こんにちは、管理人の侑芽です。
スタジオジブリの「もののけ姫」が公開された時、私はまだ小学生でした。
映画を観る予定はなかったのですが、たまたま映画館の近くを通りがかった時に今まで見たこともない人の列ができていた光景を今も覚えています。
当時私が映画館で見ていた映画というとドラえもんとかゴジラとかだったんですが、それでもそこまでの列を見た記憶はありません。
度々ニュースで取り上げられる、アニメ映画が社会現象を起こすということを身をもって感じた瞬間でした。
大人になると節約のために、レイトショーばかり観ていたのでどんな人気作でも然程人の多さを気にしたことはありませんでした。
しかし、2020年10月16日。この日だけは違いました。
家を出る前から目にするネットニュース。映画館が入っている駅に出入りする人たちの会話。券売機から館内までの道。
その全ての過程を、ある一本の映画が占めていました。
劇場版鬼滅の刃無限列車編。
本作についての詳しい説明はもはや不要でしょう。文句なく素晴らしい作品でした。
本作の感想を綴るにあたり「原作の一エピソードを劇場版として観ることの意味」をポイントととして、映画を鑑賞しました。
作品情報
タイトル 劇場版鬼滅の刃無限列車編 上映日 2020年10月6日 監督 外崎春雄 脚本 ufotable 配給 東宝、アニプレックス 出演者 花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、平川大輔、日野聡 他
無限列車編とは
週刊少年ジャンプで2016年から2020年まで連載された漫画「鬼滅の刃」。
テレビアニメは原作コミックの第1巻から第6巻、及び第7巻の冒頭までをアニメ化し2019年に放送されました。
今回映画化された「無限列車編」はそのテレビアニメの直接の続きで、アニメの最終回直後から話がスタートします。
なお、原作コミックでは第7、8巻が無限列車編です。
テレビアニメと劇場版
多くの場合、完結していないテレビアニメの劇場版というとテレビの話の番外編的な作品が多いです。
例えば鬼滅の刃と同じく少年ジャンプで連載されていたドラゴンボール。
私の小さい頃は毎年映画が公開されていましたが、その内容は原作に沿って話が進むテレビアニメ版とは時系列の異なるパラレルワールドのお話でした。
そうした作りのメリットとしては、原作に縛られない映画だけの特別感を出せることです。
代表的な例が劇場版限定の敵キャラ、またはオリジナルキャラクターでしょう。
また、これは実写作品になりますが2000年から始まった平成ライダーシリーズ。
現在ではその劇場版は、テレビシリーズと連動した作りになっているものが多いです。しかし、初期の頃はテレビシリーズと異なる世界観で描かれた作品が多数ありました。
そうした作品では、テレビよりも先に仮面ライダーの最強形態が登場するなど映画ならではの話題性がありました。
対して無限列車編はどうか?
言うまでもなく原作の一エピソードである以上、無限列車編には劇場版ならではの特別な要素といったものは少ないです。
今作だけの炭治郎たちの強化アイテムなどもありませんし、煉獄杏寿郎やメインの敵である魘夢も既にテレビで登場済みのキャラクターです。
さらに言えば、この無限列車編の後もストーリーは続くので映画としては完結していてもお話としては全然終わっていません。
では、無限列車編はただテレビアニメを映画館で流しただけの作品なのでしょうか?
答えは勿論「否」です。
無限列車編は劇場の大スクリーンで観るに相応しいクオリティを持つ作品でした。
閉ざされた空間という舞台
無限列車編の舞台は蒸気機関車の中。これは見方を変えれば巨大な密室・ダンジョンです。
古今東西、この「閉ざされた空間」という舞台は実に多くの映画で題材として扱われてきました。
鉄壁の刑務所からの脱走を描いたクリント・イーストウッド出演の「アルカトラズからの脱出(1979年)」。
蒸気機関車の客車で起こった殺人事件に探偵が挑む「オリエント急行殺人事件(1974年)」。
宇宙船の中で乗組員が一人また一人と怪物の餌食になっていくSF映画の代表作「エイリアン(1979年)」。
無限列車編においても「夢」という空間からの脱出と「機関車」という空間からの脱出という二重のサスペンスが描かれていました。
何故「閉ざされた空間」からの脱出が映画の題材として多く使用されるのか?
もちろん、それが映画に相応しい題材だからです。
創作物の題材というのは、それが展開される媒体で内容が決まることが多々あります。
小説なら小説の、映画なら映画の、テレビドラマならテレビドラマの決められたページや時間の中で描けるものが決まってくる。
閉ざされた空間からの脱出というのはスリルがとても大事になってきます。
もちろん、それを13話の話数を使ってやる手段もあるでしょう。しかし、仮にそれを見たとしてもあまりに時間が長いとやや緊迫感が欠けた感じになるのは容易に想像できます。
それに対して、上映時間内に話をまとめなければならない映画ではスピード感が極めて重大になってきます。
だからこそ、閉ざされた空間というのは映画で使われた時に魅力的な舞台になると私は考えます。
迫る鬼の攻撃、逃げ場のない空間、そこから抜け出すには鬼を倒すしかない。
このスリルに、機関車の上を駆け回るといったダイナミックな絵が加わる。さらに映画館ならではの音も加わる。
そうすることで、無限列車編はテレビシリーズ以上の迫力ある場面が満載の作品となっていました。
無限列車編は劇場版限定のイベントではなく、映画という媒体が持つ魅力に極めて忠実に作られた映画。
だからこそ劇場版として映画館で見る価値のある作品だと感じます。
鬼殺隊の活躍と描かれない魘夢の過去の意味
鬼滅の刃の魅力として挙げられるのが悲しい過去を背負った鬼の存在。
無限列車編に登場する魘夢には、それが一切描かれません。これは原作自体がそのようになっていたためです。
最終選別の時の手鬼、那田蜘蛛山編の累などこれまでの鬼にはその過去が描かれていました。
魘夢にも設定上は人間の頃の人格がありますが、人間だった頃からかなり悪質な性格をしていたようです。
しかし、逆にそのことが無限列車編に映画としてのクオリティを与えていたと思います。
何故なら本作は炭治郎の、そして煉獄の物語だからです。
もし魘夢に悲しい過去があったら? 恐らくある程度の時間を使って魘夢の過去が描かれ、その時間だけ本作は魘夢の物語になっていたでしょう。
話数のあるテレビアニメなら、一話くらい鬼の過去に費やしてもいいかもしれません。
しかし、時間の限られた映画で観客の関心が炭治郎たちでなく魘夢に移ってしまっては問題です。
その後の猗窩座の登場もあるので、観客は煉獄に気持ちを持っていかなくてはなりません。
同情できる過去が描かれない鬼・魘夢。彼の存在あればこそ、閉ざされた空間からの脱出む含めて無限列車編は中弛みなく最後まで観れる作品となっていました。
これもまた、時間の限られた映画という題材ならではと思います。
猗窩座 盛り上がりの頂点
劇場版ならではのトピックスが少ない無限列車編。その中にあって「これぞ劇場版」といえる要素が猗窩座の登場でしょう。
十二鬼月・上弦の参という累や魘夢より遥かに格上の存在。敵でありながら、その強さと彼自身の壮絶な過去から高い人気を持つキャラクターですね。
猗窩座を演じるのが一体誰なのか‥‥‥ 公開直前まで秘密になっていたことも鑑賞への期待を高めていました。
公開前は神谷浩史さん、中村悠一さんなどファンの間で想像が膨らんでいました。
中でも多かった意見が「新世紀エヴァンゲリオン」の渚カヲル役などで有名な石田彰さん。
実際、私も漫画に脳内で声をあてた時に猗窩座は石田彰さんがしっくりきました。
猗窩座ももちろん原作に出てくるんですが、作中に登場する上弦の鬼の中で炭治郎たちと二度交戦するのは猗窩座だけです。
つまり二度見せ場があるので、今後の話がテレビアニメで展開される場合に映画のトピックスを担える鬼は猗窩座だけ。
猗窩座の存在により、無限列車編はテレビアニメの劇場版ならではの話題性を内包することができました。
炭治郎の物語としての無限列車編
もう一つの劇場版ならではのトピックスが炎柱・煉獄杏寿郎の活躍です。
ご存知のように、煉獄は鬼殺隊の柱の中で最初の戦死者になります。だからこそ、本作は彼の過去から最期の瞬間までが描かれる煉獄が主役の話でもありました。
言うまでもなく本当の主役は炭治郎ですが、終盤の猗窩座との戦いに炭治郎は参戦出来ない。
これがもし無限列車編がテレビアニメで製作されていたら、恐らく複数話に渡って構成されるであろう猗窩座戦で炭治郎の存在感が薄れてしまいます。
しかし無限列車編は夢からの脱出を通して描かれる過去との決別と、煉獄の死を通して描かれる炭治郎の新たな決意の物語です。
魘夢も猗窩座も煉獄も、全ては炭治郎のためにあらねばなりませんでした。
無限列車編が最初から最後まで炭治郎の物語としてのテンポを失わずにすんだのも、映画という一本の作品としての構成ならではと思います。
時代に響く煉獄のメッセージ
無限列車編の情報がはじめて出たのは、2019年のテレビアニメ版の最終回。
その時は2020年に日本を襲う暗い出来事を誰も予想できませんでした。
ですが、そうした時代だからこそ煉獄が命を懸けて伝える最後の言葉に涙した人も多いのではないでしょうか。
生活の変化の中で、それまでの自分が持っていたものと別れを告げなければならなかった方もおられると思います。
それは仕事だったり、生活の場所であったり。
まるで夢の中で家族との幸せから決別せねばならなかった炭治郎のように。
それでも、それを受け入れて生きていかなければならない。認めるのが辛い煉獄の死を受け入れた鬼殺隊の面々のように。
誰の人生であっても確実な安心などないと、誰もが突き付けられた今。
過酷な最期を迎えながら、炎のような心を失わず生きることへの真摯なメッセージを伝えた煉獄。
まったく偶発的なものではありますが、映画という話題性のあるコンテンツで今の時代に煉獄の姿が描かれたこと。
これこそ無限列車編が映画として公開された最大の意味だと、個人的には思います。
感想
劇場版にありがちなオリジナルキャラクターや要素を付け加えず、あくまで原作を元にして高クオリティの作品を目指された本作。
本当にスクリーンで観る「映画」に相応しい素晴らしい作品でした。
まるで刀鍛冶職人が研ぎ澄ました刀のように、映像・音楽・演技といった全てが洗練された映画です。
そして、鑑賞後に改めて感じたのは原作の持つ魅力。
例え先がわかっていても早くこの先が観たい、そう思える力強さに溢れた作品でした。