『エンタメの感想を書く』という行為は恋愛のようなものだ。
なぜなら感想のもとになる感情をいくら追求しようとも、最終的に行き着くのは理屈のない感情だからである。
どれだけ誰かを愛した理由を考えても、何となくその人のことを良いと思ったから愛した。そんな人は多いのではないだろうか。
エンタメの感想にも同じことがいえる。
結局のところどれだけ理屈をつけようとも楽しいと感じたものは楽しい。つまらないと感じたものはつまらない。
つまり面白かったの一言さえあれば感想は成り立つ。
だからそれを深く掘り下げる『感想を書くという行為』は恋愛のように難しい。
しかしである。
「面白かった」の一言で終わらせるのは簡単だがそこに物足りなさを感じる自分もいる。
だからこそ難しいと感じる理屈のない感情の出所に一歩踏み込み、作品を解き明かしたい。
気持ちの良い約束された勝利より、自分には少し困難と思える目標を目指すことで見えてくるものがある。
福岡で活動する劇団・陽projectの11番目の作品である『新選組ロッケンロール熱血編』の感想を書くにあたり、まず考えたのは上記のようなことである。
本作は感想を考えるのに理屈を必要としない作品だ。
時代考証や設定の理屈を抜きに、荒唐無稽でパワフルなキャラクターたちが物語を引っ張っていく。
あらすじ
ひとりの少女がその才能からイジメをうけ自殺を決意する。しかし、ふと目覚めるとそこは血風吹き荒れる激動の時代幕末。ゆくあてのない少女は、目の前の殺りくにまったをかける
引用: 『新選組ロッケンロール熱血編』パンフレット
本作は2022年春に公演予定であったものの、新型コロナウイルスの影響により映像配信という形となった『新選組ロッケンロール』を再構成した作品だ。
タイトルに『熱血編』とつくがキャラクターや設定に共通点はあるものの、実際は姉妹編と呼んで差支えないだろう。
近年の陽project作品の傾向に沿ってギャグシーンや歌唱シーンも用意。さながら幕の内弁当のように盛りだくさんの内容となっている。
主人公は沖田総司。新選組の一番隊隊長にして美男子というイメージで創作されることの多い人物だ。
タイムスリップしてきた女子高生という本作の沖田を演じるのは若手女優のソフィア(@SOFIA69_7n)
この沖田の介入により史実と異なる運命を歩む新選組。
高杉晋作や桂小五郎、武市半平太など幕末の偉人が登場し佐幕派・討幕派・さらに物語の裏で暗躍する天狗党などの勢力が入り乱れ登場人物の信念が激突する。
以上が本作の大まかな流れだ。
個人的に強く印象的だったのは武市半平太の狂気。
ベテラン女優・大國千緒奈(@chionaokuni)が演じた武市は史実と全く異なるキャラクターとして描かれていたが、彼女が客席に近い場所で一人叫ぶ場面は離れた席にいても自分に向けて叫ばれているような迫力を感じた。
本作に感じた満足感の多くは、大國氏の演技に触れたことによるものが大きい。
荒唐無稽な世界観を引き締める存在感。
例えるなら若手俳優中心の戦隊物の中に、司令官ポジションで一人ベテランの俳優がいることで生まれる説得力。
これまで観劇した陽projectの作品は若い出演者が多かったが、大國氏の出演により新しい作風を本作から感じることができたのは幸運だった。
その武市に付き従う岡田以蔵を演じた堺利菜(rina_sakai0403)の演技も個人的には好印象だった。
本作の以蔵は仮面で顔を隠し、動きだけで感情を表現しなければならない難しい役柄だが堺氏の演技からは確かに以蔵の感情を読み取ることができた。
大國氏と堺氏以外の演技に関しても出番の大小はあれど、それぞれのキャラクターが個性を発揮していたことは好印象だった。
これはあくまで私個人の感覚だが陽project作品の登場人物は現実にいそうなリアリティよりも、キャラクターの個性を一つ研ぎ澄ますことで存在感を発揮しているように思う。
それを一番強く感じたのが本作のコメディ部分を担当する松平容保だ。
前田俊朗(maedatoshirou)演じる松平は、アドリブあり野菜の被り物ありサングラスありと何でもありのキャラクター。
先に本作は荒唐無稽と書いたが、それを一番体現しているのが松平なのである。
恐らく本作を観劇した中で松平、ひいてはそれを演じた前田氏の存在感が記憶に残った人も多いだろう。
恐らく新選組の隊士の名前は知っていても、松平容保の名前を知る人はさほど多くはないだろう。
それをコメディという個性で描き切る思い切りの良さ。そこから生まれる存在感。
綿密に計算された設定よりもキャラクターの個性による観客を飽きさせない面白さ。
それが本作の、ひいては陽prpjectの魅力になっていることは間違いないと感じている。
一方で本作にも「ここはもっとこうだったらよかった」と感じた部分は存在する。
例えば沖田総司、武市半平太、桂小五郎はそれぞれ女性が演じているが、それがこれらの人物が設定上男性なのか女性なのかをわかりづらくしていた。
設定や台詞をきちんと見ていれば女性であることはわかるのだが、三人ともよく知られている人物である分女性だと受け入れて物語に没入するのにやや時間がかかった。
他にも死んだと思われていた近藤勇が物語終盤で生きていたことが判明し仲間のピンチを救うのだが、これに関してもやや説得力不足でなぜ生き残れたかのあと一歩伏線が欲しかった。
コメディ要素もあるとはいえ、多くの『死』が描かれている物語である。
だからこそ個人的には後の展開が多少盛り下がったとしても、近藤復活には伏線が欲しいと感じた。
そして主人公の沖田に関してだが、ラストで現代に帰ることを選択するのだがそこに至る過程にももうワンクッション欲しかった。
というのも、本作の沖田には目の前の戦乱への葛藤は感じられても「いつか未来に戻り仲間と別れる」という悲壮感があまりなかったように感じた。
本人が死んだと考えていたからとも解釈できるが、ラストの描写から見ても少しだけそうした表現が欲しかったと個人的には感じる。
とはいえ本作で最も訴えたいことを託されているのは紛れもなく沖田であり、彼女の人間と世界に対する熱い台詞には感動した。
同時にその台詞を聞いた時に本作を貫く『芯』を感じたことも事実であり、それだけでも本作を肯定的に捉えることができる。
本作は楽しい作品である。観てよかったと思った。
それは本作に芯があるから・・・・・・ 言い換えれば『哲学』があるのだ。
哲学があれば、個人の好き嫌いを越えて作品は何かを訴える力を持つ。
人に届く力を持つ。
哲学を持つ陽projectの作品が次に何を見せてくれるのか。
それを楽しみに待ちたい。
終わりに
陽projectの作品に初めて触れてから約2年が経過しようとしている。
ありがたいことに出演者の方々とも何度か話しをさせていただく機会があり、本作がこれまで以上の観客に見られたと聞き嬉しく思った。
それを語る陽projectのメンバーである窪津りの(rinotaan0118)の目から溢れた涙を私は忘れることはできない。
彼女と直接会話した数もさほど多くはない。
それでも、僅かな会合の中で彼女が語った舞台への思いは確かな熱意に溢れていた。
「人と違うことがやりたかったんです」
そう語ってくれた彼女は自分の気持ちからも、陽projectを背負う責任からも決して逃げることなく立ち向かっている。
エンターテインメントであり、作品である以上はそれが舞台にしろ映画にしろ漫画やドラマにしろ必ず賛否両論はつきまとう。
しかし陽projectの作品が、常に観客が楽しむことを第一に考えられた面白さを持つことは作品を観るたびに感じている。
それが強烈な個性のキャラクターであり、プロジェクションマッピングを使った演出であり、歌であり、荒唐無稽な世界観なのだ。
主催の作品は代表であるシマハラヒデキ(hidekishimahara)氏の箱庭ともいえるものだろう。
その箱庭作りを自身のためではなく、どこまでも観客の楽しみのために行えるところにこの劇団の魅力がある。
コロナ禍の時代を耐え一つずつ階段を上がり始めた陽project。
『新選組ロッケンロール熱血編』が終わり、少しの休息を経てまたその二本の足で力強く立ち上がってどのような作品を届けてくれるのか。
それを楽しみに待ちたい。