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どんな悲しみや苦しみもいつかは終わる時が来る。
それは結局の所、人間は「忘れる」ということができる生き物だからなのかもしれない。
だけど本当にそれだけが、忘れることだけが悲しみや苦しみから逃れられるただ一つの方法なのだろうか?
推しのいない夏
メイドカフェで出会った推しが卒業してから約半年。
日常にいてくれることが当たり前だと感じていた彼女がいない喪失感を抱えたまま、新しい出会いや別れを繰り返しながら僕は生きていた。
近年では珍しくもない短い春が終わると、あっという間にうだるような夏がやってくる。
額に流れる汗を拭い、街中にあふれるエアコンの音に辟易しながら過ごす日々は、否応なく季節が変わる現実を僕に突きつけた。
街中で浴衣を着た人たちを見かけるようになった8月。
SNSを開けばメイドカフェで働くキャストたちの浴衣姿。
綺羅びやかな彼女たちの写真の中に、僕が一番見たいあの子の姿を見ることはもうできない。
赤い浴衣がとてもよく似合っていた彼女。
仲間のメイドと浴衣を着て、自宅で遊んだことを話してくれた楽しそうな笑顔。
想い出にふけるのを止め現実に意識を戻すと、僕には世界がどこか灰色に見えていた。
夏は苦手だ。
大量に流れた汗は体力どころか気力までも消耗させる。仕事が終わって帰宅し、食事とシャワーを済ませると何もやる気が起きない。
それでも今年の夏は色々とイベントもあったし、さまざまな人たちにも会えた充実した夏だったと思う。
人の優しさにも触れたし、知らなったことを知ることもできた。
それでもいつしか日常に現れだした灰色はなかなか消えることはなかった。
理由はわかっている。だけどそれは僕の力ではどうすることもできないことだ。
楽しいこと、悲しいこと。
そうしたことが起こった後、彼女に会ってそのことを話す時間が僕は好きだった。
もちろん内容全てを彼女に上手く伝えられないこともあったし、それは申し訳ないと思うのだけれど僕には聞いてくれるだけで十分だった。
「はじめまして。自己紹介させていただきます。私、メイドの陽向あかりです」
初めて彼女に会った時のことを、今でも昨日のように思い出す。
可愛い子だと思った。
でもそれ以上に、彼女にはそれまで出会ってきたメイドカフェの人たちとどこか違うものを感じていた。
具体的にそれを何と呼ぶのかはわからない。それでも微かに、でも確かに彼女に何かを感じた。
「どうしてもっと彼女がいた時間を大切にできなかったのだろう」
彼女が卒業してからずっとその思いが心に渦巻いている。
もっとたくさん会いに行けばよかった。もっとたくさんチェキも撮ってあげればよかった。オーラスだってすればよかった。
だけどいくら後悔したところで、何かが変わるわけでも起きるわけでもない。
前向きになろう、進んでいこう。
そう思う気持ちとそれ以上の過去を振り返る気持ち。
その二つを抱えたまま、季節は夏から秋に少しずつ変わろうとしていた。
今夜、世界からこの恋が消えても
映画『今夜、世界からこの恋が消えても』を観たのは9月のはじめだった。
その日は朝から忙しかった。
福岡のローカルヒーローが出演する『ドゲンジャーズハイスクール』のスピンオフ上映会に参加後、電車に乗って北九州へ。
同じくドゲンジャーズに出演している北九州のローカルヒーロー『キタキュウマン』の新しい車のお披露目に参加した後にそのまま映画を観た。
僕は恋愛映画は嫌いではない。というか、ジャンル的にはむしろ好きな方だ。
恋愛映画の枠に入れられるかは微妙だが、映画『男はつらいよ』シリーズや『トラック野郎』シリーズは大好き。
『ローマの休日』は特に好きな映画だ。
だがその反面、恋愛映画を映画館で観ることはまずない。
何故か?
理由は単純。周りがカップルだらけのあの劇場の空気に耐えられないのだ。
基本的に僕は一人でどこにでも行く。
映画も一人で観るのは全く平気だ。
しかし、こと恋愛映画に関してはどれだけ「自分は映画を観に来たんだ」と自分自身に言い聞かせても劇場にいるだけで惨めな気持ちになる。
そんな僕がなぜ本作を観たかというと、主演が『なにわ男子』の道枝駿佑君だからである。
推しはなにわ男子のファンだった。
まだ推しと出会ったばかりの頃、推しがお勧めの本を僕に紹介してくれたことがある。
それはとても面白い本だったが、それを読むことで推しと気持ちを共有できたように感じて嬉しかった。
僕自身は特になにわ男子に詳しいわけではないけど、もしかしたら推しもこの映画を観たかもしれないと直感的に思った。
会えなくてもまた気持ちを共有できたらと思った。
主人公・神谷透はクラスメイトのいじめを止めせるためにヒロイン・日野真織に嘘の告白をする。
偽りの恋人同士であったはずの二人は、いつしか互いの心を近づけていく。
しかし真織には交通事故の後遺症により、眠るとその日の記憶を失ってしまうという秘密があった・・・・・・
美しい作品だった。
役者の演技、音楽、画の見せ方や丁寧な心理描写などよくできた映画だった。
一つだけ展開に唐突さを感じた部分はあったけれど、それすら些細なものに思えるほど文句なく素敵な作品。
両脇をカップルに挟まれるというお決まりの惨めさの中で鑑賞したが、途中からそんなことは完全に忘れて僕は映画の世界に没頭していた。
作品の中でキーアイテムとなっていたのが真織がその日の出来事を書き記した日記。
眠るとその日の出来事を忘れていしまう真織のために、透はその日記を楽しいことで埋めたいと考えるようになる。
言い換えると、この映画は『書くこと』が物語の重要な要素となっていた。
それこそが僕の心に刺さったのだ。
推しの彼女の想い出を僕はブログに書いてきた。
それは真織の日記のように毎日というものではなかったけれど、彼女に喜んでもらいたいという気持ちで書いたものだった。
おおよそジャニーズのタレントとはかけ離れた顔で恐れ多いが、どこか透と真織に自分を重ねながら僕はこの映画を観た。
ネタバレを避けるため詳細は伏せるが、いつか別れることになっても大切に思う存在のために何かをしたこと。
その誰かを思い何かを書くこと。
それはとても素敵なことなんだと背中を推してもらえた気がした。
これは推しと出会わず本作を観たなら絶対に感じることができなかった気持ち。
不思議なものだ。僕はこの映画の内容を知っていて観に来たわけではない。
推しが好きなアイドルが出ている映画。それだけの理由で観た映画だったのに、どこか自分自身に重なる内容だった。
彼女は果たして観ただろうか・・・・・・ それはわからない。
献身的に彼女を応援したと声高々にいうことは僕にはできない。
むしろできなかったことだらけだ。
確かに言葉や文字という目に見える『形』で彼女のことを今でも呟いたりしている。
でも形に出さないだけで、きっと僕よりも強く彼女のことを思っている人はたくさんいるだろう。
それでもいい。
たとえ少しだけでも想い出を書き残せたこと、彼女がそれを喜んでくれたことが大切なんだ。
推しへ
僕はこの映画を観たよ。君は本作を観て、一体どんなことを感じたのだろう?
喫茶店にて
北九州に来た時に時間があれば立ち寄る喫茶店がある。
映画を観た後、久しぶりに僕はその店を訪れた。
騒がしい外とはまるで別の空間に来たかのような静 かな店内。落ち着いた雰囲気で過ごしやすい。
「こんばんは。お久しぶりです」
「こんばんは。あら、確か前にもお会いしたことがありましたね」
過去に訪れたのは一度だけなのだが、マスターは僕のことを覚えていてくれた。
「今日は何をしにこの辺りまで来たんですか」
「いやあ、映画を観たりとか色々です」
しばらく当たり障りのない世間話をしながら、そういえば以前ここに来たのはまだ推しが店にいた頃だったと思い出す。
そんなに過去ではないはずなのに、何だか遠い昔のようにも感じる。
「最近は実家に帰ってますか?」
カップに注がれたコーヒーの煙が消えたはじめたころ、ふとマスターが僕に尋ねた。
「最近はコロナとかもあって帰っていないですね。それにあまり帰りたくない理由もあって」
この時どうしてこんなことを口にしたのか自分でもわからない。
多分、普段の生活範囲から離れて遠くに来たという気持ちがこういわせたのだと思う。
「何かあったんですか?」
「あんまり父親に会いたくないというか・・・・・・ 自分では不仲だと思ってるんです。育ててくれたことに感謝はしているんですが、気分屋でわがままばかりいって母親を困らせて。年をとると人間は丸くなるというけどそんなことはなくて、両親を見ていても家の空気が悪くてとても幸せそうには見えない。あまり家にいたくないんです」
店には時計の音だけが鳴り響いている。長居するつもりはなかったのに自分語りをはじめると止められない。
カッコ悪く止めなければと思っているのに止められない僕の悪い癖だ。
「父と僕は性格も正反対で、腹を割って話したこともないです。自分が年齢を重ねるたびに父の悪い部分ばかりが目について、自分にはこんな人間の血が流れているのかと思う時もあります。だからあまり帰りたくないんです」
「そうなんですね。今は顔を会わせてもわかってあげることは難しいかもしれません。でも、お父さんにはお父さんなりに辛いことや怒る理由もあったのかもしれません。本心からお父さんを思っての優しいことはいえないかもしれないけど、言葉だけでも理解を示すことをいえば変わってくるかもしれません」
マスターの言葉を聞きながら、同時に僕は自分の心の声に耳を傾けてみる。
いつからだろうか、父親のことをそんな風にしか見れなくなったのは。
気分屋で少しでも気に入らないことがあれば不機嫌な顔をして一言も話さなくなる父。
本当はわかっているはずだ。
嫌悪してやまない父のそんな部分が、僕にも確かにあることを。それにより嫌な思いをさせた人たちもいることを。
本当はわかっているはずだ。
自分には父を憎む権利などないことを。
「色々な人を見てきたけど、親孝行をする人は平穏な人生を過ごせる人が多いですよ。親が何であっても親は親です。あなた自身も仕事で上手く行かない時もあるでしょう。でも親孝行を考えていたら、いつか仕事でもいい縁ができると思いますよ」
親孝行
それは僕が真剣に向き合ってこなかった言葉。
向き合うことを恐れている言葉だ。
なぜならそれは責任をともなう。そして責任をともなうということは、親も年をとったと認めるということだ。
わかっている。頭では理解をしている。
だけどそれを認めてしまうと不安と恐怖が襲いかかってくる。
いつか親もいなくなるという不安。それにより自分にのしかかる責任。
そこまで考えた時にハッと気がついた。
父親がどうこうと文句をいっていても結局僕はいい年をして大人になりきれず、大人になるのを恐れていつまでも子どもでいたいと思っているどうしようもない奴だ。
それに比べたら、嫌な部分はありながらもそれでも家族を守ってきた父親はやはり立派な部分も持っている。
少なくとも今の僕よりは何倍も凄いのだろう。
なぜ親孝行をする人間が幸せな人生を送れるか今ならわかる。
その人たちはきっと、自分たちの責任を自覚して現実に向き合うことができる人たちだからだ。
現実と向き合うことから逃げ、ただ不満ばかりを口にする僕とは違う。
「今日はたくさん話しができてよかったです。ありがとうございました」
「頑張ってくださいね」
色々と情けない言葉を口にしたことに少し後悔しながら、それでも久しぶりに訪れたこの店でマスターと話ができたことに満足感も感じて僕は店を出た。
9月とはいえ外はすでに真っ暗だった。今日も一日が終わろうとしている。
情けない人生だと思った。
自分では色々と経験したつもりでも結局僕は口だけだった。
だけどそんな人生でも・・・・・・ そんな人生だったからこそ僕は今ここにいる。
そして推しのあの子に出会うことができた。
マイナスなことばかりじゃない。
父を見ていたらわかるだろう? 人間は年をとったからといって完璧になれるわけじゃない。
だからこれから学んでいくんだ。完璧になれないのはわかっている。
でも今よりも少しでも進んでいけるように。
あの子が前に進んでいったように。
電車がホームに入ってくる。空を見上げても星は見えない。
でもそれでいい。
きっと今日もあの子は前に進むために頑張っている。
そう思えるから、今はその気持がさえあれば僕には十分だった。