ネコはミカンを片手に夜明けを待つ

日々の中で出会った映画・本・お店、演劇や物などを総合的に紹介する雑記ブログです。

演劇『極楽こたつ』感想

福岡という街が、演劇活動が盛んな土地であると知ったのは最近のこと。

たくさんの劇団とたくさんの演者たち。

役者、モデル、アイドル、パフォーマー、芸人・・・・・・

経験も経歴も異なる多くの人たちが1つの場所に集い、互いの全力をぶつけ合いながら作り上げる演劇というエンターテインメント。

 

そのエンターテインメントに本屋が参加!

 

「一体何のこと?」と思われる方もいるかもしれませんが、文字通り本屋の一角を舞台として演劇を提供するという試みがこの度行われました。

場所は福岡市にある福岡天狼院

 

さまざまなゼミやイベントを提供し、単なる本屋という枠組みを越えたサービスを展開している天狼院書店の新たなプロジェクト。

その名も『劇団天狼院いぶき』

その旗揚げ公演となる演劇『極楽こたつ』は、店舗スタッフである鳥井春菜さんが脚本を手掛けた作品です。

 

上映時間は30分。登場人物は2人。

本屋という空間のため本格的な音響や舞台装置はなく、始まる前までどんな作品なのか想像もできませんでした。

 

2人の登場人物は兄妹。

会社を辞めて無職の兄が妹の部屋で過ごしている所から物語が始まります。

大手企業で毎日残業だらけの日々を送る妹。

時に互いの不満をぶつけ合い喧嘩しながらも、つかの間の時間を過ごす2人。

しかし、互いの認識している現実がどこか違っているという奇妙な感覚に気づき・・・・・・

 

本作のタイトルの由来となっていて、物語の重要な舞台となっているのがコタツ。

実は福岡天狼院には、実際にコタツが置いてありお客さんが過ごせるスペースがあります。

しかし『極楽コタツ』ではコタツの表現が俳優陣による演技、つまりエアコタツで表現されていました。

 

これには意表を突かれましたが、しかしそこはプロ。

小道具が何もない中で、体の動きだけで確かにそこにコタツがあるように見えました。

そしてコタツという表現は、場所の狭さを上手く利用しているということに気づかされます。

これがもしもっと広い舞台であったならば、とてもコタツには見えなかったでしょう。

 

物語は一見すると兄と妹の日常を描いているように見えますが、そこには意外な展開が隠されていました。

本作は兄が妹を守る物語であり、妹が兄を想う物語。

 

『男はつらいよ』シリーズをはじめ今年さまざまな意味で話題となった『ちむどんどん』など、だらしない兄と働き者の妹という構図は多くの作品で見られます。

一見するとありふれたように見える設定ですが、『極楽コタツ』を鑑賞することでこれは題材を変えれば無限に物語が作れる非常に優れた設定であることに気づきます。

その普遍的な題材と場所の設定を活かした本作は素直に面白いと感じられました。

 

豪華な小道具や舞台装置がなくても、なぜ本作を面白いと思えたか?

それは突き詰めると、舞台演劇というのが観客の想像力に訴えかけてくるものだという結論にたどり着きます。

 

映画やドラマなどの映像であれば、基本的に場所や小道具などは全て何らかの形で視覚的に表現されています。

しかし舞台演劇では、どんな大規模な作品であってもそこは閉じられた世界。

だからこそ、そこには観客が想像する余地が生まれます。

それは演じる俳優の演技に迫真性があればあるほど強く想像力を働かせる。

 

『極楽コタツ』では場所と観客の距離の近い分、俳優の演技がダイレクトに伝わってくることで登場人物の感情もそこにあるであろう小道具や食べ物の存在も感じられました。

同時に、時折挿入される鼻歌など緩急のある演出により中だるみのないスピーディーな展開となっていることも魅力です。

それも何の脈略もなしに出てくるのではなく、それがあることで兄妹の普段の距離感を表現することに効果を発揮していました。

 

ここ最近はいくつかの演劇を鑑賞していましたが、実は演技による想像の重要性『極楽コタツ』を観て改めて気づかされました。

舞台、映像問わず演劇というコンテンツには多くの魅力があります。

ストーリー、BGM、小道具、演出・・・・・・

その中にあって、舞台演劇での魅力の1つに『俳優の演技でどこまで想像力を働かせられるか』という自分なりの基準を見つけられました。

 

何もないからこそ演技という、演劇の最も根源的な要素で世界観を表現した本作。

ここから今後どういった物語が生まれていくのか。

そのことに期待したくなる面白い作品でした。