「とても元気のいい子」
それが最初に抱いたその子への印象でした。
まだまだ世間的にいえば私も若いといわれる年齢ですが、それでもその子が持つ弾けるような若さと溢れてくるパワーは眩しく羨ましいと感じたものです。
その勢いのままに、彼女はどんな時も全力でメイドの仕事に取り組んでいました。
もちろん最初は慣れないこともあったと思います。戸惑うこともたくさんあったことでしょう。
それでも表に立てば、彼女はいつでも変わらぬ明るさで私たちと話をしてくれました。
少し前のことですが、色々あって酷くふさぎ込んでいた時期が私にはありました。
「自分がいない方が、自分が出会ってきた人たちは幸せだ」
来る日も来る日もそんなことを考え続けていました。
それはメイドカフェに行った時もそうです。この場所で出会ったたくさんの人たちや数えきれないくらい大切な想い出の数々。
それを思い返すたびに、自分がいなかった方がメイドの子たちはきっと幸せだったと思うようになりました。
いい年をして私も辛抱のない人間で、自分よりはるかに若いメイドの子たちに抱えた思いを吐露してしまいました。
情けないと思います。というのも私の周り、例えば職場などには不安とかマイナスな気持ちを口に出す人があまりいなくて(単に私がそれを話してもらえるだけの関係を築けていないともいえますが)。
まだメイドカフェを知ったばかりの時は腹を見せないといいますか、あまり自分のことは話さないようにしていました。
話せば暗いことしか話せないから、それは自分なりに場所の雰囲気を大切にしたいという気持ちでもありました。
その時に比べれば自分は気遣いができなくなってしまったのかもしれません。それはメイドの子たちに申し訳なく思います。
その元気のいい子は、そんな私の話を真剣に聞いてくれました。
感情のまま暗いことばかりを話す情けない大人を前にして、それでも何一つ嫌な顔もせず「私は〇〇さんに会えて良かった」といった言葉を私にくれました。
嬉しかったですね、とても。
自分の情けなさ、相手への申し訳なさ。メイドカフェは遊びに来る場所とはいえ、心のどこかでは常に大人として情けない姿を若い人に見せてはならないと自分に言い聞かせてきたつもりでした。
そんな目標が何も実現できない私に、それでもその子は優しい言葉をくれたのです。
「聞いていて苦しかったかな。嫌だったよな、いい気分はしなかったよな。ごめんな」
心の中で私はその子に謝りました。
その子が先輩メイドと仲良くしている様子や、好きなアイドルを観に行ったことなどを知ると安心しました。
特にこの場所で出会ったメイド仲間との交流は、彼女にとって大きなプラスになったと個人的には思います。
私には人との共同作業が必要とされる仕事の経験がほとんどありません。
人間嫌いというわけではありませんが、気楽さを感じる一方で世間一般にあるような仕事で出会った人たちとの交流は私にはほとんどないのです。
女の子と一口に言っても、メイドカフェに集ってくる子たちの個性は本当にバラバラです。
それぞれが生まれ育った環境も、経験してきたことも、持ち合わせた感覚も全く違う。
そんな子たちが出会って、仲良くしている様子を見るのが私は好きです。
少なからず彼女たちより長く生きているからわかる・・・・・・
というより、私より何倍もしっかりした彼女たちの方が深く理解しているかもしれませんが、知り合った人と過ごせる時間は永遠ではありません。
ずっと一緒に過ごせるようで、時間の流れとともにライフスタイルは変化していく。
今が永遠でないからこそ付き合える時間を大切にする。
堅苦しい話になりましたが、とにかくメイドにならなければ出会えなかった仲間たちとの出会いは彼女にとって絶対にいいものであったと私は信じています。
卒業の発表は寂しくもあり同時に驚きもありました。とはいえ、彼女が一生懸命この場所で頑張ってくれたことを私は知っています。
十分に応援することや、支えてあげることはできませんでした。情けない大人の姿を見せるより、もっと彼女が楽しく過ごせるように努められなかったことが残念です。
だけどこれからの彼女の素敵な人生を願うことはできます。
月並な言葉ですが、やはり若い人にはたくさんの可能性がある。そして大切なのは自分で自分の人生に蓋をしないこと。
これから生きていく中で辛いことや大変なこともあるかもしれません。
でもそんな時は、メイドとして明るくご主人様やお嬢様に元気をわけてくれた自分を誇る気持ちを想い出して欲しいです。
この場所でのメイドとして活動、本当にお疲れさまでした。楽しい想い出をありがとう。
あなたが進んで行く新しい道に向かっていってらっしゃいませ。