何気なく発した一言が巡り巡って思いもよらぬ形で伝わり自分自身に不合理な形で跳ね返ってくる。
そんな経験がないだろうか?
自分ではそんなつもりじゃなかった、意図していなかったといくら訴えても起こってしまったことは変えられない。
その事実を突きつけられたまま逃げ場のない環境の中で生きていかなければならない恐怖。
特に大人と違って自らが生きる場所を選べない子どもはその状況から逃げる術がない。
今回紹介する「背中、推してやろうか?(悠木シュン)」はミステリーを軸にその逃げ場のない状況に陥った子どもたちの姿が描かれている。
あらすじ
主人公・平一平(たいらいっぺい)は中学二年生。
平凡に生きていた日常はある日突然終わりを迎える。
突然始まるクラスメイトからのいじめ。
時同じくして起こる鳩の大量死事件とクラスメイトの死。
その陰に見え隠れする同じくいじめを受けているクラスメイト久佐井繭子(くざいまゆこ)の姿。
逃げ場のない日々の中で一平がたどり着いた真実は……
物語は一平の周りで起こるクラスメイトの死の謎についてのミステリー。
張り巡らされた伏線の数々は「スマート泥棒」という作品でも見られた著者の構成の巧みさを認識させられる。
そのミステリーを軸として作中で描かれるのは一平がクラスメイトからいじめを受ける日々だ。
同じ学校の生徒の事故死、それを目撃した一平の友人が不登校になる。
そして、ある日机に一輪挿しが置かれているという状況から始まるいじめの日々。
昨日までの現実の崩壊。無視、暴力……その中で一平は彼の周囲に現れる繭子に接近していく。
作品全体を通して、胸の苦しくなるようないじめの描写が繰り返し描かれる。
個人的に、この作品はミステリーの形をしたホラー小説だと感じた。
「13日の金曜日」のジェイソンや「エルム街の悪夢」のフレディのように、逃げ場のない密閉された空間で理不尽に襲ってくる恐怖。
それは今作のいじめに通じる理不尽さだ。
奇怪な怪物など登場せず、スプラッターな描写が無くても今作からは果てしない恐怖を感じる。
「俺たちのすることに、いちいち理由なんかねーんだよ」
一平に暴力を振るう上級生が叫ぶ台詞がそれを端的に表している。
一方で、自分の中学時代を思い出せば「理由なく行動すること」は決して珍しくなかったことに気づく。
無駄なこと、一文の得にもならないとわかりながら行う大人への反抗。
その矛先が同級生に変わればそれがいじめとなる。
綺麗なだけではない人間の醜さや下衆さ。
それをエンターテインメントの形で見ることができるのがホラー、もっと言えばホラー映画というジャンルだと思う。
媒体は違えど「背中、推してやろうか?」にはそうしたホラー映画と共通するものを感じた。
辛い描写も多いが、一方で皮肉なことにいじめを受ける中で強くなっていく一平の心が描かれている。過酷な状況の中で次第に冷静に周りを見ていく一平。
彼のそうした心情が描かれるからこそただ辛いだけの物語として読むのではなく、「次がどうなるのか」と先が気になり読むことができた。
一平へのいじめはあるきっかけで別の人物への無視へのその矛先を変えていく。
そうなることで一平へのいじめの比重は軽くなるが、いじめそのものが無くなるわけではない。
被害者と加害者が入れ代わりいじめは続いていく。そこには無限に続く恐怖がある。
この作品にはヒーローはいない。変わりゆく状況があるだけだ。
ネタバレ防止のため詳細は省くが、物語のラストは色々な状況が想像できるラストとなっている。
一平にとって、少なくとも状況が好転したとも取れれば何も変わらないとも取ることができる。
しかし、一つだけ読み取れることはいじめが起こってしまった場合直接的・間接的を問わず周囲にいた人間は全て加害者になりえるという主張だ。
同時に、被害者と加害者は常に入れ替わる可能性があるということも。
読んでいて爽快感のある作品ではない。しかし、明るい作品だけが読む手の止まらない作品ではないと思う。
理由のないことをやれる思春期の危うさと純粋さ、人間はみな等しく罪人だというこの世界の現実。綺麗事では描けない踏み込んだ世界がこの作品にはある。