ネコはミカンを片手に夜明けを待つ

日々の中で出会った映画・本・お店、演劇や物などを総合的に紹介する雑記ブログです。

劇団ジグザクバイト「漫豪ストレートMAX」感想

 

作品概要

  • タイトル:漫豪ストレートMAX
  • 種類:舞台演劇
  • 上演期間:2024年4月20日〜2024年4月24日
  • 会場:ぽんプラザホール(福岡市)
  • 企画・製作:劇団ジグザグバイト
  • キャスト:八坂桜子、麻倉えいみ、テシマケント、白瀧姫翠、小田あいか他

ストーリー

北部九州の街フクオカ。その一角である「誌面街」を舞台に、街を支配しようとする犯罪組織「マンガーソン」とそれに立ち向かう警察、街の人々の戦いが描かれる。

「漫豪ストレートMAX」感想

大傑作だった。

ストーリーのわかりやすさ、登場人物の個性、殺陣の迫力、ギャグを挟みつつも芯の通ったシナリオ、感情や空気を視覚的に伝える照明。

全てのクオリティが高く、二時間の上演時間があっという間に感じられた。

パロディの絶妙さ

これまでもアニメやテレビ番組など、さまざまなパロディを作品に取り入れてきた劇団ジグザクバイト。そんなジグザグバイトが漫豪ストレートMAXでパロディの題材としたのはマンガであった。

結果としてそれはストーリーに深く結びつき、ただのセールスポイントにとどまらない重要な要素として機能していた。

 

パロディとして登場するのは知名度の高い作品たち。敵も味方もそれらの作品にちなんだ特殊能力を使用する。

潔いほどに元ネタそのままの技名を、これまた元ネタのキャラクターを彷彿とさせる衣装を着た俳優陣が大真面目に演じるため笑いが起きないわけがない。

そこには一体何を見ているのかというバカバカしさがある。

 

だがそれこそがジグザグバイトの作品の魅力。気がつけばそのバカバカしさから目が離せなくなっている。

そしてここからが大切なのだが、このパロディ要素がストーリーに深く結びついているからこそ漫豪ストレートMAXは面白いのだ。

 

例えば作中ではトヨタロウというドラゴンボールのパロディキャラが登場している。

中盤で力不足を感じたトヨタロウは父親に修行をつけてもらうことで強くなり、主人公であるキュー太郎の強力な味方となる。

修行は元ネタにおいても作品を構成する重要な要素だ。演出自体はパロディでも、それを作中にうまく取り入れることで元ネタへのリスペクトを感じた。

そうしたリスペクトを感じる部分は他にもある。単に笑いの要素に終わらず熱い展開を生み出すからこそ、漫豪ストレートMAXのパロディの質は非常に高いと感じることができた。

注目のキャスト陣4選

八坂桜子

劇団ジグザグバイト所属にして漫豪ストレートMAXの主演を務める八坂桜子

今回演じたのはマンガーソン壊滅のために働く警察官のキュー太郎だ。男性役の多い彼女だが、演技のテイストは作品ごとに少しずつ異なり、今作でもこれまでと違った彼女の表情を見ることができた。

キュー太郎は警官という固い職業の人物で、他の登場人物より少し年上にあたる。

感情を高ぶらせる場面はあるが、落ちついて話す場面では大人の雰囲気を感じられた。

一方で殺陣の場面になると、彼女らしく伸びやかで元気いっぱいのアクションを披露している。

今後新しい役を演じる中で、八坂桜子がどのような大人の人物像を見せてくれるのか期待が持てる演技であった。

麻倉えいみ

麻倉えいみは北九州のアイドルグループ「愛Dream」に所属。今作ではヒロインのオオバツグミ役を演じている。

ツグミはヤクザの家の娘だが、仲間とともにマンガーソンの支配に立ち向かう勇気のある少女。「若さ」「勢い」そういった単語がピタリと当てはまる人物だ。

作中ではライブ場面もあり、その歌声を存分に披露している。物語を引っ張るパワーを持った麻倉えいみのツグミは、観劇後に「観に来てよかった」という爽やかな気持ちを残してくれるだろう。

高橋力也

高橋力也が演じるトヨタロウは、キュー太郎と並ぶもう一人の主人公といえる人物だった。殺陣の場面の多くを担うトヨタロウを、高橋力也は抜群の身体能力で演じている。

汗びっしょりになりながら舞台を駆け回る姿から感じる生命力。その疲れを微塵も見せず演技を続ける集中力。そして鍛え上げられ体はトヨタロウの強さに説得力を与えている。今後の活躍が注目される福岡の俳優の一人だ。

花岡昊芽

花岡昊芽(こうめ)が演じるヒロエレイはトヨタロウとのちょっとしたラブロマンスが描かれている。作風がコミカルなためライトな雰囲気だが、高橋力也と花岡昊芽の美男美女の組み合わせは実に映えており二人の距離感が見ていて微笑ましかった。

レイはメイド服姿だが花岡昊芽はそれを見事に着こなし実に似合っていた。映画「ノルマル17歳。-わたしたちはADHD-」に出演するなど、活躍の場を広げる花岡昊芽の今後に注目したい。

 

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ドラゴンボールへのリスペクト

今作にはトヨタロウという人物が登場し、特殊能力として「かめはめ波」を使う。元ネタはいうまでもなく「ドラゴンボール」だろう。

トヨタロウの父親はまんま孫悟空の道着を着ているし、妹の名前は「ブルマ」だ。もちろん元ネタでは悟空とブルマは兄妹ではないが、それでもファンとしてはクスリと笑える配役だ。

 

漫豪ストレートMAXの中盤、自分の弱さを知ったトヨタロウは喧嘩別れしていた父親に頭を下げ修行をつけてもらう。強くなったトヨタロウはキュー太郎を助け、マンガーソン壊滅に大きく貢献する。

 

この展開に心が熱くなった。

 

2024年3月1日、ドラゴンボールの原作者である鳥山明がこの世を去った。

90年代初頭に幼児期を過ごした自分にとって、ドラゴンボールは当然のように見ていたアニメであり今でも大好きな作品である。

 

少し説明すると原作のドラゴンボールはすでに完結しているが、続編の「ドラゴンボール超」が2015年からテレビ放映されVジャンプで漫画版も連載されている。

漫画版「ドラゴンボール超」は鳥山明ではなく、ドラゴンボールの熱烈なファンであり鳥山から才能を認められたとよたろうが手掛けている。

 

ひょっとしたら漫豪ストレートMAXに登場するトヨタロウは、この漫画家のとよたろうのイメージしていたのかもしれない。

数々のマンガ家がリスペクトし世界中にファンがいる鳥山明。あまりにも大きな存在であり、それが失われた喪失感は計り知れない。

だからこそ鳥山の意思を継ぎ、ドラゴンボールを続けていく責任を背負ったとよたろうの重圧は計り知れないだろう。

 

それを思えばこそ、ジグザグバイトの漫豪ストレートMAXでとよたろうが強くなる姿が心に刺さった。

意図されたものかそれとも偶然かは分からないが、とよたろうに鳥山明を越えていって欲しいというエール。それを今作から感じることができた。

 

同時にドラゴンボールという作品の持つ魅力や面白さは不滅であり、福岡でも鳥山明へのリスペクトを感じることができたのも漫豪ストレートMAXを観劇して良かったと思えた部分である。

「漫豪ストレートMAX」は誰もが楽しめる大傑作

パロディは元ネタを知っている人間にとっては笑いを取りやすいネタだ。だが一つの作品として成立させる場合、それ単独では作品として成立しない。

パロディを取り入れながらもその作品ならではの世界観の構築が不可欠だ。

 

劇団ジグザグバイトの漫豪ストレートMAXはそれを見事に描き、フクオカで逞しく生きる人々の姿をバカバカしくも愛を感じられるように描いた大傑作であった。

 

2024年、劇団ジグザグバイトは東京での公演が決定している。

 

「めちゃくちゃな街」というセリフが漫豪ストレートMAXの中には登場する。そのめちゃくちゃな街にある劇団ジグザクバイトの作品には、開けるまで何が出てくるか分からないびっくり箱のような面白さがある。

 

めちゃくちゃな街に生きる劇団、そして俳優たちのパワーを東京で存分に披露してきて欲しい。そのための助走として、ジグザグバイトの作品の面白さを改めて感じることができた2024年の春公演であった。

 

 

舞台感想 劇団テンペスト藍色企画第2弾「どうしようもない」

福岡で舞台を観始めた頃は好きな女優を追いかけることばかり考えていた。それは今も変わってはいない。

好きな役者も増え、その人たちに会いに行くことは楽しみではあるのだが舞台を観に行く生活も3年に差し掛かると気持ちの方も落ち着いてくる。

ミーハーな気分から少しだけ進んで、以前よりも舞台の魅力や面白さとは何なのかを考えながら観劇するようになった。

 

舞台の魅力の一つは「感情を思い出させてくれること」である。少なくとも自分はそう思っている。

 

大人になって日常生活を送っていると感情を忘れることを覚えていく。辛いことや理不尽な目にあっても、怒ったり悲しんだりするのではなく関わらない、反応しないことがデフォルトになっていく。

それは確かに自分の心を守るために効果のあることだが、人が本来持つ自然な感情を知らず知らず忘れていく一面もあった。

人間が文学や芸術を生み出したのは人間らしい心を忘れないようにするため・・・・・・ 案外そんな考えも大げさではないと思う。

 

2024年最初の舞台観劇となった劇団テンペスト藍色企画第二弾「どうしようもない」は、まさに感情がどういうものだったのかを思い出させてくれる作品だった。

あらすじ

母親が出ていって二十年。父親が死んで十三年。人間として見られなくなって三年。許した長女。許せなかった次女。帰ってきた長男。舞台は2014年。世間では他人の目や声への注目が集まり出した時代。父親の13回忌を終えた沙耶香と莉子。沙耶香は区切りをつけるため実家をなくそうという話を持ち掛ける。そんなとき、10年前に家を出た長男拓斗が帰ってきて・・・

引用:「どうしようもない」パンフレット

甘棠館show劇場で上演後された本作は、主に主人公である村山家の一室で話が進んでいく。舞台には中央にテーブル、それを囲むように椅子、そして沙耶香が描いたという設定の絵が配置されていた。 

 

村山家の三兄妹の背景は重い。

父親から暴力を受けて育ち、母は出ていき不在という環境の中で長男の拓斗は暴力団の構成員となる。その影響で沙耶香と莉子は陽のあたる人生を歩めていない。

拓斗は組織を抜け家に戻るが、沙耶香は受け入れようとするが莉子は拓斗を拒絶する。拓斗は二人を家族と思っているが、同時に組織でともに過ごした兄弟分のことも家族と思っている。

ただ普通に生きていきたいと願う兄妹たちだったが、世間の「どうしようもない」視線はそんな願いさえ踏みにじっていく。

 

最初に感情のことについて書いたが、本作の登場人物たちはとにかく声を荒げて怒りや悲しみを訴える。

そうした人物の造形に苦手意識を持つ人もいるだろう。さらに感情の起伏が激しいということは、必然的にその時心で思っている全てを台詞にするということでもあり、結果として台詞の多くが説明台詞になるという一面もある。

だが一方で、言葉にしなければ伝わらないこともこの世界には存在する。

 

「どうしようもない」の魅力はまさにそこなのだ。

 

作中で特に悲痛な叫びを上げていたのは田中文萌演じる莉子である。

拓斗を許そうとする沙耶香に代わって、莉子はこれでもかというほど拓斗に憎しみをぶつける。

もちろん台詞を抑え、表情や仕草で観客に行間を読ませることも「表現」ではあるだろう。しかし声を張り上げていてもそれがただの大声に終わらず、観客に感情を感じさせてくれることもまた表現だ。

 

莉子だけでなく、他の登場人物も理不尽な状況に自身の感情を叫び続ける。

まるで観客の感情移入を拒むようなその姿だが、同時に感情が確かに伝わってきたのはひとえに役者陣の演技によるものである。

そしてそれを観た時に、自分の中でいつの間にか抑え込んでいた心を思い出したのだ。

 

人間とはこんな風に怒り、人間とはこんな風に悲しむ。

 

映画やアニメ、漫画でも登場人物の感情を見ることはよくある。というより、コンテンツが多様化した今それに触れずに生きることは不可能だ。

だがスクリーンやスマホといった仕切りがない分、舞台ではより強くそれが伝わってくる。人間の生の感情を伝える「どうしようもない」は悲惨な話でありながらも、舞台の魅力に満ちあふれていたと思う。

 

役者の演技が良かった一方で惜しい部分もある。終盤になるにしたがって、登場人物の行動原理が分かりづらくなるのだ。

ようやく再生への光が見えてきた兄妹たちだったが、拓斗が帰ってきたという記事が世に出たことで再び世間からの好奇の目にさらされてしまう。

しかもその情報の出どころは、拓斗不在の間に村山家を援助していた刑事と拓斗が所属していた組織との交流もあった情報屋によるものだった。

それにより再び気持ちを引き裂かれた沙耶香は、拓斗が慕っていた組織の兄貴分を刺してしまう。

 

観劇していてどうにもこの展開が腑に落ちなかった。兄貴分は拓斗のことを思いやる人物として描かれている。

そんな彼を沙耶香が刺すことも「どうしようもないこと」の悲惨さの一端だったのかもしれないが、沙耶香と兄貴分の間にはほとんど交流がないのだ。

沙耶香にとっては組織さえなければという気持ちだったのかもしれないが、それならもっと両者の間にドラマが必要だったと感じる。

 

他にも記事が世に出たのは情報屋のせいなのだが、そこには明確に人の悪意が存在している。情報屋には情報屋なりの行動原理があったことを想像させる場面もあるのだが、彼さえいなければ兄妹は平和に暮らせていたと思うのだ。

例えば再出発した拓斗が懸命に働き人々からの信頼を得るが、ある時過去がばれ人々から阻害されその上で悪意の噂が広がる・・・・・・ といった話でもよかったのではとないか。

誰か特定の人物の悪意ではなくふとした出来事の連鎖、個人的にはそういう追い詰められ方だとより強く「どうしようもない」悲壮さが伝わってきたように思う。

 

最終的に物語は、互いの気持ちを通い合わせた兄妹たちが自ら命を絶つという結末をむかえる。これをハッピーエンドと取るかバッドエンドと取るかは観客それぞれの人生観によるだろう。

 

本作は爽やかな結末とならないことで観客に宿題を残していった。

こういう終わり方は嫌いではない。悲惨なラストは芸術性があるという安易な考えは言語道断だが、要はそこに至るまでのドラマがしっかりと描けていればいいのだ。

 

時系列がやや掴みにくいことや終盤の展開に思うことはあるものの、三兄妹のドラマとして本作は最後まで一貫性を保っていた。

だから苦い終わり方であっても、結末としてはこれ以外はない結末だったと思う。散漫にならずしっかりとまとまっていた。

 

それにしても「どうしようもない」というワード一つからよくこれだけの物語が作れたと思う。

本作を一言で言い表すならこれ以外の言葉はない。

どうしようもない状況を作るだけならコメディでも恋愛でもさまざまな選択肢はあったと思う。その中で重いテーマを選んだことに関しては、脚本と演出を務めた上野直人の明確な意思を感じた。

 

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藍色企画の第1弾である「体温」の時も感じたが、彼が書いた作品からははっきりと彼の「色」が見て取れる。

福岡という小さな街で、しかも上演される舞台のほんの一部しか観劇していない身だがそれでも他の劇団にはない味わいが藍色企画の作品にはある。

 

恐らく作品というものは人間の成長と同時に成長していく。またいつか彼の作品を観れるなら、次はどのような人間の姿が描かれるのか。

ひとまずはそれを楽しみに待ちたい。

最後に余談を一つ。

本作で莉子を演じた田中文萌だが、2024年は忍者としてタイでパフォーマンスを披露することが決まっている。

どうしようもないで見せた感情の表現。それとはまた違う形にはなるが、彼女の持つ表現力を遠い異国の人たちにも見せてきて欲しいと思っている。

同時に世界で活躍する日本人が福岡にもいること。

最底辺のブロガーが書くのは分不相応かもしれないが、この記事が少しでもそのことを世に知らせる手助けとなれば幸いである。

 

また出会えたから、後悔しなくてすんだよ

その人に初めて会った時、以前にもどこかで会ったことがあるような、そんな気がしました。後になってそれは完全な勘違いであったことがわかるのですが、今思うと「会ったことありませんか?」という口説き文句(失礼!)のようなことを言ったことでお互い印象に残ったのかもしれません。

 

たくさん色々なことがあって、再び出会えたその人とも別れの時がやってきました。

その時が来るまでの間、ずいぶん弱音や愚痴なども聞いてもらいました。もっと楽しい話もたくさんしておけば良かったと思うのですが、この一年ほどはそういう心の余裕が私にはありませんでした。

 

いつだったかその人が夢を語ってくれたことがあります。それはとても温かくて、とても尊いものでした。

決して平坦な道のりではないかもしれませんが、その人の夢が叶ってほしいとその時の私は心から願いました。

 

人生には色々な出会いと別れがあります。

後になって振り返ると、まるで神様がそうしてくれたように失われたものを取り戻すチャンスが与えられることがあります。

私にとってはその人と過ごした時間がそうでした。

今回、新しい道に旅立っていくその人の姿を見送れたことで以前はできなかったことをすることができました。

 

その人に最後にあった日、たくさんの人が会いに来ていました。そのことに心から喜びを感じました。

待っている時間ですら、これまでのその人の頑張りがようやく報われた証だと感じられ嫌な気持ちは全くしなかったですね。

最後に会ったその人は、これまで会った中で一番美しい姿をしていました。

まさに晴れ舞台といった感じで、心にぐっとくるものがありました。

 

その最後の日は特別なことは話しませんでした。最後だからこそ、これまでの感謝を伝えその人のこれからの幸せを願っていることを私は伝えました。

その人も同じことを思っていると伝えてくれました。その時、ふと脳裏に最初に出会った時のことが甦りました。

 

その時はこんなに長い付き合いになるとは思ってもいませんでしたが、いつのまにか自分の中で誰よりも心許せる存在にその人はなっていました。

「この仕事が好き」と優しく微笑むその人の胸の奥にある強さ、苦しさに耐えてきた姿、心配する時もあった反面そうした姿に勇気づけられてきました。

 

私はいつのまにかその人のファンになっていたのだと思います。同時にその人との別れが訪れた今、本当に自分だけの力で人生を生きていかなければならない時がやってきました。

それは今まで以上に大変なことかもしれませんが、幸せを願っていると言ってくれたその人のためにも精一杯やらねばと思います。

 

何より最後まで優しく微笑み続けたその人の姿を私はこれからも忘れることはないでしょう。本当にお疲れ様でした。ありがとう!

この一年のこと

2022年11月13日

2022年11月13日、僕は福岡タワーをピンクにライトアップした。推しのためだった。

かつてメイドカフェで働いていた女の子、大きくて美しい瞳が印象的だった子。明るい声と笑顔が太陽のようだった、この世界で一番かわいい僕の推し。

 

彼女が店を卒業してしばらく経った頃、ふとしたきっかけで僕は福岡タワーをライトアップできることを知った。

福岡では「ドゲンジャーズハイスクール」という特撮番組が放送されていた。出演は当時アイドルグループ「MAGICAL SPEC」に所属していた藤松宙愛(ふじまつそら)だ。

推しの卒業後、僕は心にぽっかりと空いた穴を埋めるように新たに出会ったこの子を応援した。

 

そして彼女の誕生日に、ファンの方が赤くライトアップした福岡タワーを見た。その時に思ったのだ。

「これを推しの誕生日の時にやりたい」と。

 

ほとんど勢いに任せたようなものだった。その頃は副業の収入がある程度あって、頑張れば何とかできると思った。

予約日になって狙うは彼女の誕生日当日。日付が変わると同時にサイトに張り付いていたものの、その日は先に他の誰かに予約されてしまい僕の目論見はあっけなく砕けた。

 

が、どうしても諦めがつかない。

「そうだ!他の日にしたらいい。生誕が一週間くらいズレるのはメイドカフェらしくていいじゃないか!」

何とも無茶な理屈で自分を納得させると13日に予約を取ることができた。色はもちろん、あの子のカラーだったピンク。

 

そしてむかえた11月13日。その週は晴天が続いていたにも関わらず、何故かその日に限って悪天候となった。

しかも11月の海の近くの福岡タワーである。寒いし風が強い。

別に推しが見るわけでもないのに、ただ自分が勝手に納得したいだけだというのによくやるよと自嘲気味にタワーを眺めていた。

 

彼女がメイドだった頃、自分なりにできる限り彼女を応援できたとは思う。

だけど彼女が卒業して振り返ってみれば、僕の応援はまったく足りなかった。

 

もっと会いに行けばよかった、もっとたくさんチェキを撮ればよかった。

何もできなくてごめんよ。

 

日増しにそんな思いが大きくなっていた僕にとって、タワーのライトアップは自分なりのけじめの意味もあった。

それをやったからといって何がどうなるわけでもなかったが、後でSNSに写真を載せていればいつかどこかで彼女が見てくれるかもしれないと思った。

もう二度と会えなくても構わない。彼女の中でメイドだった日々が記憶から想い出に変わっていったとしても、彼女のことを覚えている人間が確かにここにいることが伝わればいいと思った。

 

「すいません、写真撮ってください」

突然聞こえた声の方向に目をやると、観光客らしい男女がカメラを手にして立っていた。

上手く撮れるか自信はなかったが、断る理由もないので僕はシャッターを押した。

「ありがとうございました」

そう言って二人はその場を後にする。その姿はとても楽しそうだ。

「お幸せに」

気づいた時には僕は二人に向かって叫んでいた。

少しびっくりした様子で二人は僕を見る。でもすぐに笑顔で手を振ってくれた。

 

僕の撮った写真がちゃんと撮れていたかはわからない。だけど二人が笑顔になってくれたことが嬉しかった。

思えば彼女を応援していた時もこんな気持だった。会いに行った時、チェキを撮った時、差し入れをした時、話をしている時・・・・・・

彼女が笑ってくれのが嬉しかった。喜んでくれることが嬉しかった。それがその時の僕の生きがいだった。

 

それは彼女もそうだったのかもしれない。お客さんのため、ファンのために頑張っていた彼女。どんなことにも真剣だった彼女。

大変なこともたくさんあったはずだ。だけど最後までメイドとして頑張れたのは、お客さんの笑顔があったからではないか。

僕もその一人になれていただろうか・・・・・・

 

福岡タワーに来る途中で雨が降った。傘を持ってきていなかった僕は、仕方なくコンビニで600円出して傘を買った。何本あるか分からない家のビニール傘にまた一つ仲間が加わる。

そのことに苛立ちを感じていたが、ライトアップの時間になると雨が止んだことに心救われた。

 

そしてその時が来た。

終わってみれは10分の出来事だ。ただ見ているうちに時間は過ぎた。忘れないように写真も撮った。

都市高を走る車の中から、自宅から、路上から、さまざまな場所でこの時のタワーを見た人もいたかもしれない。その人たちは決して知ることはない。

 

かつて福岡市天神のとあるメイドカフェに、とても素敵な女の子がいたことを。

お店を、お客さんを、メイドの仲間を愛した子がいたことを。

懸命に、真剣に、メイドとしての時間を駆け抜けた彼女。

この日のライトアップはその子のために行われたのだ。

 

「これで終わったな・・・・・・ 気は済んだ」

ライトアップが終わったタワーを見て僕は思った。

「ゴジラVSスペースゴジラ」でスペースゴジラのエネルギー源を断つためにゴジラが破壊した建物だ。まさか自分がそれをライトアップする日が来るとは思わなかつた。しかも推しのために。

 

いい人生だと思う。満足だった。これまでこんなに誰かを一心に応援したいと思えた人は、彼女以外いなかった。

例え本人に届かなくてもいい。永遠に会えなくてもいい。

この日この場所に僕がいたこと。それが変わらぬ僕の気持ちだ。

これからも彼女の幸せを願いたいと思った。そして忘れてはならない言葉を心の中でつぶやいた。

「お誕生日おめでとう、陽向あかりさん」

それからの一年

どんなに疲れていてもアラームより先に目が覚めるのは体がリズムを覚えているからなのだろう。

天井を見上げて心と頭の回路がつながる。だらだらとスマホを開き意味もなくニュースを確認する。テレビをつける習慣はなくなった。

毎朝食パン一枚とコーヒーを口にした後に身支度をする。髭を剃るのは2日に一回。マスク生活で唯一快適に感じる部分だ。

 

鏡に映る顔を見つめ「老けた」と思う。当然だ、もうアラフォーなのだ。若いと言い切ることはできない。白髪も日増しに増えていく。

ドアを開け車に乗る。3号線は今日も安定の渋滞だ。通勤だけでストレスが溜まる。憂鬱な一日の始まりにうんざりした。

 

2023年は・・・・・・ 控えめに言ってあまりいい一年とは言えない。

副業の案件がなくなった。それ自体はいつか来ると覚悟はしていたが、一年以上にわたって携わった経験がなかった僕にとっては初めての経験だった。

たった一年とはいえ、その収入があることに慣れていた僕にとってまさに天国から地獄。

しかも恐る恐る行った確定申告からの市民税の金額は思っていたより多かった。

 

ここで勉強になったのだが、収入はある程度貯蓄に回しておくべきである。後にやって来る税金の支払いのために。

だがそんなことが初めての僕はそのことがわからなかった。分割で何とか払ってはいるが、貯蓄せず使ってしまった自分の無計画さを責めたい。

 

こう書くと憂鬱の原因は収入にあると感じる人もいるだろう。確かにそれもある。

だけどそれはほんの一端に過ぎない。

一つ一つ書き上げると切りがないのだが、2023年はとにかく上手くいかない一年だった。

 

こんな時推しがいてくれたらと思う。

彼女がいた頃はそれ以外何もいらなかった。どんなことがあっても彼女のことだけを考えていれば幸せだった。

そんな心の張り合いが今の僕にはない。

 

彼女が卒業して一年以上が経った。その間も新しい素敵な人たちとの出会いがあった。

そのことにとても感謝しているし、会える機会を本当に楽しみに思っている。

 

それでも心の中で、今も彼女を探している自分がいるのも確かだ。

記憶が想い出になる中で彼女と過ごした時間がどんどん遠くなる。それがとても嫌だ、怖い。

幸せだった時間が二度と戻らないことを実感する。理屈ではわかっていたことを、この身で受けながらただただ過去にばかり目を向けて一日が過ぎていく。

 

彼女だけではない。みんなが少しずつ前へと進んでいる。そこで「よし自分も」と思えないところが自分の弱さだ。

毎日毎日自分が何をしたいのか、何をすべきなのか。踏み出せないまま時間だけが進んでいった。

 

そんな気持ちで今を過ごしている。この気持ちに出口は見えない。

それでも最近になってようやくわかりかけてきた。人間は結局どんなに絶望しようとも、それと戦っていかなければならない。

岡本太郎ではないが絶望があることが生きがいなのかもしれない。

絶望をはねのけるために戦う中で生まれてくる生命力。それこそがきっと生きている証なのだろう。

嘆き続けていても仕方がない。なるようになるさ。

 

これからも彼女がいない日々を僕は重ねていく。恐らくもう会うことはないだろう。

でも会えないからこそ、ただ純粋に彼女の幸せを願っていられる。

そういう人と出会えたことが僕の幸せだ。特別なものなどいらない。

僕は彼女の人生の、ある1ページに登場した人間。永遠に一緒にはいられない。

だけど僕にとっては彼女と出会えただけで幸せだった。

 

これから先の未来がどうなっていくかは分からない。だけどどんなに時代が変わったとしても僕は彼女のことを忘れないだろう。

2023年11月19日。今年もこの日がやってきた。僕にとって特別な一日、大切な一日だ。

大切な命がこの日に生まれた。僕にとって何よりも大切な人の命が。だらかまた伝えたい。

「お誕生日おめでとう、陽向あかりさん。生まれてきてくれてありがとう」

 

 

 

舞台感想「大正くるま浪漫〜矢野倖一の挑戦〜」

「矢野特殊自動車」の創業者である矢野倖一(やのこういち)は福岡県の芦屋町の出身です。

矢野特殊自動車はタンクローリーなどの特殊車両を製造している会社ですが、その原点となったのは矢野倖一が作り上げたアロー号という車でした。

 

このアロー号は現存する日本最古の国産車で、実業家の村上義太郎の頼みを受けて矢野が3年の月日をかけて開発しました。

このアロー号完成までのドラマを描いた舞台演劇が「大正くるま浪漫〜矢野倖一の挑戦〜」です。

福岡を中心に活動する「劇団ショーマンシップ」による本作は過去に上演された作品ですが、今回2023年秋に再演されました。

芝居だけでなく歌やダンスシーンが多く描かれており、老若男女問わず楽しめる作品となっていました。

 

物語は矢野と村上の出会いからアロー号開発までの苦闘の日々、村上のもので働く人々との交流、矢野が周囲を巻き込みやがてアロー号の完成に至るまでの過程が描かれます。

舞台となるのは主に作業工房ですが、実際に車の造形物が登場し役者がそれに乗り芝居をすることでダイナミックな芝居が展開されていました。

 

本作を観て感じられたことは「希望」でした。

実業家の村上のもとでは車力の男たちが働いています。彼らは車が開発されると自分たちの仕事がなくなると考え、最初は矢野と反目します。

特に古澤大輔さん演じる車力の親方が厳しく矢野に当たるんですけど、こういう話は現代のAIの発展に通じるものを感じました。

 

結局のところ開発されたものが何であれ、人間の歴史は常にそれまでの世の中の形が崩れる不安とそれに適応することで今日まで続いてきた。

もちろんその過程でたくさんの問題はあったと思います。

親方が危惧したように、新しい時代の流れに対応できず仕事を失った人々もいたでしょう。

 

それでも世の中は続いてきている。それって人間にはちゃんと変化を受け入れる力があるという何よりの証明だから、色々な不安はあるけどこれからも何とかなるのではないか。そういう希望を本作を観て感じました。

 

希望はもう一つあって、それは人間は素晴らしいということ。

アロー号が完成するまでには苦難の連続で、矢野も自分を見失うくらい追い込まれてしまう時もありました。

その時に矢野を支え導いたのが村上邸で働く人々です。

気持ちいいくらい王道的な話なんですが、特にソフィアさんが演じる女性に心を救われることになります。

俳優としてさまざまな舞台に出演しているソフィアさんですが、本作では村上邸で働く女中の役でした。

彼女の矢野への気持ちが恋心なのかどうか、それが分かるようで分からない絶妙なテイストだったんですが、個人的にはそこが凄くよかったですね。

もしもハッキリと描かれていたら、話の流れがどうしてもそっちにいってしまうと思うんです。だけど本作の本筋はあくまでアロー号ができるまで。

 

恋愛ドラマと人間ドラマの違いはその本筋がどこに置かれているかによるんですが、本作は子どもの観客も多くいました。

だから観客を想定し、求められているものと伝えたいことを考え練り上げられたストーリーが全年代を対象としたものになっていて観やすかったです。

演者もしっかりとした演技力を持つ方ばかりで、特に村上役の仲谷一志さんはまさに実業家といった素晴らしい貫禄を披露していました。

女中の一人を演じた東沙耶香さんはキュートな雰囲気で素敵でしたし、役柄それぞれに個性があって人間味を感じられてよかったですね。

 

偶然なんでしょうけど今年は自分と大正時代が縁があるというか(関東大震災から100年というのもあるのでしょうが)、「らんまん」「日輪の夢〜伊藤野枝物語〜」「福田村事件」といった作品を観てきました。

「大正くるま浪漫〜矢野倖一の挑戦〜」もそんな中の一作になりましたが、そうした作品群だけでも大正の時代が色々と変化の大きい時代だったことが感じられます。

 

こうした作品で描かれたのは人間の良い一面だけではありませんが、人間の可能性や温かさが描かれた矢野倖一の挑戦は観終わった後に無条件で人を信じたくなる思いに満ちていました。

またいつか再演され、その時々の変化の中にいる観客に観てほしいと思いました。

 

 

 

舞台『HANABI』感想 〜十朱柚花の笑顔は花火のように〜

※この記事は舞台『HANABI』のネタバレ」を含みます。

 

暑すぎる。

2023年の夏はこの一言に尽きます。毎日のように「全国で過去最高気温を観測!」なんてニュースを聞くと、本当にこの先どうなるのかと不安になりました。

なんせ普通に生活しているだけで、明らかに他の時期より体が疲れているのがわかるんですよね。

 

とはいえ今年の7月から8月にかけても、それなりにあっちこっちに動き回ったという感じです。

8月にはまた一つ年を重ねました。なかなかどうして、それがありがたくない年齢にもなりましたが、まずはこうして生きていることに感謝です。

病むことも多いのですが、それでも今日まで生きてこられたのは出会えた人たちのお陰であり感謝しております。

 

2023年8月31日の福岡市は、特に日が沈んでからは涼しくかすかな秋の気配を感じることができました。

舞台『HANABI』はそんな季節感とリンクする物語です。夏の終わりに起きた出来事の中で、人々が出会いの奇跡を感じていくストーリーでした。

 

物語の舞台は、東京にある大家が亡くなったばかりの古いアパート。そこではアパートの住民たちが在りし日の大家の想い出を語っていました。

生前は破天荒な人柄で知られた大家でしたが、一方で住民たちからは慕われていました。

そこに大家の不倫相手と思われる女性たちが現れたり、アパートの住民同士での恋愛事情が絡んでくることで騒動が巻き起こる・・・・・・

以上が本作のざっくりとした内容です。

 

観終わった後、真っ先に思ったのは「やられた!」ということでした。

本作にはあるギミックが仕掛けられていたんですが、ラストにそれが明らかになるまでまったく気が付かなかったんです。

正確にいえば最初からそれは開示されていて、ところどころ「あれ?」と感じてたのですが見事に演出にはめられました。

それくらい自然に、巧みにそのギミックは観客に気づかれないように隠されていたんです。

 

そのギミックとは過去と現代を描くこと。

本作は過去と現代の2人の大家の物語であること。

 

『HANABI』は大家が亡くなったアパートの中だけで話が展開するんですけど、まるで住人が2つのチームに別れているようにそれぞれで問題が起こって物語が進む。

バックグラウンドになっているのは『大家の死』という状況で、一見すると同じ時間軸の中に全ての登場人物がいるように思えます。

 

だけど2つに別れた住民たちが不自然なくらい関わり合わないんですよね。

住民全員が協力してトラブルに取り組み、問題を解決していくような話を想像していた私は「なんでこんな構成なんだろう?」と思っていました。

 

勘の鋭い人なら早い段階で本作のギミックに気づいたでしょう。つぶさに観察すると、色々と伏線が張られていて思い返すと「なるほど」と腑に落ちました。

 

実は劇場に入って舞台を見たときからどこか違和感を感じていたんです。

舞台の上にセットも小道具も何もない。かろうじて床だけは模様のあるものになっていましたが、それ以外には本当に何もない。

「なるほど。これは役者の演技だけで全てを表現する作品なんだな」

そう思いました。

 

それは間違っていなかったんですが、舞台の上をこういう風にした本当の意図は物語のギミックを隠すためだったんだと。

何も舞台上にないので、時代によってアパートの様子が変化しているとかそういう感じが全くわからないんですよ。

かなり思い切った手法だと思ったんですが『マルホランド・ドライブ』や『シャッターアイランド』など、ギミックのある映画は好きなので個人的には楽しめました。

さらにこうしたギミックが隠されていながら、ストーリー自体は良い意味で王道的でした。

過去と現代のそれぞれでアパートの住民や大家に関係する人たちが問題に直面し、それが人情によって解決されていく。

かといって押し付けるような『お涙頂戴』の空気もなく、時折入るコミカルな場面が良い清涼剤となっていました。

そんな本作において、現代のアパートに登場する『桜愛(らら)』が非常に魅力的でした。桜愛は現代の大家が通っていたメイドカフェで働く女性で、大家の息子の後輩という設定。

 

『HANABI』は2チーム制で私が観たのはBチーム。桜愛を演じたのは『十朱柚花(とあけゆずか)』さんです。

とにかく十朱さんが演じる桜愛が可愛い。

 

大家の息子『光朗(みつお)』は学生時代に桜愛に惚れていましたが、父がそのことを言いふらしたせいで親子仲がこじれていました。

最初は父の不倫相手と疑われていた桜愛でしたが、後にそれは光朗と大家を和解させるために考えられた作戦だったことが明らかになります。

 

このブログでも過去に色々と書いて来たのですが、メイドカフェには想い出があるので設定だけで桜愛に惹かれるものがありましたね。

メイドカフェというと、女の子が料理やドリンクにおまじないをかける姿を想像する方もいるでしょう。

本作でもそういう場面があって「そうそう!そんな感じ」と妙に嬉しい気持ちになって見ていました。

 

事前にしっかりと役作りをされたのだと思いますが、メイドカフェのメイドに対して一般の人が持っているであろうイメージを見事に表現していました。

もちろんそこだけではありません。

桜愛はけっこう出番の多い人物なんですが、天真爛漫な笑顔と真面目な素の部分とのギャップを十朱さんは作り込んでいました。

 

2022年から2023年にかけて、福岡の劇団『陽project』の作品に出演し演技力を磨いてきた十朱さんはアイドルグループ『LAPiS』のメンバーとしても活動しています。

非常に可愛らしい十朱さんですが、陽projectの作品においては激しい殺陣も要求される厳しい稽古に耐え、悪役も演じるなどして表現の幅を広げてきました。

桜愛を魅力的に感じる理由があるとすれば、それは十朱柚花さんの演技に他なりません。

桜愛は芝居の中でさらに芝居をしているような難しいキャラクターだったと思うんですが、十朱さんの想像力と芝居における発信と受信により凄く自然体なキャラクターとなっていました。

 

本作のラストは住民たちがアパートの屋上で花火を見る場面です。

過去と現代がつながる感動的な場面でしたが、奇しくも観劇したのが8月31日ということもあり、暑さは続くとはいえ現実でも夏の終わりを少しだけ感じました。

 

総じて個人的には楽しめた作品であり、ギミックがわかった上でもう一度観たいと思いました。

普遍性のある物語なので、時代設定を変えたとしても十分に通用する話だと思います。

 

何よりも桜愛を演じた十朱柚花さんのキュートな笑顔が見れたこと。それが何より良かった作品ですね。

夏といっても仕事に明け暮れて、いつもそれらしい楽しみもないまま過ぎるんですが十朱さんの笑顔はまるで花火のように明るく夏の想い出になりました。

 

これからさらに飛躍していく彼女の今後がとても楽しみです。



 

 

演劇感想『小川夏鈴一人芝居企画』

はじめに

小川夏鈴(おがわかりん)』さんという女優を知ったのは偶然でした。インスタグラムでフォローしている方の投稿を見て「こういう人が福岡にいるんだ」ということを知りました。

 

調べてみると、小川夏鈴さんは東京で活動されドラマ『相棒』にも出演したことがあるとのこと。そして2023年7月に、福岡市の甘棠館Show劇場で一人芝居をされることがわかりました。

相棒は好きなドラマですし、説明するまでもなく超メジャーな作品です。初めて知った女優さんですが、これはぜひ観劇したいと思いました。

これが私が小川夏鈴さんを知った経緯です。

『スポットライト』

芝居は二部構成でした。第一部のタイトルは『スポットライト』で、不慮の死を遂げた女性の魂が現世でそれまでの人生を振り返るといった内容です。

上演前に夏鈴さんの挨拶があり、そこで初めて生で本物の彼女を見ました。

個人的にですが、洗練されているというか自分が出会ってきた福岡の女優さんたちとはまた違った印象を受けました。

言語化するのは難しいのですが、初めて観るのに「この人が出るなら大丈夫」といった不思議な雰囲気を感じたのを覚えています。それはやはり、ずっと東京でやってこられた風格が客席の私にも伝わってきたのかなと。

 

作中では死んだ女性の人生が色々と語られるんですが、悲惨さは感じず逆にユーモアを感じました。

主人公の語りの中で「人生で一番最後に観た映画がゴジラだった」みたいな台詞があって、彼女自身はそれを後悔している様子。

だけど怪獣ファンとしては「いやいや!人生最後の映画がゴジラなんて最高じゃねぇか!」と思いました。

終演後にお客さんを見送る挨拶をされていた夏鈴さんにそのことを伝えたんですが、実はこの劇場のすぐ近く、福岡タワーでゴジラが戦ったことがあると喉から出かけました。そこは抑えましたが。

 

話が横道にそれましたが、一人芝居を観た経験が一回しかない私でも素直に面白かったですね。

今になって気づいたんですが、一人芝居に関しては演じてる俳優さんの魅力が99%だなと。

舞台演劇って、普通は演技はもちろんストーリーとかアクションとか色々魅力があるわけです。それは一人芝居でも基本的に同じですが、決定的な違いは役者が一人しかいないこと。

だからどんな話であっても、つまるところ観ていて『この俳優何か凄い』って思えたら私は面白かったんですね。

色々と悲惨な境遇の女性だったんですが、それでも暗さを感じずラストにほんの少しの救いを感じれたのは夏鈴さんの感情表現のおかげだったのだと思います。

モノロオグ

第二部のタイトルは『モノロオグ』で、これは劇作家の『岸田國士(きしだくにお)』さんの戯曲が原作です。

岸田國士さんという人は明治から昭和にかけて生きた方で、調べてみると次女は女優の岸田今日子さんで甥は岸田森さん。

 

そう!『怪奇大作戦』や『帰ってきたウルトラマン』などの円谷プロ作品だけでなく、『ゴジラ対メカゴジラ』や『太陽戦隊サンバルカン』にも出演した特撮ファンにとって伝説の俳優であるあの岸田森さん!

 

岸田森さんの親族が芸能関係者という話は昔なにかの書籍で読んだ記憶はありますが、恥ずかしながら岸田國士さんが森さんの親族とは把握していませんでした。

 

またまた話が脇道にそれましたが『モノロオグ』は『スポットライト』以上に小川夏鈴さんの魅力を感じることができました。

外国人と交際していた女性が久しぶりに彼の下宿を訪ねる。そこに彼の姿はなく、残された女性がその部屋で過ぎ去った彼との日々を想い出すというもの。

 

作家のことを知らなければ作品の事も知らず、本当に事前情報は何もなく観ました。

かなり繊細な女性の気持ちが描かれているんですが、終演後に夏鈴さん自身が語っていたようにこれを男性が書いたということが凄いと思いましたね。

 

女性と相手の外国人は次に会う約束をしない仲だったそうで、それは一見すると凄く自由な大人の関係に感じます。

だけどドライなようでじつはかなり情のこもった関係だったんですね。いろいろすべてを受け止めたような台詞を女性が言うのですが、それは強がりなんだろうなと。

それがわかるから、この女性を可愛い人と感じてしまうのは私も男だからでしょうか。『モノロオグ』での小川夏鈴さんの衣装は着物だったんですがこれがよく似合う。

 

雰囲気が完全に作品の中に溶け込んでいて違和感がなかったんです。舞台に置いてあるのはベッドや椅子などの小道具なんですが、そこに夏鈴さん演じる女性がいることが凄く自然に感じられました。

何よりもこの女性の妖艶さや儚さに魅了されました。一人芝居という相手が不在の状況の中で「この人はここにいない外国人の姿を受信しているんだ」と観客が想像できる演技力です。

終わりに

福岡で演劇を観始めて2年が経ちましたが、今夏の『小川夏鈴一人芝居企画』を観て今後の演劇鑑賞に楽しみが増えました。小川夏鈴という新しい風が福岡の俳優さんたちと出会った時にどんな反応が起き、どんな作品が生まれるのか。そのことに期待を持てる公演でした。

 

 

情けない姿を見せてしまっても、それでもあなたと出会えて良かった

「とても元気のいい子」

それが最初に抱いたその子への印象でした。

まだまだ世間的にいえば私も若いといわれる年齢ですが、それでもその子が持つ弾けるような若さと溢れてくるパワーは眩しく羨ましいと感じたものです。

 

その勢いのままに、彼女はどんな時も全力でメイドの仕事に取り組んでいました。

もちろん最初は慣れないこともあったと思います。戸惑うこともたくさんあったことでしょう。

それでも表に立てば、彼女はいつでも変わらぬ明るさで私たちと話をしてくれました。

 

少し前のことですが、色々あって酷くふさぎ込んでいた時期が私にはありました。

「自分がいない方が、自分が出会ってきた人たちは幸せだ」

来る日も来る日もそんなことを考え続けていました。

それはメイドカフェに行った時もそうです。この場所で出会ったたくさんの人たちや数えきれないくらい大切な想い出の数々。

それを思い返すたびに、自分がいなかった方がメイドの子たちはきっと幸せだったと思うようになりました。

 

いい年をして私も辛抱のない人間で、自分よりはるかに若いメイドの子たちに抱えた思いを吐露してしまいました。

情けないと思います。というのも私の周り、例えば職場などには不安とかマイナスな気持ちを口に出す人があまりいなくて(単に私がそれを話してもらえるだけの関係を築けていないともいえますが)。

まだメイドカフェを知ったばかりの時は腹を見せないといいますか、あまり自分のことは話さないようにしていました。

話せば暗いことしか話せないから、それは自分なりに場所の雰囲気を大切にしたいという気持ちでもありました。

その時に比べれば自分は気遣いができなくなってしまったのかもしれません。それはメイドの子たちに申し訳なく思います。

 

その元気のいい子は、そんな私の話を真剣に聞いてくれました。

感情のまま暗いことばかりを話す情けない大人を前にして、それでも何一つ嫌な顔もせず「私は〇〇さんに会えて良かった」といった言葉を私にくれました。

 

嬉しかったですね、とても。

 

自分の情けなさ、相手への申し訳なさ。メイドカフェは遊びに来る場所とはいえ、心のどこかでは常に大人として情けない姿を若い人に見せてはならないと自分に言い聞かせてきたつもりでした。

そんな目標が何も実現できない私に、それでもその子は優しい言葉をくれたのです。

「聞いていて苦しかったかな。嫌だったよな、いい気分はしなかったよな。ごめんな」

心の中で私はその子に謝りました。

 

その子が先輩メイドと仲良くしている様子や、好きなアイドルを観に行ったことなどを知ると安心しました。

特にこの場所で出会ったメイド仲間との交流は、彼女にとって大きなプラスになったと個人的には思います。

私には人との共同作業が必要とされる仕事の経験がほとんどありません。

人間嫌いというわけではありませんが、気楽さを感じる一方で世間一般にあるような仕事で出会った人たちとの交流は私にはほとんどないのです。

 

女の子と一口に言っても、メイドカフェに集ってくる子たちの個性は本当にバラバラです。

それぞれが生まれ育った環境も、経験してきたことも、持ち合わせた感覚も全く違う。

そんな子たちが出会って、仲良くしている様子を見るのが私は好きです。

 

少なからず彼女たちより長く生きているからわかる・・・・・・

というより、私より何倍もしっかりした彼女たちの方が深く理解しているかもしれませんが、知り合った人と過ごせる時間は永遠ではありません。

ずっと一緒に過ごせるようで、時間の流れとともにライフスタイルは変化していく。

今が永遠でないからこそ付き合える時間を大切にする。

堅苦しい話になりましたが、とにかくメイドにならなければ出会えなかった仲間たちとの出会いは彼女にとって絶対にいいものであったと私は信じています。

 

卒業の発表は寂しくもあり同時に驚きもありました。とはいえ、彼女が一生懸命この場所で頑張ってくれたことを私は知っています。

十分に応援することや、支えてあげることはできませんでした。情けない大人の姿を見せるより、もっと彼女が楽しく過ごせるように努められなかったことが残念です。

だけどこれからの彼女の素敵な人生を願うことはできます。

月並な言葉ですが、やはり若い人にはたくさんの可能性がある。そして大切なのは自分で自分の人生に蓋をしないこと。

 

これから生きていく中で辛いことや大変なこともあるかもしれません。

でもそんな時は、メイドとして明るくご主人様やお嬢様に元気をわけてくれた自分を誇る気持ちを想い出して欲しいです。

 

この場所でのメイドとして活動、本当にお疲れさまでした。楽しい想い出をありがとう。

あなたが進んで行く新しい道に向かっていってらっしゃいませ。

 

 

演劇感想 ナシカ座『バックヤード・マーチ』

演劇はもともと全く観ていなくて、人とのご縁で観に行きはじめたという経緯があります。

その中で色々と俳優さんを知っていくんですが、今回感想を書くナシカ座の『バックヤード・マーチ』もそんなご縁がきっかけで観に行った作品です。

 

舞台はスーパーのバックヤードで、これは本来は倉庫などの意味があるんですが店員の控室のような感じですね。

上手のホワイトボードや脚立、下手に店長が作業する机、中央にテーブルといった配置になっていました。

 

物語の主題は映画『男はつらいよ』のような兄と妹の話です。

兄はスーパーの店長をしていて、すぐに人を信用してしまうお人好しな性格。妹はそんな兄の正確に悩まされながらも二人でスーパーを切り盛りしていた。

ある日、兄の前に昔の恋人が姿を現す。その恋人に頼まれるまま借金の保証人になった兄のせいでスーパーに大きな危機が・・・・・・

というようなストーリーです。

 

本作はナシカ座初のカムバック公演ということで、過去に上演した作品を別の俳優さんたちで再上演した作品でした。

ナシカ座という劇団の作品は主宰である内田好政さんが元芸人ということもあり、ギャグをふんだんに盛り込んだ作風が特徴です。

もともとコメディ映画などは好きなので、ギャグの場面では素直に笑いました。

このギャグに関しては、俳優さんの間の取り方が上手だなと感じました。

 

スーパーの店員の一人がサプライズを妹に仕掛ける場面があるんですが、色々あってそれが失敗してしまう。

他の店員は妹の事情を知るんですが、仕掛ける店員だけはそれを知らない。それで一人だけ気まずい感じになった時の何とも言えない空気。

それで失敗した店員が荒ぶるんですが、サプライズが失敗した後に他の店員に切れる時の間が絶妙で笑いました。

 

チャージ時間というか、観客も「この後に笑いがくるぞ」と予測してそれに備える時が映画などでもあると思います。

でも恐らく、演じる側と観る側とではやっぱり感覚が違うんではないかと思うんですよね。当然ですが稽古の時は観客はいないから。

こうした部分の上手さは流石だと感じました。

 

もう一つ面白いと思ったのが俳優さんの構図です。

保証人となった店長のところに、強面の男とその秘書が借金の取り立てにやって来ます。

秘書役の女優さんは粋華さんという初めて知った方でしたが、ヒールを履いていたこともあるんですがスーパーの店員たちよりも背が高い。

この秘書は冷静でロボットみたいな人なんですが、店長と向かい合って彼の頼みを突っぱねる場面が多かったんです。

 

それで構図の話に戻ると、やっぱり秘書の方が大きく見えるから力関係がストレートに伝わってくるんですよね。

もし秘書が店長から見下ろされる感じだったら、観ていてやっぱり「いざとなれば力推しでどうにかなるのでは」と感じたと思うんです。

だからそういう役者さんの配置というか、構図が面白かったというのがありますね。

 

一方でストーリーに関しては、スーパーのバックヤードという設定を今一つ活かしきれていなかった感じもしました。

バックヤードといっても、スーパーに限らずコンビニでもホームセンターでもそういう場所はあります。

兄が保証人になった理由は昔の恋人の事情によるもの。

せっかくスーパーを舞台にしたのだから、その経緯や返済方法にスーパーならではのものを組み込んでもよかったのではないかと。

 

例えば昔からのお得意さんの頼みを断れずに借金したとか、そういう風にしたら親の代から受け継いだ店というシチュエーションも活かせたんじゃないかなと個人的には感じました。

借金の返済方法も、作品内ではデウスエクスマキナ的な方法で解決されていました。

コテコテの王道的な話になってしまうけど、そこは短期間で店員一丸となって売り上げを増やすために駆け回るみたいな展開にする。

そうしたら兄の信条である人を信じるということや、兄と妹との絆ももっと描けたのかなと思います。

 

やっぱりどんな作品にも文法というか、例えば刑事ドラマで事件が起こらず刑事の私生活だけ見せられても困りますよね。

警察を舞台にしているから事件を描ける、そこから描ける人間の姿がある。

『バックヤード・マーチ』でもそうした展開が観たかったというのが個人的にはありました。

本作で借金の理由となった店長の元恋人を演じたのは木嶌涼乃さんです。

福岡を中心に活動している女優さんで、女優の他にも被写体活動やアイドルグループ『LAPiS』のメンバーとしても活動されています。

自分の中ではどちらかというと活発な女性役のイメージが強かった涼乃さんですが、本作では暗い境遇を背負った女性を演じていました。

作品の中でビンタされるシーンがあるんですが、知った俳優さんが演技とはいえ叩かれるところを見るのは少し辛かったですね。

それをいくつかある公演の中で全部やっている。というより稽古の時からやっていたと思うと、改めて俳優って凄いと思いましたね。

また別の作品でも彼女の演じる役柄を見たい。そのように感じました。

 

 

兎はこれから花咲く場所へ

そのメイドに会ったのはコロナ禍が一番酷い時代でした。

もうかなり懐かしい響きになりましたが、緊急事態宣言で飲食店の時短が繰り返していた頃です。

新しいメイドがお店に来たことは知っていましたが、シフトの遅い仕事をしていたのでなかなか会いに行くことができませんでした。

ようやく会いに行けた時は嬉しかったですね。ツーショットチェキを撮ってもらいました。

その子と撮れてとても嬉しかったのですが、その子も嬉しそうな笑顔を浮かべていたことを想い出します。

まだメイドの仕事に慣れていない、だけど何となく堂々とした雰囲気を持った方だと思いました。

 

自分にとって『推し』という言葉は結構特別な意味を持っています。

メイドカフェをきっかけにたくさんの出会いが会って、アイドルや役者など様々なエンタメで活動している方を知りました。

可愛い女の子が好きなオタクですので、色々な女の子を知って応援したいと思った方もたくさんいます。

実際高い頻度で会いに行っている方もいるのですが、それでも私の中で『推し』という言葉を使いたいのは昔応援していた一人のメイドだけなんですよね・・・・・・

 

だけど今回卒業される方に関しては、推しが店を卒業した後に心の寂しさをたくさん埋めてくれました。

だから会いに行った回数もそれなりにあって、この方は私にとって推しと同じくらい大切なメイドさんです。

 

とっても真面目なメイドさんで、いつも一生懸命にお給仕に励まれていました。

いつ頃からこの方のことをハッキリと意識し始めていたのかは分かりませんが、ある時からもっとたくさん話したいという気持ちが強くなったのは覚えています。

話を聞くのがとても上手で色々な話をしました。

時には愚痴も聞いてもらって、それは相手にとって聞くのが辛い時間だったかもしれません。

今思うと申し訳なかったと思いますが、それでもその方は嫌な顔一つせず真剣に聞いてくれました。

「自分が幸せにならないとダメなんだと思う。余裕がないと他の人を幸せにするなんてできない」

いつだったか、こんなことをそのメイドさんに話したことがありました。

相変わらず気持ちは落ち込んでいる時期で、考え込みすぎていた頃です。

「それでは〇〇さんにとっての幸せって何か、それから考えないとですね」

その子がそう答えてくれました。

凄いと思いましたね。私はどちらかというと感情的に物事を考えるタイプなんですが、逆にいうと突き詰めて考えるのが苦手です。

だから論理的に考えられる人に憧れるんですが、そういう意味でその方は凄いと思いました。

 

もちろん、そのメイドさんの言葉の中には相手を思う気持ちが溢れていて優しさもいつも感じていました。

私が一方的に話す特撮とかアニメの話も楽しそうに聞いてくれて、それが本当に楽しくてありがたかったです。

自分自身が楽しんで、そして周りの人に笑顔になってもらう。

そういう気持ちをもってメイドの仕事に取り組まれていたのではと思います。

 

仕事の担当範囲が変わって、前半のお給仕が多かったその方に最後の方は会えなくなったことが残念でした。

気が付けばその方がメイドになって2年。いつか卒業の日が来るであろうことは覚悟していました。

 

でもやっぱり寂しいですね。

 

やっぱり自分にとって特別な時間だったんだと思うんですよ、このお店でこの方に会えていた時間って。

顔を見ると嬉しくなって、話をしているとワクワクする。気持ちの高鳴り。

昔、推しに会いに来ていた時もこういう気持ちだったことを想い出します。

 

先輩や同期が次々と卒業していく中で、寂しさや辛さを感じたこともあったかもしれません。あるいは後輩たちが増えていく中で、先輩としてプレッシャーを感じたことも。

だけど、いつでもこの方は暗い顔一つ見せないでお店とお客さんのために頑張ってくれました。

 

コロナ禍の一番酷い時代にお店に来てくれて、今日までたくさんの人のために尽くしてくれたこの方に心から感謝しています。

色々な話をして、この方と出会って広がった自分の世界もありました。自分が知らなかった場所やものもたくさん教えていただきました。

振り返ると本当に楽しいことばかりでした。

 

人間には本当に色々な人がいます。その中で、やっぱり真面目で一生懸命頑張っている人は素敵ですね。昔このお店で出会った推しがそうだったように。

いつも一生懸命で、自分自身が楽しそうで、だけど目の前の人のことを大切にしていて。

 

顔立ちなどが似ていてたわけではないけど、推しと今回卒業するメイドさんは似ている部分もあったのかなと思います。

そんな素敵な出会いに二度も恵まれたことは幸運でした。改めてありがとうと伝えたいです。

 

この方はメイドを卒業した後、きっとこれまで以上に自分の可能性を広げていく方。

その進んだ先で新しい出会いにも恵まれるでしょう。

だけどその分、これまでにないような大変なことを経験するときもあるかもしれません。

そんな時には少しだけ後ろを振り返って、メイドだった時を想い出してくれたら嬉しいですね。

この場所で出会い、彼女を好きになった人たちのことを想い出して欲しいです。

 

約2年のメイドとしての人生本当にお疲れさまでした。私は貴女と出会えて本当に幸せでした。

これからの貴女の人生が今よりさらに素敵なものになりますように。

新しい未来に向かっていってらっしゃいませ。

 

 

「りの! 可愛いよ窪津りの!」 ~舞台『三国志IF』感想~

(妙な胸騒ぎがするな・・・・・・)

1月の曇り空を見ながら私は思った。なぜそう思ったのかは自分でもわからない。

いつものように仕事を終えて車に乗る。遅いシフトの仕事は朝が楽な分、夜は帰りが遅い。慣れているとはいえ、毎日21時頃の帰宅にウンザリする。

スマホを起動させインスタを見る。真っ先に目に飛び込んできた「ご報告」の三文字。

「えっ!?」

思わず声をあげた。昨日舞台の上で元気に動き回っていた陽projectの代表・シマハラヒデキ氏が事故にあったとのこと。しかも相当酷い事故らしい。

「嘘だろ・・・・・・」

辺りはすでに真っ暗で人影はない。この時間に退社しようとしているのは私くらいだ。

先ほど感じた嫌な予感が現実になったことに、どう反応していいのかその時の私にはわからなかった。

陽projectという劇団を知って約2年になる。

定期的に作品を観劇して感想をブログに書いているうちに、シマハラ氏をはじめ俳優の方々にある程度は存在を認知してもらえるようになった。

それは私にとってありがたいことだ。「観劇は自分を主張する場である」などと考えたことはないが、どんな形であれ人付き合いが下手な私にとって出会いは尊いものと考えている。

だからこそシマハラ氏が一命をとりとめ、陽projectの新作「三国志IF」を観劇できたことにまずは感謝したい。

 

その上で・・・・・・ いつもなら観劇後の熱が冷めないうちに感想を書くのだが、諸事情により書き出せないまま時間が経過してしまった。

理由の一端は最近になって仕事の範囲が変わり、生活のリズムに慣れるまで時間を必要としたこと。

他にも色々と落ち込むようなこともあり、どうしても書こうという気持ちになれなかったとか理由は色々ある。

 

さらにいうと舞台の感想を書くって凄く難しいんですよね。いくつも感想書いてきて何いってるんだと思われるかもしれないけど。

いや、本当に難しいんですよ。

なんせ感想を書くにしても、書くための要素がありすぎるから。

役者の演技、ストーリー、演出、音楽、衣装、舞台装置・・・・・・

一言で感想といっても何を中心に書くかで感想の内容は全く変わってくるし、さらに一つの要素には別の要素が絡んでくるわけじゃないですか。

例えばストーリーが良くても、それだけを書き連ねるなら演技の魅力は伝わらない。

 

これが例えば映画とかドラマとかなら話は少し違ってくるんです。

なぜならそういうメジャーな媒体の作品って、基本的にはきちんと経験を重ねた俳優が出るじゃないですか。

だから感想を書く時に取り立てて深くそこを書く必要はなくて、それよりは内容とか話の整合性とかで感想を書ける。

だけど舞台演劇、特に地方の作品となるとこれが初演技という俳優さんもいるわけなんですよ。

舞台ってもちろんダイレクトに俳優の演技の迫力が伝わってくることが魅力なんですが、経験の浅い人の全力の叫びが作品の出来を左右することに繋がるような部分もあるわけです。

 

誤解がないように伝えたいのですが、決して舞台が上で映画が下などといいたいのではありません。

舞台にも観客席があって、そこから観劇するのは映画と同じ。

だけどやっぱり実際の人や物がそこにあるっていうのは違うんですよね。

全ての要素が必要不可欠で大事なもの。だからアプローチが多くて感想を書くのが難しいんです。

 

それで今回も何を書こうか迷ったんですが、一周回って本当に作品を観て率直に感じたことを書きたいと思います。

結論からいいますね。

「りの! 可愛いよ窪津りの!」以上。

いや、本当にこれで終わりでもいいくらい私が一番に感じた感想はこれなんです。

窪津りのさんという方は陽projectに所属している女優で、舞台の会場で売られているグッズのデザインも担当しています。

さらにYouTubeで配信された三国志IFのドキュメンタリーの編集も行うなどマルチな活躍で劇団を支えている方。

 

その彼女が初の悪役に挑戦したのが本作でした。役名は「華雄(かゆう)」で、主人公である劉備や張角と敵対する勢力の女幹部といったところ。

それで華雄の何が魅力的だったかというと、窪津りのさんがとっても楽しそうに演じていたんですよね。

華雄という人はまるで女王様みたいに他人を見下し、部下(男性です)の背中を椅子代わりにするような悪女です。

そんな感じだから善人でないのは当然なんですけど、窪津りのさんがあまりに元気よく演じているためか悪人なんだけど凄く魅力的なキャラクターとなっていました。

 

好きなんですよ。個人的に悪の女幹部みたいなキャラクターが。その原点となるのはやはり子どもの頃に見た特撮物です。

中でも『恐竜戦隊ジュウレンジャー』の魔女バンドーラを演じた曽我町子さんと、『特捜ロボジャンパーソン』で綾小路麗子を演じた高畑淳子さんは自分の中で別格ですね。

やっぱり何ていうか、本当に演劇の道を歩いてこられたこれぞ『女優』というお二人だったので存在感が凄かった。

それで三国志IFの華雄にもそんな感じを受けたんですよ。

 

窪津りのさん自身はTikTokで「槍女子」という槍を豪快に振り回す姿を投稿していたり、SNSでは可愛らしい写真を見ることもできます。

でも活動の根幹はあくまで女優であり、作品ごとに違う役柄に挑戦してきました。

それで根幹の華雄なんですが、率直に「殻を破ったな」と感じました。

りのさん自身が語ってたのですが華雄は難しい役です。

豪快なようで弱さがあって、改心することなく最後をむかえてしまう。

 

窪津りのさんがこれまで演じてきた役柄は主人公側が多かったのですが、最後まで敵側で「戻れないラインを越えてしまった人間」である華雄をどう表現するか。

もうね・・・・・・ 本当にそれに全力で取り組んだんだろうなと。

俳優でない私には詳しいことはわかりませんが、きっとそれに明確な答えはないんでしょうね。

台本を読み込んでとにかく想像力を働かせる。他のキャラクターとの発信と受信を通してその時々の華雄の感情を突き詰める。

だから笑顔の時は全力で笑顔だし、悲痛な時は全力で悲痛。

ただ大きい声を出しているだけじゃないんですよ。そういうキャラクターなんだと観客に感じさせる説得力。それが華雄にはありました。

それでりのさん自身がとってもキュートな方なので「りの! 可愛いよ窪津りの!」なんですよ。本当にそれに尽きます。

 

もちろんそれだけが本作の魅力じゃなくて、話も三国志のことをよく知らない私が見てもわかるようになっていたのも良かったですね。

三国志のキャラクターは本当に有名な劉備や張飛、関羽や曹操くらいしか知らないんです。

それと『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』で覚えた孔明とかね。

でもそれくらいの知識しかなくても話はわかりました。

 

あと本作に関しては作品を観る前に張角役のHazkyさんの路上ライブに何度か行きました。

他にも1月から6月の間で参加した俳優さんの別の舞台を観に行ったりとかして、そこで交流して三国志IFを観劇したとかそういう想い出がありますね。

 

こっからはどうでもいい本当に個人的な心情の話なんですが、演劇を観に行く理由って作品を観るのはもちろんなんですが人に会いたいって理由もあるんですよ。

むしろそれの方が大きいかもしれない。

先述したようにあまり人付き合いが得意ではない分、俳優さんや顔見知りのファンの方と会って話せる時間が自分には大切なんですよね。

だからもしかしたら、私はエンタメの受信者として健全な姿勢ではないのかもしれません。

考えすぎかもしれないけど、人との交流と同じくらい作品をきちんと受け取ることにも誠実でありたいですね。

 

あとはね、陽projectだけでなく縁あって出会った福岡の劇団に共通して思うことだけどもっとたくさんの人に観て欲しいなと。

面白い作品はたくさんあって演技の上手い人も多い。本当に街の一角だけで完結するのがもったいないなと。

元々舞台とはそういうものなのでしょうが、違う街の人たちが福岡の劇団の作品を観た時に何を感じるのかとっても気になりますね。

場末のブロガーの領分を逸脱した話なんですが、俳優の方々とある程度交流してきたからこそ、この人たちのことをもっとたくさんの人に知って欲しいと思うわけです。

ネットの海に残すブログの記事が、どこかでそのきっかけになればいいんですけどね。

以上、長々と脱線もしながら色々書いてきました。

かなり偏った内容になったかもしれないけど、ずっと見てきた女優が自分の殻を破って新しい一面を見せてくれた作品に立ち会えてよかったです。

そういう感覚もまた、舞台演劇を観る一つの楽しみだと三国志IFを観て感じることができました。