※この記事は作品のネタバレを含みます。
最近はほぼメイドカフェのメイドの想い出と舞台観劇の感想で占められるようになったこのブログ。
とはいっても実際のところは観劇した舞台の数はさほどでもなく、まして福岡以外の演劇を観たことがないので作品を適切に捉えられる目があるかと聞かれたら自信はない。
しかし!
そんな浅い観劇歴の中で、というより人生で観てきた『演劇』と呼ばれるジャンルの中で「これがナンバー1だ!」と感じる作品に出会った。
それが今回紹介する『Thank U Next』である。
最初にはっきりと自分の意見を述べるが、本作は『傑作』ではない。
それを越えた『超傑作』である。
今回だけで終わるのは勿体ない。これからも何度も上演して欲しい。
これまで観てきた作品の中で、ここまで自分に刺さる作品も初めてだった。
あらすじ
三宅陽太は売り出し中の歌手。
バックダンサーのメンバーやマネージャーの常田らと共に全国ツアーも決まり順風満帆な音楽人生を歩んでいるが、心に大きな悩みを抱えている。
ある日陽太は、女子高生の大嶋紡(つむぐ)に出会う。彼女は同性愛者であることを理由にクラスメイトの男子からいじめを受けていた。
陽太たちとの交流を通して次第に歌の魅力や自分を表現することに目覚めてい紡。
一方で陽太もまた、紡との交流の中で隠していた自分の悩みに向き合っていく。
先に本作を『超傑作』と書いたが、まず私が思うクオリティの高い作品とはどういうものかを整理したい。
・ストーリーに整合性があり、それが『誰』の物語なのかはっきりしている
・わかりやすい、わかりにくいは別として張るべき伏線はきちんと張る
・演出や台詞に無駄がなく、意味不明に感じる台詞や場面が極力ない
・コメディ要素がある場合は、作品の世界観を壊さない程度に入れてある
大体このような観点から私は演劇や映画、ドラマや漫画、小説などを評価している。
断わっておくが突っ込みどころ満載のB級映画やシュールなギャグ漫画も私は好きだし、エンタメ作品の全てがこうした観点で評価できると思ってはいない。
あくまで肩の力を抜いた自然体の状態で作品を観た時に、特に重点を置いているという部分だ。
『Thank U Next』はその全てにおいて高いクオリティを誇っていた。
上演会場は福岡市にあるライブハウス『ゲイツ7』
まるでサンドイッチのように客席を挟む形でライブステージとバーカウンターがあり、その両方を使って俳優たちが演技を行っていた。
いわゆる一般的なステージに向かい合って観劇する作品しか知らない自分にとって、会場の形を利用した上演形態はとても新鮮だった。
さらに物語上の主な舞台は文字通りこのライブハウスの中であり、外を表現する場合はステージの背景に外の景色を映す形で表現されている。
こうした演出により登場人物がどこにいるのかわかりやすい、しかも観客がいるこの場所が今まさに舞台という初めての作風に衝撃を受けた。
物語は陽太のライブシーンから始まる。
文字通りライブハウスの中で歌っている場面なのだが、観客に手拍子を求める演出がありこれは上手いと思った。
一緒になって手拍子をしたのだが、その時点でとても楽しい気持ちになった。
「この作品はこれまで観た作品と何かが違う」
直感的にそう感じたのを覚えている。
本作の核となるのは交流を通して変化していく陽太と紡の心情だ。その交流が実に心地いい。
紡は同性愛者であることを自覚しているが、家族である父親と妹にはその事実といじめを受けていることを秘密にしている。
そして陽太も何かしらの秘密を抱えている。
秘密を抱えた似た者同士であるからこそ、出会って間もないにも関わず理解し合っていく過程に無理がない。
他にも本作は状況が台詞の中で極めて自然に説明されることも好印象だった。
陽太と紡をはじめ、陽太のマネージャーである常田やバックダンサーのメンバー、紡の家族など本作にはさまざまな人物が登場する。
紡の母は故人であり父と妹と暮らしていることを陽太に語るのだが、これが本当に自然に会話の中で説明されるので違和感がない。
全編を通して説明のための説明台詞がなく、あくまで必要だから交わされる会話の中に説明が入っている。
これにより作品のテンポが崩れることなく、わかりやすい形で登場人物たちの関係性を把握することができた。
登場人物たちもそれぞれ魅力的であり、俳優陣の演技力も高い。
本作は2チーム制で公演されており、私が鑑賞したのはBチーム。
陽太役として両チームで出演するの東条柳と紡役の心乃音はともにアーティスト活動も行っており、その歌唱力はライブシーンで遺憾なく発揮されていた。
本作では『歌』が物語の中で大きな意味を持つが、それを表現するにふさわしいキャスティングだ。
それ以外の人物も人間味を感じて好感が持てた。
そしてこうした人間味のある魅力的な登場人物たちだからこそ、ラストに至るまでのそれぞれの苦悩に胸が打たれる。
陽太の抱える秘密とは、売れるために常田の指示で変えざるを得なかった音楽性を昔の形に戻したいということだった。
それが判明した時の私の心情は正直「えっ?それだけ?」といったもの。
物語も中盤に差し掛かった頃なのだが、さんざん引っ張ったにしては物語を引っ張るにしては弱いと感じた。
しかしそれは大きなミスリードだった。
全国ツアーのスタートが迫る中、自分の本心に向き合った陽太は紡に動画でメッセージを残そうとする。
しかしそれを終えた時、陽太は倒れ帰らぬ人となってしまう。
陽太が抱えていた真の秘密とは病気に侵されていたということだった。
これにはやられたと思った。陽太の悩みが弱いと感じたことも実は伏線だったのだ。
これこそ脚本のマジックである。
作中の状況の中では登場人物たちが悲しみに暮れていたが、この二重の秘密を仕掛けた物語構造は見事としかいいようがなかった。
無論それだけが本作の魅力ではない。
陽太の死をきっかけにして、登場人物たちはそれぞれこの現実に向かい合っていく。
陽太に病気のことを知らされなかったことで自分たちの存在に苦悩するバックダンサーや常田たち。
実は陽太の古くからの友人であり、誰よりも彼を思っていたバーのマスターである桐谷の心情。
そして陽太がいない喪失感を誰よりも感じていた紡。
ここまで丁寧に描かれたきたそれぞれの物語があるからこそ、現実を受け入れ進んで行こうとする彼らの姿に感動した。
唐突な展開などはない。
丁寧に積み上げられた人間描写こそ本作の最大の魅力である。
陽太の死を受け入れた紡は家族に自分の真実を伝え、彼との交流の中で得た歌手になる夢を実現するためにライブハウスで歌う決意をする。
物語中盤に陽太が桐谷に心情を打ち明ける場面がある。
かっては一緒に音楽活動をしていたが、桐谷は陽太に音楽の夢を託しその道を退いていた。
そして陽太も、いつか誰かに音楽の夢を託す日が来るかもしれないと語る。
これもまた伏線で、陽太の言葉は紡が音楽の道に進むことで彼の意志は今後も生き続けるのだ。
悩みを抱えた人間同士の交流による心情の変化。悲しみを経てそれが希望へと変わっていく展開。
積み上げられたそれぞれの人物の物語が紡の成長につながる素晴らしい物語。
それが『Thank U Next』
死が描かれる本作ではあるが、実はコミカルなシーンも用意されている。
紡の父である孝昭は、娘たちにいい恰好を見せようと対外的には強面の人物を演じようとしている。しかしその実態は娘に対しては物凄く甘い父親なのだ。
それを突っ込まれるシーンは爆笑なのだが、同時にとても高度な演出だと感じた。
このコミカルさも孝昭のキャラクターを観客に表現するために用意されたもので、あくまで作品の世界観を壊さない程度に添えられている。
もちろん観客を笑わせる意図はあるはずなのだが、世界観を壊してまで強引にギャグシーンを入れようといった雰囲気は感じられなかった。
あくまで自然なのだ。
シリアスとコミカルのバランスの良さ。それも実に練られていたと感じている。
総じて自分にとって満足度の高い作品であるが「ここがこうだったら」という箇所もなくはない。
具体的には陽太の死について、病気であるならなぜ病院に行かなかったのかと疑問が残る。全国ツアーが間近に迫る状況だったからかもしれないが、それでも普通の感覚ならやはり病院にいくのではないか。
もちろん描かれていないところで行っていたのかもしれないが、伏線があるにしても急に病状が酷くなったような様子はやや唐突に感じた。
例えば陽太の死後、誰かの台詞で「手遅れの状態だった」などがあれば病院に行かなかったことも納得はできたと思う。(まさか演劇に対して「ではその病気は何だ」などと突っ込む人がいるとも思えない)
また陽太が死を意識していたならば、紡がいじめにより死を考えるくらい追い詰められているシチュエーションを作ることで、より深く『生きること』についての両者の交流を描くこともできたかもしれない。
しかしこうした部分は丁寧に作り上げられた作品に対しては些細なものである。
物語、演技、演出の全てが高いクオリティを誇る本作は間違いなく人に勧めることができる作品だ。
このような素晴らしい作品に出会えたことに感謝したい。
それにしてもである。
冒頭でライブを終えた陽太が仲間たちとテキーラを飲む場面があるのだが、そこが妙に気に入ってしまった。
個人的なことになるが、先日人生で初めてテキーラを飲んだ。
まるでガソリンのようで間違っても美味いとは感じなかったが、そうしたものを敢えて飲むことで仲間たちと盛り上がる気持ち。
不味いものを笑いながら親しい人々と飲むことで生まれる特別な時間があること。
実際に飲んでみたからこそ、なぜ彼らが祝いでテキーラを飲むのか想像できたことが自分にとっては面白かった。
そしてもう一つ。
本作の中で特に自分に刺さったのが「いわない優しさという優しさがこの世界にはある」と感じたことだ。
物語の終盤。
紡に同性愛者であることを告白された孝昭は、家族であっても言葉に出さなければわからないことがあることに気づく。
それと対になるのが、バックダンサーの仲間たちや常田に病気であることを最後まで隠していた陽太の姿だ。
恐らく陽太は仲間たちに心配させたくなかったのだと思う。
最後までアーティストでいたいと陽太が語る場面があるのだが、そこには「どうせいっても無駄だから」といった悲壮感は感じない。
いわないことが陽太なりの優しさだったのだろう。
インターネットの発展と共にSNSもスマホも普及した。
誰もが気軽に、しかも世界中に向けて言葉を発信することができる。
それでもだ。
何でもいっているようで、私たちは本当にいいたいことをいえているのだろうか。
友達に、恋人に、家族に自分の気持ち全てを伝えている人など恐らくいないだろう。
伝えないよりは伝えた方がいい。言葉にしなければ伝わらない。そのことは十分にわかっているはずなのに。
なぜだろう。
「いわない方が楽だから」
確かにそれもあるだろう。でも一番は、いうことで相手を傷つけたくないという気持ちがあるからではないか。
それを優しさというのではないだろうか。
人間は恐い生き物だ。その本質は悪かもしれない。
それでも他人を思い「いわない」という気持ちがあるのなら、人間には確かに優しい部分もある。
一方でいわなければ伝わらないことも確実に存在する。
時にいい辛くても、相手に伝えなければならないこともあるだろう。
いわれた方の心は深く傷つくだろう。
しかし見方を変えれば、いい辛いことを伝えるというのは相手にとって誠意である。
それが向かい合って面といわれた言葉ならなおさらだ。
信じるに値する言葉だ。
これはどちらが正しいとも間違っているともいえない。
この世界はその二つで成り立っている。
陽太と紡の姿を通してそんなことを考えた。極めて個人的な事だが今の自分には必要なことだ。
そういう意味でも本作に出会えて心から良かったと思う。
素晴らしい作品である『Thank U Next』が今後一人でも多くの人に観られる作品となることを願いたい。