

植物のアンズを意味する漢字『杏』には人を助けるというイメージもあるようです。

何でもアンズは薬用としても古くから使われてきたとのこと。

まさに彼女にピッタリの素敵な名前だと思いました。

苦しい時期に出会った彼女は、私の心に楽しい時間という薬を塗って治してくれました。

 

これからオレンジ色の可愛らしいアンズの実を見ると、私は彼女のことを思い出すでしょう。

辛い時期に出会い、私の心を温かく癒してくれた彼女のことを。

 

その優しさを新しい場所で広げて、彼女がこれからも笑顔溢れる毎日を過ごせることを祈っています。

 

出会ってくれて本当にありがとう。

これから目指していく夢に向かっていってらっしゃいませ。

 

 

 

福岡の老舗・木本商店の『おつまみもつもつ』が絶品

木本商店の『おつまみもつもつ』

福岡に住んで長くなりますが、飲食店はある程度知っていても例えばお肉屋さんだったり八百屋さんだったり、そうしたお店を知っているかと聞かれたら自信がありません。

普段買い物をする場所はスーパーマーケット。

もちろん私のように他の土地から移ってきた人にとって、それは普通のことなのかもしれません。

 

しかし、そこから思い切ってほんの少しだけ視野を広げてみた場所にまだ見ぬ新しい発見がある。

日々の生活に幸福感をもたらす美味しい食べ物との出会いがある。

それを実感した食べ物があります。

 

その名も『おつまみもつもつ』

 

福岡市博多区にある株式会社木本商店で販売されている商品です。

おつまみもつもつの魅力は、何といっても噛み応えのある食感とタレのしみ込んだ味わい深さ。

柔らかく食べやすい大きさに切り分けられているもつ肉ですが、実際はボリュームがありお酒のお供にも夕食のおかずにも最適。

 

お湯で4分間茹でるだけですぐに食べられるので、時間がない時や仕事で疲れて帰って来た時などにもピッタリ。

そのまま食べても美味しいですが、個人的におすすめの食べ方はどんぶりご飯の上にのせて食べること。

タレが温かいご飯に染みわたることで、いつもの食卓でちょっとした贅沢気分を味わうことができます。

 

最近では新商品である『おつまみもつもつ塩味』も登場。

さっぱりとした味わいで、こちらもご飯やお酒のお供に食べたい一品でした。

こうした商品はスーパーではなかなかお目にかかれません。

私が知らないだけでもしかしたらどこかにあるのかもしれませんが、それでもたくさんの人に木本商店のおつまみもつもつを食べて欲しいです。

 

それはこの商品が人の手によってじっくりと丁寧に作られたものだから。

 

肉に向かい合い、肉について理解を深めようとしているお店の人たちの努力の結晶。

それが美味しさとなって表れているから、家の食卓に普段と違う幸福感が生まれる。

おつまみもつもつは肉が好きな人はもちろん、日常をほんの少し彩る美味しい物を探している人に全力でおすすめしたい商品です。

木本商店について

『株式会社木本商店』は創業から60年近い歴史を持ち町で生活するお客さんはもちろんのこと、福岡市内の多くの飲食店に肉を卸している会社です。

焼肉、もつ鍋、焼き鳥などさまざまな店で木本商店から卸された肉が使われており、この記事を読んでいる方の中にもどこかで食べたことがある方がいらっしゃるかもしれません。

 

YouTubeでのチャンネル開設・動画投稿など新しい試みも行ってきました。

店内の1日に密着したものから、福岡で活動する女優を起用したドラマ形式のものなど『肉』というジャンルで魅力的なコンテンツを発信しています。

 

 

 

2020年から流行した新型コロナウイルスは生活に多くの影響を与えました。

中でも『食事』に与えた影響は小さくありません。

孤食、黙色が推奨され誰かと一緒に食事をすることさえままならなかった時代。

少しずつ落ち着きを見せる状況の中で、以前のような日々が戻ってくる日も遠くはないでしょう。

 

その日が来たら、多くの人と一緒に食事ができることのありがたみに感謝したいです。

その時はぜひ木本商店の肉が使われている店で食事をしたい。そんな風に思います。

 

株式会社木本商店

電話番号: 092-651-8670

営業時間:9時~17時

定休日:日曜:祝日

住所:福岡県福岡市博多区千代3丁目17-4