第45話作品情報
サブタイトル アシュラ逆転一発勝負 放送日 1989年1月21日 監督 長石多可男 脚本 曽田博久 登場怪人 ハッカーヅノー
あらすじ
ビアスに見切りをつけられたアシュラ。逆転を狙うアシュラはコンピューターの力を借りて千点頭脳になろうとする。
感想
ブッチーに続き、今回と次回でアシュラの退場が描かれる。
既に予告編でネタバレがされていたのだが、前後編を通してアシュラならではの熱い退場劇が描かれた。
冒頭、ケンプとマゼンダが900点で並ぶ中一人600点のアシュラ。なぜ自分だけ数字が減ったのかと疑問に思う。
前回ブッチーに偉そうに自分を真の天才と言っていたことを思えば皮肉だ。
ビアスはアシュラにはそれだけの才能しかないと言い放つが、これは明らかに不当な採点だろう。
ビアスからしたらケンプとマゼンダが点数を延ばせばそれでいいので、千点頭脳まであと一歩となった今アシュラを切り捨てる決断を下した。
無情な言葉に反抗しながらも、千点頭脳を力づくで目指すと断言するアシュラ。
酷い扱いをされながら、それでもビアスに従う心理はちょっと理解できない。完全に洗脳されている。
突然都市のコンピューターセンターが襲われ、街がパニックに陥る。丈は偶然どこかのビルのエレベーターの中にいて、異変に気付く。
一方、残りの四人もコンピューターセンターに向かい被害を調べる。
突然コンピューターセンターに押しかけて調べ始める勇介たち。誰も何も言わないが大丈夫なんだろうか?
いくら今ほどセキュリティが厳しくないとはいえ、部外者が簡単に立ち入っていい場所には思えないが……
科学アカデミアの関係者だったとでも話を通したのだろうか? まあ、ライブロボとか機会をいじってるならコンピューターにも対応できそうだし。
一方、コンピューターセンターに向かう丈はトラックの中でハッカーヅノーを使い一気に千点頭脳になろうと計画しているアシュラと遭遇する。
ハッカーヅノーと対決するイエローライオン。
シュラー三人衆と残りメンバーも加わり戦いが展開するが、コンピューターの力で的確な攻撃をしてくるアシュラとハッカーヅノーに歯が立たないライブマン。
今がとどめとアシュラが使った新技がアシュラミサイル。
この技、シュラー三人衆がアシュラを頭上に抱えて敵に放り投げるというもの。何かいきなり原始的な技が出てきてしまった……
しかし、その威力にライブマンは撤退を余儀なくされる。
一方、ビアスはアシュラは案外やるかもしれないとケンプとマゼンダに発破をかける。
この際「一刻も早く見せてくれ」と千点頭脳について言及するビアス。
「見たい」でも「見せろ」でもなく懇願するような言い回しがビアスの焦りを象徴している。
パワーアップしたアシュラとどう戦うか悩むライブマン。その時、丈が明言を口にする。
「コンピューターが何だって、戦うのは人間だ」
この言葉に奮起する勇介。スマホが生活の一部になり、それにより快適さも増したが息苦しさも同時に増した現代。
色々な問題も多い現代社会にこそ、この言葉に考えることは多いのではないだろうか。
益々街を混乱させるアシュラに再び戦いを挑むライブマンだが、やはり歯が立たない。
それでも必死に戦いを挑むイエローライオンの姿に、レッドファルコンはあることに気づく。
攻撃を避けることなくゆっくりと前進し、真正面から敵を蹴散らすファルコン。
その姿に怯えるアシュラが放った拳を受け止め、逆に殴り返す。コンピューターはファルコンの勇気の強さまでは計算できなかったのだ。
このファルコンの前進する場面は、仮面ライダークウガのタイタンフォームを彷彿とさせカッコいい。無駄のない殺陣と合わせて、非常に見応えのある場面になっている。
また、顔出しの利点を最大に活かしたアシュラの怯える表情もいい。これにより、状況が逆転したことがより一層伝わってくる。
アシュラは頭で考えるあまり、肉体で戦うことを忘れたと語るファルコン。
確かに本来の毒島嵐とは頭脳獣に生身で挑んでいくような野性味溢れる男だった。
アシュラになってからもその肉体のパワーでライブマンを苦しめてきたが、その姿はもうここには無かった。それがアシュラの敗因。
シュラー三人衆もファルコンブレイクで遂に倒される。
焦るアシュラはトラックに戻りハッカーヅノーに自分の点数を検索させるが、600点から一点も上がっていなかった。そのことに絶望するアシュラ。
ハッカーヅノーはズノールームまでハッキングしてしまい、千点頭脳の秘密に迫ってしまう。
慌てたビアスはアシュラごとトラックを攻撃。爆発の中から生き残ったハッカーヅノーはビアスの命令に従いライブマンと戦う。
この一連の場面はもの凄くスピーディーな展開。息つく暇もないまま情報がいくつも伝わってくる。
ハッキングに苦しむビアスを心配するように振り向くガッシュがいい。
細かい所だが、こういう部分も手抜きをしない丁寧な演出が職人芸というものなのだろう。
しかしビアスは凄い。宇宙から指輪のビーム一発で地上のトラックを破壊してしてしまった。
この人は本当に地球人か? 地球人なんだが……
ハッカーヅノーをスーパーライブロボで撃破するライブマン。
アシュラは死んだかに思われたが、嵐の姿に戻り生きていた。
ビアスに殺されかけた落とし前を必ずつけると叫び気絶する嵐。そんな嵐を病院に運ぶライブマン。
元々地球人だということもあるのだろうが、嵐を心配する姿にはブッチーの悲劇を経験した故の優しさを感じる。
豪が改心した時に鉄也が語った人間のやり直す心と、ライブマンたちが見せるそれを信じる気持ち。
何がライブマンをヒーローたらしめているのかを考えさせられる姿だった。
第46話作品情報
サブタイトル オトコ嵐! 最後の戦い 放送日 1989年1月28日 監督 長石多可男 脚本 曽田博久 登場怪人 バトヅノー
あらすじ
ドクターアシュラは毒島嵐に戻り、ビアスへの復讐を決意する。ボルトはバトルヅノーを送り込みライブマンを狙う。
感想
冒頭、病院にいる嵐。4+8の計算もわからない以前の状態に戻っている。
しかしアシュラとして過ごした時期の記憶はあるので、簡単な計算もできない今の状況に愕然とするほかなかった。
枕を抱きしめながら、呆然とする嵐。嵐を演じる岡本美登さんがとてもいい芝居をしている。
一度天才まで上り詰めたなら、確かに今の状況は地獄だろう。
一方、ビアスはアシュラも競争相手に過ぎなかったことをケンプとマゼンダに語る。
最初から二人に期待していたとの言葉に喜ぶケンプたち。しかし、その裏にあるビアスの思惑は……
この時二人の点数が920点になっている。前回何もしてないはずなのに、何故点数が上がったか不明。
千点頭脳の点数って、単純にビアスの趣味なんじゃ…… ガンツ先生の採点とどちらが正確だろうか。
突然街を襲い始めるボスラー戦闘機。ビアスに復讐するために病院を飛び出す嵐とそれを追う勇介たち。
彼らの前に全身を武器にできるバトルヅノーが現れる。
この時、走り抜ける岡本美登さんを取り囲む爆発が凄い。この頃の作品全般がそうだが、CG技術のない時代の狂気と迫真性を感じる。
だからこそ、全力で危険な撮影に挑んだスタッフ・キャストの思いに頭が下がる。
バトルヅノーはシンプルな姿をしていて個人的に好きなデザイン。フル武装した姿は、どことなくウルトラマンメビウスに登場したインペライザーを思い出す。
口汚い言葉で嵐を罵るケンプ。下品な言葉は使いたくないと言いながら「馬鹿は死ななきゃ治らないようだな」と言い放つ。
時折見えてくるケンプの性格の悪さはここでも健在だ。
バトルヅノーの攻撃に吹き飛ばされるライブマンと嵐。気絶した丈と嵐を助けたのは、ボルトを抜けた尾村豪だった。
ライブマンの前から姿を消した豪の再登場。きちんと大切な部分で豪が出てくれるのは嬉しい。作品に一本線が通る。
嵐の姿を見て、ビアスの恐ろしさを改めて感じる豪。休む間もなく続くボルトの攻撃に立ち向かおうとする丈。
豪は勝てるわけがないと丈を引き留める。ここで丈がライブマン屈指の名言を口にする。
「豪、やっぱりお前は頭が良すぎるんだな。全てが見えすぎてだから敵わないと思ってしまうんだ。心配するなって。俺はいつだって根性だけで戦ってきた。そしていつも切り抜けてきたんだ」
前回のハッカーヅノーの話でも、戦うのは人間というテーマが描かれた。
このアシュラ退場編で描かれるのは、勇気や根性といった機械にはない人間だけが持つもの。登場怪人がコンピューターや武器といった無機質なものをモデルにしてるのもテーマの一環だ。
同時に、どんなに頭が良くてもその裏に必要な本当に大切なものが何かを訴えてくる台詞。
バトルヅノーに挑むも歯が立たない丈。
それを見つめ自分の不甲斐なさに苦悩する豪に嵐が声を掛ける。
ここからもライブマン屈指の名場面にして名言の連続。
「豪、4+8はいくつだ」「答えを知りたかったんだ」「俺たち妙な人生だったな」
作中での接点はそれほど多くなかった豪と嵐。しかし、お互い一度はボルトに加担したもの同士どこか通じるものがあったのか。
注目すべきは「答えを知りたい」という嵐の変化。これまではただ「わからない」と悩むだけだった嵐。
アシュラになったことで、それまで知らなかった勉強することや知ることの意味を学んだ。
それはボルトに入らなければわからなかったこと。豪も同じで、ボルトに入らなければ人生の大切なことに気づけなかった。
ボルトに狂わされた人生ではあるが、それがあって今の自分たちがある。
妙な、しかし人間らしい人生だ。
勉強することの意味は、わからないと思ったことや興味を持ったことについて知ること。
この短いやり取りの中に壮大なテーマが込められている。そして、豪と嵐を演じる二人の俳優の芝居がまたいい。
特に最後に豪に微笑む嵐の表情が本当に良い顔をしている。
こうした俳優諸氏の真剣な芝居。ライブマンは子ども向けではあっても子供騙しでは決してない。
自分のような馬鹿でも天才に負けないとバトルヅノーに挑む嵐。
ライブマンでも敵わなかったバトルヅノーを倒したのは、全身に爆薬を巻き付けた嵐の特攻だった。
こういう表現ももう今の時代ではできないだろう。
状況が違う今の作品を責めるつもりはないが、この時代だからこそ描けることも多かったことを実感。
バトルヅノーは倒されたものの、ボルトに襲われた子どもの血の付いた作文を見つける丈。
恐らくその子は亡くなったのだろう。改めてボルトの非道さに怒りを燃やし、決意を新たにするライブマンの姿で今回は幕を閉じる。
これまでにも一般人のサポートがライブマンを助ける話は何度かあった。
普通の人間である嵐が頭脳獣を倒した今回のアシュラ退場編は、そうした話の集大成ともいえるだろう。
同時に深いテーマを内包した傑作でもある。
果たして、残ったケンプとマゼンダの運命は……