『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』といえばガイラだと思うんですよ。
その怖さは今更説明するまでもないと思いますが、かくいう私も子どもの頃はガイラが怖くてたまらなかったです。
本作をはじめて知ったのは保育園の頃でした。
友達の家にあった怪獣図鑑を見た時、色々なところで使われているサンダとガイラが組み合った写真が1ページまるまる載っていたんですがこれが怖いのなんの。
なんせ怪獣といえば、ウルトラシリーズの怪獣かゴジラくらいしか知らない子どもですよ。
それが人間みたいだけど、なんか毛むくじゃらで恐ろしい形相の怪獣二体が大きい写真で出てきたんだから怯えてしまいました。
何年も後に、たまたま近くの町で本作を置いているビデオレンタル店があったので借りました。
小学校6年生か、中学に入ったばかりだったと思います。
正直に白状すると、その年になっても借りるのが怖かったです。
それで実際見てみると、思っていたよりは怖くありませんでした。
さすがに年齢が上がっていたこともあったのでしょうが、どちらかというと『ゴジラ対ヘドラ』で人が溶けて骨になる描写のほうがまだ怖かったです。
わりと冷静に本作を見て感じたのは『サンダがかっこいい』ということでした。
サンダって写真で見ると、顔が毛で覆われていたりいなかったりで印象にバラつきがあります。
でも実際の映像で見ると、肩幅の広さと逞しさが茶色の全身と相成ってどんな場面でもかっこいいと感じました。
日本の昔話にでも登場しそうな巨人で、気高ささえ持ち合わせているようです。
それは崖から落ちそうになった水野久美さん演じるアケミを助けた後、一人去っていく姿に特に感じました。
映画の中心になっているのはガイラだし、善玉であるサンダにガイラほどの魅力がないという意見もあるでしょう。
でも個人的に、サンダもガイラと同等かそれ以上の悲しみを背負っていると思うんです。
ガイラの悲しみとは圧倒的な孤独です。
兄であるサンダとも敵対し、人間とも共存できない以上この地球にガイラの味方は一人もいません。
一方でサンダにはガイラ討伐の利害関係の一致から、かろうじて人間が味方しているという状況です。
サンダは恵まれているように思えますが、仮にガイラを倒したとしても果たして人間はサンダを受け入れたでしょうか?
細胞分裂でフランケンシュタインの分身が生まれると分かった以上、サンダを危険視する意見が出ることは容易に想像できます。
もしかしたら作中でスチュワート博士が提案したように、どこかで保護されて暮らすことはできるかもしれません。
しかし、それはサンダにとって牢獄と同じでしょう。
人間にとってサンダは共生していく対象でなく、あくまで怪物です。
同族が出現しないように厳しく管理され、世界でただ一人のフランケンシュタインであるサンダは永久に一人です。
ゴジラやモスラくらいの存在になると、その存在感がそれこそ神様レベルで『孤独』というものをあまり感じられません。
でもサンダは違います。
人間に育てられ表情もあり、人間を思う心がはっきりと伝わってくる。
強大な怪獣にもなりきれず、かといって人間の側にいられるわけでもない。
怪獣と人間のその境界にいるような‥‥‥ サンダってそういうキャラクターだと思います。
そう考えると所謂『東宝版フランケンシュタインシリーズ』に登場したフランケンシュタインやサンダは、液体人間やガス人間などの『変身人間シリーズ』の系譜にも属しているのかもしれませんね。
程度の差はありますが、どの作品も人間社会にいられない者たちの孤独を描いていました。
そんな孤独の中にありながらも、人間のために戦ってくれたサンダ。
当人からしたらそんなつもりはなかったかもしれませんが、傷だらけになっても戦う姿は人間の守護者のようでした。
それは例えばガメラやウルトラマンに通じるかっこよさです。
繰り返しにりますが、怪獣であるサンダがそういうヒーロー性を持つことでキャラクターが面白くないと感じる人もいるでしょう。
でもいつの間にか人間の味方や地球の守護神になっていたゴジラやモスラより、人間に育てられ理解し合えない同族と苦しみながらも戦うサンダは自然に感情移入できるキャラクターでした。
サンダとは元々応援したくなるようなキャラクター性を持ちえた、極めて稀な怪獣だったのかもしれません。
人間に味方する怪獣を無理なく描くにはどうしたらいいのか。
サンダの描き方から考えさせられることは多いのではないでしょうか。