行動した結果何かが終わってしまったとする。
その先に待つ新しい日々を怖いと思う自分がいる。
人生は前に進むと頭では理解していても、居心地のいい今に留まりたいと思う心情。
「今が変わってしまうことが怖い」
口に出さないだけでその気持を抱えている人も多いのではないだろうか。
福岡で新しく旗揚げされた『劇団テンペスト』
その第一回公演作品『体温』はそんな気持ちを抱えて生きる主人公の日常を描いた物語だ。
あらすじ
高校卒業後、ふとした出来事からインスピレーションを受け、短編小説を書き上げたことをきっかけに小説家となった秋(しゅう)。しかし28歳となる現在まで、常に髪はボサボサ、暗いオーラを纏い人生に何の張りもない鳴かず飛ばずの売れない作家。次回作のアイデアすら湧かない平凡な毎日を送る中で中途難聴障害を持つ女性あきと出会い、親友の加賀から執筆の後押しを受けてから少しずつ運命が動き始める。
引用: 『体温』フライヤー
まず一応ブロガーでありながらも、忙しさに理由をつけてほとんどブログを書いていない私自身と秋が重なった。
だから秋という主人公の行動や主張に共感できる部分が確かにあった。
なぜブログを書かかないのかというと、正直に白状すれば忙しいというのは建前である。
本音は書いた後誰にも見られないという現実を突きつけられるのが嫌なのだ。
アクセス数の伸びなさを痛感する度に、読まれているブロガーとの差を痛感させられる。
「書き上げて終わってしまうのが怖い」
秋が最後に明かす気持ちを自分なりに解釈した時、この偏屈な主人公に自分自身の姿を見た。
作中で秋の友人の加賀は不慮の事故で亡くなる。その葬儀に行かなかった秋を恋人が激しく責め立てる。もっと人間らしい心を持てと。
確かに劇中の秋という人物はお世辞にもできた人間とは言い難い。
偏屈な理屈を振りかざしては周囲の好意を踏みにじる。
特に献身的に尽くす恋人がいるにも関わらず彼女に向き合わず、偶然出会ったあきに付き添う姿はそれが彼の優しさだとしても男として腹が立った。
「違うだろ! もっと彼女を大切にしろよ!」
心の中で私はそう思った。
文学青年らしい繊細な心情を語ったとしても、そこにあるのは周囲の人間の好意に甘えた情けない男の姿。
しかし、だからこそ秋は人間らしい主人公だともいえる。
このブログを読んでくださっているあなたの周囲にも、どうしようもない人なのになぜか放っておけないと思う人がいないだろうか。
素直に認めるのが嫌でも、本音ではその人のことが好きと思う人。
秋は周囲からそう思われている人物だ。
もちろんそんな秋を好意的に見れない、感情移入できないという人もいるだろう。
それはそのまま秋を受け入れている周囲の人物に感情移入できないということにもつながる。
『体温』の評価は秋を受け入れられるか否かで大きく変わってくると思うが、私自身は全てではないにしろ共感できる部分があったので面白く鑑賞することができた。
逆に言うと、明るくカラッとした物語を好む人には合わない作品であったかもしれない。
また作中の時間描写がやや分かりづらい部分もあった。
舞台上は中央が秋の部屋、上手が喫煙所、下手がバーという構図になっている。
場面によっては複数の場所での会話が描写される時があるのだが、それが同時に起きていることなのか違う時間帯のことなのかやや困惑した。
今回が第一回の作品ということもあり、こうした部分が今後ブラッシュアップされていることを期待したい。
何より本作にはそのような不満点を補って余りある魅力がある。それは感情表現の言葉。
秋をはじめとする登場人物たちの心情は、誰もが思っていてもそれを言葉という具体的な『形』として表現するのは難しい。
だからこそ、一言では表せない感情を言語化し登場人物という目に見える形に昇華させた脚本の劇団テンペストメンバー・上野直人の手腕を純粋に評価したい。
『体温』は決して現実離れした物語ではない。
わがままで甘ったれた一人の男の日常の物語である。
加賀の死をきっかけに秋の日常は変化せざるを得なくなる。
それはそれまでの生活との別れであり、しかしそれまでと同じ部分もある新しい日常の始まり。
望む、望まないに関わらず人生にはそういった変化が必ず訪れる。
それが訪れた時に自分ならどうするだろうか。
恐らく情けなく泣きわめき周囲に迷惑をかけながらそれでもやがて受け入れていくだろう。
その時になって気づくのだ。自分が生きれているのは自分だけの力ではない。
周囲が自分という人間を我慢してくれているお陰だということに。
そして思うのだ。誰もが自分の周りの誰かを我慢している。
我慢しようと努力している。
生きている人間はみんな努力をしている、だから誰もが等しく凄い存在なのだと。
繊細な感情表現を見せてくれた劇団テンペストが次にどんな作品を観せてくれるのか。
その期待が持てる作品であった。