「あっ!あの記事読みました。私はあの子のことが大好きだから凄く嬉しかったですよ」
もう随分昔のことですが、とあるメイドカフェのメイド長のことを記事にして書いたことがありました。
そのメイド長と仲の良い親友とも呼べる間柄のメイドさんがいたのですが、その人に会った時に冒頭の言葉を私に伝えてくれました。
とても嬉しかったですね。そのメイド長さんだけでなく、その周りの人も喜んでくれたことがとにかく嬉しかったんです。
おこがましいかもしれませんが、誰かを助けているようで誇らしかった。
この言葉を伝えてくれたメイドさんはとっても明るい方で、まるで花のように笑顔が素敵な方でした。
どんな話も楽しそうに聞いてくれて、だからお話するのが凄く楽してくて私はその人に会うのが楽しみでした。
そんな大好きなその人が事情により卒業された時はとてもショックでした。
次はいつ会いに行こうかと楽しみにしていましたね。
その当時の自分にとって、大袈裟な例えに聞こえるかもしれませんが優しいその人は女神のように感じていたんです。
それからしばらくして、その方が店に戻ってきてくれました。
今度は主に料理を作る役割を担当されていて、直接会える機会はなかなかありませんでした。
だけどその人がそこにいてくれること。それだけで私には十分で、とても嬉しかったですね。
それに時々キッチンから聞こえてくるその人の声に耳をすませると、向かい合って話をしていなくても幸せな気持ちになることができました。
表には出なくてもお店を支えてくれている、そのことに感謝していました。
それからまた店を離れられて、そしてまた戻ってこられて・・・・・・
明るい笑顔の裏側で、きっと想像もできないような苦しいことや辛いこともたくさんあったと思います。
そういうものをお客さんの前では微塵も見せない気丈さを、私は一人の人間として心から尊敬していました。
数えるほどしか会うことはできませんでしたが、彼女がお店とそこで働くメイドたちを心から好きであることがいつも伝わってきて、そのことが嬉しかったです。
自分にとって女神のようだと思っていた方ですが、それにも関わらずその方に対して何もサポートになるようなことをできなかったことが悔しいですね。
お店で会った時に自分のことばかり話すのではなく、もっとその人の話を聞いてあげたかった。
直接的な手助けはできないとしても、その人が私に優しさをくれたように私もその人が楽しくお店でお給仕できるように貢献したかった。
そう思っていましたが、これは私の傲慢でしょうか。
そうだとしても、それでもそうしたかったというのは偽りのない気持ちです。
「ナズナ」の花言葉は「私の全てを捧げます」というそうです。
とても献身的で優しい言葉ですね。まさにその人に相応しい素敵な言葉でした。
いつも明るく笑顔で私たちをむかえてくれた彼女、美味しい料理を作ってくれた彼女、仲間や親友を大切にしていた彼女。
そんな人に出会うことができたのは、私にとって人生の宝でした。
いま再び別れの時がやってきました。
それを一番寂しく、そして苦しく思っているのは彼女自信だと思います。
会えなくなるのはとても辛いです。
しかし彼女は私にとって大切な人です。だから私は彼女に生きていてほしい、元気でいてほしい。
だから今度の別れも、私は彼女の幸せを願う別れにしたいです。
人生に絶望したことは何度もありますし、生まれてこなければよかったと考えた夜は数え切れません。
だけど、それでも生きてきたから私は彼女に出会うことができた。
良いことより嫌なことのほうが人生は多いのかもしれませんが、それでも生きていたら幸せなこともあると彼女との出会いを通して私は信じることができました。
だからお願いします。
これから先どんなことがあっても元気で生きていて。
そして私たちにくれた明るさを、これから新しく出会っていく人たちに与えてあげてください。
貴女ならきっと大丈夫だから。
ナズナはどんな場所にも根を張り花を咲かせることができる。
それは言い換えれば、いつも私たちのそばにナズナはあるということ。
だから会えなくなっても私も大丈夫。いつでも貴女を思い出すことができるから。
貴女のチェキを見た時、貴女が好きだったキャラクターを見た時、そして貴女がいてくれた場所を訪れた時。
そして同じ世界にいる限り、いつかきっとまた会える日が来ると信じています。
本当にお疲れ様でした。どうか今はその体をしっかりと休めてください。
貴女の進む未来が幸せであるように祈っています。
その未来に向かっていってらっしゃいませ。
マキマキさんに依頼しましたベテラン新人メイドなずなさんの似顔絵完成致しましたのでめるドナさんに納入させて頂きました。 pic.twitter.com/tQgrvXVkza
— なかじ (@nakaji0823nakaj) 2023年3月26日