はじめに
世界はそんなに狭くない、人と繋がれば繋がった分だけ、世界はもっと素敵に無限に広がっていくんだから。
引用:舞台『忍』 陽project
力強いセリフが会場に響き渡った。
男性を演じてきた印象の強い彼女がチャレンジしたヒロイン・織津(おりつ)がステージで躍動する。
SNSで槍を振り回す姿とはまた違う彼女の姿。
織津を演じるのが女優・窪津りのでなければならなかった理由は、このセリフに集約されている。
福岡で活動する劇団・陽(ひざし)projectの舞台『忍(しのび)』は愛の物語である。
ネガティブな話題の多い2022年。
その中で本作は現実の不条理をそれとなく取り入れながらも、最後にはポジティブに突き抜けていく良質のエンターテインメントであった。
代表であるシマハラヒデキ氏入魂のプロジェクションマッピングを活かした視覚効果の華麗さ、子どもにもわかりやすい個性豊かな登場人物たち。
忍者という題材の幅広さを活かした世界観とストーリーは、アクションシーンの激しさと合わさり観客を魅了する。
まるでお菓子の詰まった箱のような楽しさを持つ本作において、ひときわ存在感を放っていたのが窪津りのであった。
明日ついに舞台「忍」小屋入りだぁーー
— 窪津りの@劇団 陽(ひざし)project (@rinotan0118) July 24, 2022
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陽projectに所属する女優として、舞台だけでなくライバー、CMなどにも活動の幅を広げる注目の女優だ。
『忍』の物販に関する作業も担当する彼女は、シマハラ氏と並んで文字通り表と裏の両面から本作を支え続けた。
本作を鑑賞するに当たり、個人的な悪い癖かも知れないが色々と思考しながら鑑賞した。
その中で最も考えたことは「なぜ本作にはヒロインが必要なのか」である。
もちろんアクション物の作品に華を添えるという理由もあるだろう。
どうしても男性が作品の中心となるアクション物において、ヒロインの存在が清涼剤となることは多数の作品が証明している。
しかし織津の役割を男性キャラに置き換えたとして、それはそれで話を成り立たせることも可能だったはずだ。
その場合シマハラ氏演じる主人公・竜将と兄弟のような関係性を通して成長する姿が描かれたことだろう。
仮にそのキャラを窪津りのが演じた場合でも、これまでの彼女の経験から違和感のない役作りもできたに違いない。
だが『忍』を最後まで観た時、織津というヒロインが登場したことに間違いはなかったと感じた。
その理由は本作が愛の物語であったからに他ならない。
『忍』あらすじ
時は戦国乱世。闇の忍ドーマが太古の妖魔であり鬼の王、酒呑童子の封印を解こうと暗躍しだす。もし封印が解かれれば世界は妖魔蔓延る逢魔が時に包まれてしまう。果たして葉隠れの里の忍はこの暴挙を止めることができるのか。
引用:舞台『忍』 フライヤー
章立ての物語の面白さ
『忍』の物語を感じる上で興味深かったのが構成が章立ての物語になっていたことだ。
プロジェクションマッピングをふんだんに利用して『第◯話』と表示され始まる物語。
一つの舞台でありながらも、まるで1クールのドラマを連続して見ているような構成が面白かった。
葉隠れの里の壊滅という衝撃的な展開から始まり、それぞれの登場人物たちが章ごとに登場して各々のバックボーンが語られていく。
そしてそれが一つとなり、やがて物語はクライマックスへ。
こうした構成は例えばゲーム『ドラゴンクエスト4』などでも用いられており、飽きることなく物語に入り込める効果を作り出していた。
一方で、限られた空間の中でさまざまな時系列を同時に展開しなければならない複雑さも章立ての展開によって緩和されている。
これは肥前夢街道忍者村において、家族連れを対象にパフォーマンスを行ってきたシマハラ氏ならではの視点が活かされているように感じた。
章立てでキャラクターのバックボーンが語られることにより、各々が背負う悲しみが描かれそれが物語を貫く芯となる。
そしてそれが最終的に愛というテーマへと昇華されるのだが、その中心にいるキャラクターこそ織津であった。
キャラクターたちの中心
代々、酒呑童子を封印してきた葉隠れの里の巫女姫。
巫女姫の双子の妹ながら、幼い頃に捨てられ貧しい環境の中で育ってきた織津は突然現れた竜将に反感を抱く。
しかし、献身的に自身に接する竜将の姿に触れることで閉ざしていた心を開いていくことになる。
アクション物のヒロインという響きをイメージする時、織津はどちらかといえば変化球の部類に入るヒロインだ。
例えば『ルパン三世カリオストロの城』に登場するクラリスを正統派と位置づけることに異論は少ないだろう。
反対に『もののけ姫』に登場し、山犬に乗り雄々しく戦うサンは間違いなくヒロインだがどちらかといえば異色の部類に入る。
突然変化する状況に、雑草魂で立ち向かう織津の姿はサンを彷彿とさせる。
目の前に現れた男との出会いにより、己のあり方が変化していく姿も両者に共通するものを感じた。
織津を演じるにあたり、窪津りのが挑むのは短い時間の中で変化していく感情の表現だ。
竜将をはじめ、ドーマや彼に命を救われ従う綾女(あやめ)と命(みこと)姉妹、かっての家族である助六(すけろく)や娘の紅葉(もみじ)と出会い成長していく織津。
たくましさはそのままに、やがてメンバーの中心となる優しさを備える文字通り姫となるまでの変化。
そうした変化に果敢に挑戦し、それをやりとげた彼女の演技力に心動かされた。
そして、その変化にこそ本作を支える愛というキーワードが込められている。
なぜ本作にヒロインが必要だったか
舞台『忍』はそれぞれのキャラクターが悲しみを背負いながらも、最終的に酒呑童子を倒すために一致団結していく物語だ。
それは闇に堕ちたドーマといえども例外ではない。
このドーマというキャラクターも非常に魅力的なキャラクターであり、主人公である竜将のありえたかもしれない可能性を表現していた。
竜将とドーマは一見正反対のように見えて実は同質の存在。しかも彼を慕う姉妹の存在が、ドーマをさらに魅力的にしている。
キャラクターの配置的にも両者はコインの裏表である。
物語のラスト、酒呑童子を倒すために自らを竜将に倒させるドーマ。
ここに数奇な運命に翻弄された二人の運命は決着する。
少しビターな、しかしこのラストだったからこそ織津の存在が物語を支える力となっていた。
戦乱により多くの命が失われた世界。
その世界を甦らせていくのは、次の世代へと生命を紡ぐことのできる女性の存在に他ならない。
生命が紡がれるということは、失われた人々の心が未来へと受け継がれていくということである。
竜将と織津の幸せな未来に思いを馳せることで、この『忍』は終わりをむかえる。
竜将と織津、ドーマと綾女と命、助六と紅葉、紅葉と彼女が慕う骸(むくろ)などこの物語にはたくさんの愛が描かれていた。
それは次第にキャラクターたちの運命が交差し、互いを思いやる愛へと変わっていくがその中心にあるのは織津の存在。
もう一度いう。舞台『忍』は愛の物語である。
なぜならばヒロインが愛を知ることで変化し、それが主人公を動かし世界を救うからだ。
だからこそ本作にはヒロインが必要だったのだと思う。
変化していく織津と、ヒロイン役への新しいチャレンジを行う窪津りのの生命力が奇跡的なシンクロを果たすことで愛というテーマを力一杯表現していた。
作品に流れるテーマをその身一つで演じきった窪津りのの今後の活躍と、陽projectが次に見せてくれる世界に思いを馳せることができる『忍』という作品。
俳優の持つ生命力を感じさせてくれる力作に出会えたことに心より感謝したい。
傀儡(くぐつ)役 今中智尋の表現する愛
福岡を中心に活動する女優・今中智尋が『忍』で演じたのが、悪の組織ブラックマーケット商会の幹部である傀儡だ。
窪津りの同様、今中智尋にとっても本作で初めて悪役へと挑戦し新たな一面を披露していた。
舞台『ララ・バイ』での悲しみを秘めたキャラクターの演技経験を経て、感情そのもののを抑えた傀儡役への挑戦。
セリフの数も抑えた文字通り『人形』という難しいキャラクターの表現。
しかし人間性を感じさせない無機質さが返って傀儡の底知れなさにマッチしており、魅力的な悪役を作り上げることに成功していたように思う。
今中智尋を知る者には意外性を持って、初めて知る者には先入観なく印象的なキャラクターとして傀儡は魅力を放っていた。
その魅力は傀儡の正体、酒呑童子に心酔する部下の鬼女(きじょ)に役柄が変わることで一層の印象深さを残すことに成功した。
ブラックマーケット商会の首領・黒(くろ)を裏切る場面での傀儡の豹変。
貯めに貯めた感情の爆発は、一種のカタルシスを感じさせ爽快感さえ感じるほどであった。
『忍』が愛の物語であることはすでに述べたが、それは鬼女と酒呑童子の関係性においても表現されている。
物語の終盤、追い詰められた酒呑童子は鬼女の生命力を取り込むことに成功するが代償に鬼女は消滅。
その中にあっても、鬼女は酒呑童子への狂信的なまでの思いをつぶやくのだ。
これを狂気と取ることもできるだろう。
しかし、個人的な感想だがこの鬼女の気持ちも愛・・・・・・ ある意味純愛と呼べるほどの真っ直ぐな愛である。
『忍』の秀逸だと感じた部分は竜将と織津、酒呑童子と鬼女の対比を通して愛の持つ負の面まで描いたことだ。
さらに鬼女の最後の言葉を酒呑童子への思いの言葉にすることで、狂信的な愛ですら否定することのないシマハラ氏の優しさを感じることができるとは言い過ぎだろうか。
傀儡と鬼女を演じたことによる感情の抑制と開放の演技。そして悪役という新しい領域。
それらを経験した今中智尋が次にどういった表情を見せてくれるのか。
そうした新しい表現を期待させてくれる姿を見れたことが嬉しかった。
終わりに
陽projectの舞台をはじめて観たのは2021年3月のこと。
それまで舞台というものをほとんど観たことはありませんでしたが、プロジェクションマッピングを利用したダイナミックな演出と笑いあり涙ありのストーリーに感動したことを覚えています。
その日から1年以上の月日が経っての公演。
その間に舞台『新選組ロッケンロール』の公演が予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響により映像での上映および配信という形での公開となり『忍』はまさに満を持しての公演であったと思います。
会場でシマハラさんをはじめ何人かの出演者の皆さんと話をすることができました。
残念ながら全ての方とは話せませんでしたが、人見知りで緊張している私にも気さくに接してくださった出演者の皆さんに心より感謝いたします。
会場に向かって歩いている途中に、キツネの面を頭に乗せて歩いている子どもとすれ違いました。
もしかしたら『忍』を見た帰りだったのかもしれません。
会場に来ていた観客の楽しそうな様子も印象的です。
まさに出演者の生命力が伝わっていることを感じることができました。
改めて出演者、スタッフの皆さんお疲れさまでした。
また会える日を楽しみにしております。
楽しい一時をありがとうございました!