最近は特撮作品を見て「面白い」と感じることが少なくなった。
誤解のないようにいっておくが、それは作品のクオリティとは一切関係ない私個人の心情よるものが大きい。
生まれてからずっと、30代も半ばになった今に至るまで私の人生にはいつも特撮があった。
母親がビデオテープに録画していたウルトラセブンの再放送に始まり、レスキューポリス、平成ウルトラ三部作、平成仮面ライダー、牙狼シリーズ、スーパー戦隊・・・
全ての特撮を見たわけではないが、それでも私にとって特撮とは人生の相棒のような存在だった。
だがあまりに長く付き合いすぎたからこそ、どんな新作を見てもそれに対して何かを感じるということは少なくなっている。
だがそれも当然だ。大人も楽しめるコンテンツとはいえ、元々は子どもをメインターゲットにして作られたものである。
単純に年齢を重ねれば楽しめなくなるのも無理はない。
それに環境の変化もある。景気の悪いニュース、将来への不安、考えることの多さ、趣味の変化などが重なり、数年前と比べても明らかに今の私には余裕がない。
じっくりと雑誌を買ってインタビューを読み、制作背景を知るということもなくなった。
何より特撮番組は現在の私にとって、あるいはもうかなり前の私の段階から「あって当たり前のもの」になってそれに新鮮さを感じなくなっている。
例えるなら、朝起きて呼吸ができることにほとんどの人は何も思わないだろう。
ざっくりいえばそういう感じなのだ。
だから2023年7月8日からスタートして瞬く間にツイッターのトレンド入りを果たし、YouTubeで再生回数が480万回を越えた『ウルトラマンブレーザー』の1話を見ても、さほど心が動くということもなかった。
改めていうがこれは断じてブレーザーがつまらなかったということではない。
むしろ近年のニュージェネ作品とは違うウルトラマンの原点をリスペクトしながら、硬派でクオリティの高い1話だったと思う。
それでも見終わって感じたことといえば「今回のウルトラマンはこんな感じなのか」ということだった。
突き抜けて画面に噛り付くことも、その日のうちに配信で何度も見返すといったこともないだがこれは完全に私の心情の問題だ。
だがそんな私でもウルトラマンブレーザーに流れる新しいアプローチの数々には心惹かれた。
すでに作戦行動中の特殊部隊の描写から始まり、オープニング曲を入れずにそのまま空中からゲント隊長がダイブしていくテンポの良さは掴みとしては完璧だ。
2014年の『GODZILLA』や、もうすぐ公開のトム・クルーズの最新作『ミッションインポッシブル デッドレコニングPART ONE』でも登場するこうしたダイブシーンは男心をくすぐる。
その後の作品内で放送されるニュース映像の演出なども効果的だ。
こうした演出があることで、フィクションであるにも関わらずそれが今まさに池袋で起こっているような気持にさせてくれる。
主人公のヒルマ・ゲント隊長に関しては今の段階で特に心を掴まれたとかそういうことはなかったが、現場で自らの体を張れる人物像はいい上司だと感じた。
悪役ではあるが『勇者エクスカイザー』のダイノガイストのように、現場で体を張ってくれる上司を見れば部下も信頼したくなるだろう。
またゲントの頼もしさは初代ウルトラマンのハヤタ隊員を彷彿とさせるものがあった。
この頼もしさは若い青年が多かった近年のニュージェネの主人公たちと良い意味で差別化に成功している。
ブレーザーの1話である『ファースト・ウェイブ』は人類と怪獣バザンガとの攻防でまるまる30分が使われている。
考えてみれば初代ウルトラマンの1話『ウルトラ作戦第一号』はハヤタ隊員とウルトラマンの出会いを描いてはいるが、話の主題はあくまで宇宙怪獣ベムラーとの攻防であった。
作風の違いから気づき辛いかもしれないが、ゲントのキャラクターや話の構成などブレーザーの1話は実はウルトラシリーズとしては非常に王道的なものだ。
これなら目の肥えた特撮ファンからブレーザーが好意的に受け入れられたのは当然だ。
もちろん私はギンガからデッカーまでの作品も観てきたし、どの作品も常に挑戦を続けてきた意欲作であることは理解している。
変化する時代の中でウルトラマンの新しい可能性の模索とシリーズの伝統を守ること。
この二つの命題に立ち向かってきた作品たちだ。
それは重々承知しているのだけれど、ウルトラマンブレーザーはこれまでとは違う側面から新しい挑戦を行なおうとしている。
ビルに飛び移りながら戦うウルトラマンなど誰が想像できただろうか。
あるいはまるで古代の戦士のような叫び声を上げ、怪獣を威嚇するウルトラマンの姿を誰が予測できただろうか。
近年のパターンだと、まずはアイテムを使った変身シーンでウルトラマンのキャラクターを打ち出していた。
ブレーザーでは大胆にもゲント隊長の変身シーンをカットし、ビルを支える凝った画面作りでブレーザーの登場を描いている。
実は1話を最初に見た時にこの一連の流れに物足りなさを感じた。ブレーザーの登場があまりに唐突でそこにドラマがないのである。
だが冷静に考えると歴代のウルトラマンたち、特に昭和のウルトラマンもそうではなかったか。彼らの多くは丁寧なフリがあって登場するわけではない。
初代ウルトラマンは番組が始まったらいきなり赤い球の姿で飛んでいたし、セブンは登場した時にはすでにモロボシダンの姿で風来坊をしていた。
帰ってきたウルトラマンも、ウルトラマンAもある日突然地球にやって来た。
そう。ウルトラマンとはある日突然やって来るものなのだ。
そのように考えた時に、ブレーザーの初登場に感じた物足りなさもなくなった。
ゲント隊長の過去に何かしらの秘密があるだろうことは語られているし、それが明かされる時が楽しみでもある。
ウルトラマンの原点に沿った丁寧で、尚且つ新しいアプローチを実現した田口清隆監督をはじめとするスタッフの着眼点には感服する。
何せ50年以上の歴史のあるシリーズである。クリエイターでもない私がいうと怒られるかもしれないが、シリーズを見てきて大抵のことはやり尽くされたと思っていた。
だがそれは大きな間違いだった。まだまだウルトラシリーズには無限の可能性がある。
ブレーザーの1話はそう思わせてくれた。それは間違いない。
先に述べたように『ファースト・ウェイブ』に特別に大きく心を動かされはしなかった。
だが作品から新しいアプローチの数々を感じたのは確かだ。
今後ブレーザーを見続ける中で、恐らく話の内容そのものよりもブレーザーに散りばめられた新しさの発見をしていくことが自分の楽しみ方になるだろう。
それが果たして作り手が望む受け取り方なのかはわからないが、今後もウルトラマンブレーザーという作品を自分なりの視点で見ていきたい。