昨年から、馴染みのあるメイドカフェのキャストさんの卒業を多く見送るようになりました。
それらを経験して感じたのは「やがてくる別れのために、会える時間を大切にしよう」ということ。
長く店に通うことで、ようやく自分の中で目的意識ができたというか、自分の行動の意義を見つけられた気がしています。
そうすると今まで考えもしなかった、様々な視点から見えてくるものもありました。
それは、働く方にとってメイドカフェとはどんな場所なのかということ。
私が出会った明るく優しい方が、その答えを教えてくれました。
「綺麗な子がいるなあ」
その方に出会った時に、心の中でそう思いました。
同時に、最初から気さくで笑顔を絶やさない姿が印象的でした。
その当時は自分にあまり余裕のない時期で、今思えばもっとたくさん会っておければと後悔しています。
これは最近になって本当に悔やんでることなんですが、どのキャストの方にも聞いていない話がたくさんあります。
それを聞けなかったのは、話しているとその時間が本当に楽しくてつい、いつも聞きそびれてしまうからでした。
メイドカフェが好きでこの仕事に踏み出したという彼女。
未経験の仕事と語られていましたが、その仕事ぶりはまるでずっと前から、この場所にいたかのように堂々としたものでした。
そう感じるだけの安心感が彼女にはありました。
それは、きっと彼女がこれまでの人生で培ってきたことの成果だと思いました。
何よりその明るさは本当に心を癒すメイドさんに相応しかったです。
「たくさんの経験をさせてもらいました」
そう語る彼女の表情からは、別れの寂しさ以上に未来への希望が感じられました。
たくさんの世代の違う人と話せたこと、それはこの場所でなければできなかった経験。
「ここで得た経験を次に活かしていきたいです」
その言葉を聞いた時に、彼女がこの場所に来てくれて良かったと思いました。
自分だけ‥‥‥ なのかはわかりませんが、長く同じ店に通っているとその「場所」そのものに愛着が湧いてくるんです。
自分自身はただの客でしかないのですが、お客さんだけでなく働くキャストさんがここで働けたことを楽しいと語られていたら、自分も嬉しくなるんです。
「ああ、やっぱりここはいい場所だな」
そう確かめられることが凄く嬉しいんですね。
少し前までは、親しんだキャストさんの卒業に悲しむばかりでした。
でも今は、彼女達が楽しい時間を過ごせた日々に立ち会えたことが大事な思い出と受け入れている自分がいます。
可愛いたくさんの衣装を着て、自分が憧れた場所で憧れた存在になる。
彼女と話す中で、メイドカフェという場所は女性の夢を叶えられる場所なのだと知りました。
このことは実は自分にとって凄く盲点で、これまでの自分にはない視点だったんです。
自分にとって、もうずっと昔から仕事とは生きていくための手段であり、夢という概念を完全に忘れていました。
自分がしたいことを考えることも、心のどこかでは放棄していたのかもしれません。
でも、不思議なんですがメイドカフェに通ううちに、少しずつ自分の中で「あれをしたい、これをしたい」という感情が芽生えたのも確かです。
それはきっと、夢の場所で大変でも楽しく働く彼女達の姿に知らず知らずのうちに影響を受けていたからだと感じています。
ご存知のように、2020年に世界を襲った前代未聞の事態に多くの人が苦しめられました。
そんな中で、彼女はたくさん頑張ってお店とそこで働く他の人達を支えていました。
それをやりきることができた彼女の姿。
そこから感じたのは、どんな時も明るさを失わないことは「強さ」だということ。
例え力では大きなものを持てなくても、明るさを失わない強さであれば自分も持てるのではないか、持ちたい。そう思いました。
メイドカフェは夢の叶う場所。
大変なことはあっても、ここはそれ以上に楽しいことのある場所。
だからキャストさんは皆笑顔なんだと彼女と話していて感じました。
本当にお疲れさまでしたと伝えたいです。どうか彼女の新しい夢が叶いますように。
楽しい時間をありがとう。
次の夢に向かって‥‥‥ 「行ってらっしゃいませ」