リチア輝石という石があります。「愛の石」とされるこの石の愛とは、見返りを求めない無償の愛といわれています。
石にも美しい意味を持たせることができる人間の感性は、例えば道端に咲く花にも無償の優しさを感じてきました。
今回福岡市天神にあるメイドカフェ「めるドナ」を離れられる方も、そうした花のような無償の愛を持たれていた方でした。
私はその人に心を救われたことがあります。
ある冬の日、私はとても落ち込んでいました。
めるドナで初めてお会いして、私が通うきっかけとなった思い出のメイドさんの卒業を知ったからです。
まるで心に穴が空いたように、その日は何も手に付きませんでした。
そんな心境だったからか仕事が終わって気がつくと、いつの間にかめるドナに足が向いていました。
「お帰りなさいませご主人様」
いつもなら安心感を覚える明るい声も、その日に限っては上の空でした。
この場所に来ても埋まることのない寂しさ。
それに耐えかねた私は、テーブルに来てくれた一人のメイドさんに胸の内を打ち明けました。
「いつかこの日が来ることはわかっていました。それでも寂しくてたまらないんです」
彼女は静かに、そしてしっかりと私を見つめて話を聞いてくれました。
「楽しい想い出が沢山あります。だけどこんなに辛いのなら、出会わない方が幸せだったのでは・・・・・・ そう思ってしまうんです」
私の言葉を聞く彼女は少し寂しそうです。
抱えていた気持ちを語り終わると、彼女は優しい声で私に話してくれました。
「卒業はとても寂しいことで、私達では卒業される方の代わりにはなれないかもしれません。だけどその分◯◯さん(私のこと)にもっと楽しんでいただけるよう頑張ります。どうか元気を出してください」
力強い彼女の言葉に胸が打たれました。
「だから出会わない方が幸せだったなんて思わないでください」
この言葉がとても嬉しくて、思わず涙が出そうになりました。
その時まで私は自分のことだけしか見えておらず、まるで自分が世界で一番寂しい人間のように思っていました。
だけどそれは間違いでした。
本当に寂しいのは、卒業する方と一緒に働いてきた仲間のメイドさん達なのです。
皆が寂しさを感じていて、私もメイドさんもその気持で繋がっている。
彼女は私が決して一人ではないことを教えてくれました。
暗い顔をして寂しい話をすることは、メイドカフェでするべき行動ではないのかもしれません。
それでも彼女は嫌な顔一つせず、私の話に耳を傾けてくれました。
もしも彼女がいなかったら、一人でやり場のない寂しさを抱えたまま気持ちを固めることなく卒業を見送っていたかもしれません。
それは現実を受け入れることなく、どこか「心ここにあらず」の状態です。
そうなることなく現実を受け入れ、悔いなく思い出の方の卒業を見送れたことを彼女に心から感謝しています。
私を励ましてくれた彼女の存在は、生きてさえいれば一度別れてしまった人と再び会えることもあると私に信じさせてくれました。
一度お店を卒業された彼女が、再び戻ってきてくれると知った時とても嬉しかった。
生きていると思いもかけないことが起きるといいますが、まさにそんな気持ちで心から彼女の帰還を喜びました。
「可愛い女の子が好き」と語っていた彼女は、自分自身も可愛くあろうと努力しています。
彼女の姿に、私は年頃の娘さん達は「可愛いを頑張っている」ことを教えられました。
だから彼女たちの変化は褒めてあげたい。そう考えるようになりました。
もちろん、普通の生活の中ではそんな言葉は照れくさくてなかなかいえません。
でもメイドカフェは別です。
夢の場所であるメイドカフェは、現実に戻った時にまた頑張れる元気を蓄える場所。
ほんの少しだけ夢を体験できる場所だから、普段照れて伝えられないような言葉も伝えることができます。
おかげで普段の生活でもほんの少し、以前より自分が感じたことを口に出していえるようになりました。
改めて彼女と出会えて良かったと思います。
最初に彼女とお別れした時は、ただその姿を見送ることしかできませんでした。
あの頃は書くことも何もしていない時期でしたが、今は思い出を綴ることで彼女がめるドナにいてくれた時間を形に残すことができる。
良かったと思います。
花屋の店先に飾ってある花は確かに美しい。
でも例えば、誰も立ち入ることのない山奥に人知れず咲く花もまた同じく美しい。
道端や街中や自然の中、あるいは部屋の中など花はどんな場所でも懸命に咲いて人の心を癒やしている。
彼女はそんな優しい花のような方でした。
彼女が私を励ましてくれたことと、彼女の優しさを私は忘れることはないでしょう。
本当にありがとうございました。
願わくば彼女が次に向かう場所でも、その優しさがたくさんの人の希望になりますように。
新しい未来に向かって、いってらっしゃいませ。