第47話作品情報
サブタイトル 千点頭脳! マゼンダ!! 放送日 1989年2月4日 監督 東條昭平 脚本 曽田博久 登場怪人 アクムヅノー
あらすじ
アクムヅノーを使い、ついに千点頭脳になるマゼンダ。しかしビアスは彼女の脳を奪おうとする。
感想
マゼンダ退場編。第1話から登場している彼女が退場することでライブマンもいよいよ最終決戦に。
千点頭脳まで間近に迫るケンプとマゼンダ。いつも思うのだが、この点数の基準は何なんだろう?
いつもライブマンに負けっぱなしで作戦失敗していて、点数が上がる要素なんてないと思うんだけどなあ‥‥‥
マゼンダは夢を実体化する装置を作り、過去の頭脳獣を幽霊として出現させる。
相手が幽霊だけにライブロボもまったく歯が立たない。
これにはケンプも「なんて凄い」と驚愕。あのケンプが素直に相手を認めているのは意外。
絶対に他人を認めなさそうなのに。時折見せるこの人間性が次回は……
幽霊頭脳獣が一体化したアクムヅノーはスーパーライブロボでも敵わない。ある意味最強の頭脳獣はこいつだろうな。
絶体絶命のライブマン。迫るマゼンダの幻影の前に尾村豪が現れ、ビアスが科学者の脳を集めている事実を語る。
豪は、過去にも若い科学者が失踪した事件を調べていたらしい。
豪も自分にできることをやっていたという展開に熱くなる。ボルトに敵うわけがないと怯えていたが、ドクター・アシュラ=毒島嵐の行動を見て勇気が出たのだろう。
そういうことが想像できる丁寧なドラマの積み立てはさすがライブマン。
マゼンダは、以前からビアスに疑いを持っていたので激しく動揺。これも唐突なものではなく、これまで積み立てられてきた彼女の姿からすれば自然な反応。ここもまた丁寧だ。
装置に座り、豪の言葉に苦悩するマゼンダにビアスは焦りを見せる。
この一連の場面、マゼンダをナイフを持って見つめるビアスとガッシュがかなり怖い。
ビアスが何をしたいかは視聴者はわかっているので、ナイフで頭を割るのかと冷や冷やする。
といっても、次回そんなものを使う必要性はなかったことがわかるのだが……
苦悩しながらもビアスに従うマゼンダ。ライブマンを攻撃するマゼンダはついに千点頭脳となる。
ただライブマンを襲うだけで点数が上がるのだろうか? 引っ張った割には随分スピーディーに、そしてあっさりと千点頭脳になってしまった感があるが……
ビアスは焦ると採点が甘くなるのだろうか。
喜びに震えるマゼンダ。直後、脳を奪うためにガッシュが現れる。「千点頭脳をささげる時がきたのだ」とナイフでマゼンダを襲う。
一応、これまで仲間として過ごしてきたマゼンダをいきなり襲うガッシュの姿は怖い。
こうなることはわかってもいたが、改めてビアスが絶対であるガッシュの価値観を思い知る。
今回を含めた最終三部作、寡黙で強い以外のガッシュの魅力もどんどん発揮されていく。
マゼンダを助けるためにガッシュに挑みかかる豪。そんな豪を容赦なく撃つガッシュ。
普通の人間なら間違いなく死ぬ…… はずなんだが、何故か生きてる豪。
かっての友のために命を張る見せ場で熱い展開なのだが、どうしても突っ込みたくなる。
どうにか理由を考えるなら、オブラーになった改造の影響で普通の人間より肉体が強化されていたのかもしれない。
それにしても頑丈だぞ!豪!
立ちはだかるライブマンをものともせずマゼンダを追いつめるガッシュ。抵抗するマゼンダの攻撃もまったく通用しない。
一人立ち向かうレッドファルコンも退けたガッシュ。マゼンダはとうとう崖っぷちに追いつめられてしまう。
ひたすら強いガッシュ。身体を機械化し、戦闘力をアップさせてもガッシュに傷一つつけられないマゼンダの姿が悲しい。
天才を目指すために彼女がしてきたこと。それはビアスの科学の前には無力であり、虚しい努力であった。
そのことがガッシュに歯が立たたないマゼンダの姿を通して描かれている。
剣を使っても強いガッシュは、レッドファルコンでも敵わない。思えば勇介はルイにラブレターを渡していた。
どうしてもルイを守りたい勇介の気持ちが仮面越しに伝わってくる。
ガッシュに追いつめられたマゼンダは、とうとう脳までも機械化する。怒り狂ったビアスはマゼンダを攻撃。
最後に人間性を取り戻したマゼンダは豪に自然の美しさを語ると、崖から落ちて自爆しその生涯を終えた。
仙田ルイが何故傲慢な性格になったかは、彼女の過去が描かれなかったため最後までわからなかった。
しかし、マゼンダの最後の言葉からおぼろげながら想像することができる。
恐らく、人より才能のあったルイはかっての豪の母のような教育に熱心な過程で育ったのかもしれない。
豪と違いなまじ本当の天才だっただけに、いつしか周りと馴染めず自分の才能を見せつけることだけが彼女の生き甲斐であり存在を証明することに繋がっていた。
それ以外のことに価値観を持たなかった彼女が、脳まで機械になったことでようやく本当の人間らしさを取り戻した姿が切ない。
マゼンダが最後に語り掛ける相手は一貫して豪。ライブマンとは絡んでいない。
個人的にはライブマンとも会話して欲しかった。しかし、友を倒すでもなく救うでもなくその行く末を見守ること。
それがライブマンの役目だと考えた時、人生の無情さや儚さをより感じることができた。
子ども向け番組でありながら、そういう空気をしっかり宿す凄い作品だ。
「神様はマゼンダをお許しにはならなかったのですね……」
豪の台詞には色々感じるものがある。最初に人の姿を捨てたのは豪だったな。
ズノーベースではケンプが狂ったように笑い声を上げていた。果たしてケンプの運命は……
恐らく、この時ケンプは実際に狂ったのだと思う。ビアスへの狂信とマゼンダの死、そして唯一生き残った自分だけがビアスの弟子というプライド。全てが重なったのだろう。
ケンプを演じる広瀬氏は本当に狂う芝居が上手い。後年の鳥人戦隊ジェットマンでもその姿は存分に堪能できる。
第48話作品情報
サブタイトル 誕生!! 少年王ビアス! 放送日 1989年2月11日 監督 東條昭平 脚本 曽田博久 登場怪人 恐獣ヅノー
あらすじ
千点頭脳となったケンプ。その脳を手に入れたビアスはギガブレインウェーブで世界中の人々を操る。
感想
ボフラー戦闘機に攻撃されるケンプ。ライブマンはボルトから逃げたのだと推測する。
ケンプは一番の悪党と憎しみを表す鉄也。彼にとっては兄弟を殺した張本人なのだから許せないのは当然だ。
それでも助けようと伝える勇介。救出したケンプは反省の言葉を口にするが、それは罠だった。
ライブマンを倒したことでついに千点頭脳となるケンプ。
マゼンダに続き、これまたあっさり千点頭脳に到達した感満載のケンプ。
やったことといえば、罠にかけたライブマンに体から伸びる触手で電撃攻撃を加えたくらいなのだが……
やっぱりビアスは時間がないと採点が甘くなるようだ。こんなことくらいで千点頭脳になれるなら、これ以上のライブマンのピンチはたくさんあったと思うけど‥‥‥
千点頭脳になる一番の近道は、ビアスが焦っている時に何か成果を上げることかもしれない。
そう考えると、ビアスの姿は真面目に努力することを否定しているように感じる。
ブッチーやアシュラなどの対抗馬をぶつけ、あれ程ケンプたちに努力しろと言っていたのも関わらず当の本人から感じる印象がそういうものというのは皮肉。
悪の目的のためにやる努力など、無意味だというメッセージなのだろう。
「脳を取られることはビアスの中で永遠に生きること」と豪語するケンプの姿は完全な狂信者。
ボルトの宇宙船に乗ったガッシュがケンプの脳を取りにやって来る。
この場面のボルトの宇宙船に向かうケンプの姿は、第1話ではじめて月形がボルトに行く時の場面と被る。
しかし、もうケンプの隣には誰も居ない。あの時と同じように止めてくれる者たちはいるのに。
前回ナイフでマゼンダを襲ったガッシュ。今回は、頭を覆う強大なトマトのような被り物でケンプの脳を取る。
う~ん、こんなのがあるんなら前回のマゼンダの時のナイフは何だったんだろう? マゼンダを気絶でもさせて、これを被せればマゼンダの脳を取れたと思うんだけど。
ついに脳を献上したケンプ。残った体は恐獣ヅノーに姿を変えてライブマンに襲い掛かる。
丈たちが足止めをする中、勇介は一人宇宙船に忍び込みズノーベースに潜入する。
人間の体から脳がなくなったらどうなるのかわからないが、微笑みを浮かべたり機敏に動いたり偉く元気そうな恐獣ヅノー。
こんなことができるのも人体改造の影響だろうか? ガッシュに撃たれても死なない豪といい、ボルトの人体改造技術はずば抜けているなあ。
ケンプの脳を手に入れ、12個の千点頭脳を手中に収めたビアス。それを使ったギガブレインウェーブは、全世界の人間をビアスの信奉者にしてしまう。
恐獣ヅノーとの戦いで気絶していた丈たち四人も操られてしまう。特撮伝統の、人相の悪くなるメイクを施されてビアスの名を呼びながら拝み続ける四人の姿はトラウマになりそう。
世界征服目前のビアスの前に、ついにヅノーベースに突入したファルコンが現れる。ライブマンのメンバーがビアスと対面するのがこれが初。
一方、地上ではロボットであるために操られなかったコロンがライブロボで出撃する。しかし恐獣ヅノーの前には歯が立たず、操られた四人に破壊されそうになってしまう。
勇介が不在のためコロンを登場させる展開が熱い。展開も自然だし、コロンがライブマン六人目のメンバーだったことを実感させられる。
ビアスと対峙したファルコンはファルコンセイバーでビアスを貫く。ダメージを受けるビアス。
多くの悲劇を起こした存在とはいえ、怪物でもない生身の人間の姿をしたビアスを貫くファルコンの気持ちはどんなものだったのだろう?
少なくともケンプやマゼンダと違い、まだ普通の人間に姿が近いので勇介の胸中は辛いものがあったのではないか。
しかしビアスもさるもの。ダメージを受けながら、口からビームを吐いて反撃してきた。
時折ヅノーベースから繰り出す攻撃といい、やはりビアスもある程度は自己改造をしていたのだろう。
瀕死の身でファルコンを退けるあたりはラスボスの面目躍如といったところか。
ファルコンの活躍でヅノールームが破壊され、ギガブレインウェーブが中断。洗脳から醒めた丈たちはスーパーライブロボで恐獣ヅノーを倒す。
ライブロボに続いて、スーパーライブロボまで操縦するコロン。他のメンバーを差し置いて中央の席に座っている。
思えばコロンも星博士が残してくれたものだった。ある意味では、星博士もずっとライブマンと一緒に戦ってきたのだろう。それが、博士が残したロボを操縦するコロンの姿から伝わってくる。
平和のために作られたコロン。悪事のために作られた頭脳獣。同じ科学の申し子でも、間違った目的のために存在するものは敗れるのだ。
ヅノールームは破壊されたものの、ビアスはケンプの脳の力を借りて少年王ビアスの姿となる。
驚愕するファルコン。果たしてライブマンはボルトを倒すことができるだろうか……
というところで次回へ。
ビアスが少年王になった後、最後の場面で曲がったビアスの肖像画を元に戻しているガッシュが健気。
最後の最後に、ビアスが怪物の姿になるのではなく少年の姿になるという予想の斜め上の展開に驚いた人も多かっただろうな。
第49話作品情報
サブタイトル 大教授ビアスの崩壊!! 放送日 1989年2月18日 監督 東條昭平 脚本 曽田博久 登場怪人 デンシヅノー
あらすじ
少年王となったビアス。スーパーライブロボはヅノーベースに決死の体当たりを敢行する。
感想
ついに迎えた最終回。強大な力を持ったラスボスを打ち倒すではなく、まるでその行く末を見守るように展開されるドラマがライブマン独自の魅力を放っていた。
少年王ビアスはこれからまた勉強して、いつか再び大教授ビアスになると宣言。千点頭脳の一つから最期の頭脳獣・デンシヅノーを作る。
ビアスの攻撃に変身が解ける勇介。迫りくる少年の声が大教授のビアスの声に変わる。
単純によくそれだけ勉強する気があるなと、どこかビアスを尊敬してしまう冒頭。現実でも、人並み以上になるには狂気も必要だと思う。それ自体は間違っていない……
だが、ビアスはその過程で多くの人を踏みにじってきた。そんなビアスに最後の審判の時が迫る。
ヅノーベースで地球に攻め込むビアス。破壊される街。しかし、スーパーライブロボ決死の体当たりによってヅノーベースは地上に落下。
仲間と再会した勇介。そして、ライブマンたちの前に少年王ビアスが姿を現す。
少年王ビアスの誕生を祝うためにケーキを用意するガッシュ。何というか、そこだけ見れば凄く可愛い。
「お客様を大事にしてあげなさいよ」と捕らえた勇介を見ながら支持するビアスを、手をパチパチしながら祝うガッシュ。
その姿は、まるで親か祖父のようだ。
ここで感じたのだが、ガッシュはビアスにとって唯一「家族」と呼べる存在だったのだろう。
そして、それはガッシュにとっても。
ヅノーベース落下の衝撃で傷を負っていたビアス。手の中には小さくなったケンプの脳。
それからビームを出して攻撃するビアスだが、ケンプの脳は完全に飛び道具扱い。
人間の脳ってそんなに万能なんだろうか……
ビアスの姿に驚く丈たちだが、ビアスはあくまで地球征服のためにライブマンと戦う。
ガッシュ、デンシヅノーとライブマンが争う中姿を消すビアス。ドルフィンがそれを追いかける。
傷の痛みに苦しむビアスを撃つことができないドルフィン。子どもの姿だから撃つことができないと詰め寄るビアス。
優しさこそが弱点だとめぐみに言い放つビアスだが、弱いのはビアスのほうだとめぐみに反論される。
ビアスが少年の姿に戻ったのは、心のどこかで大教授以外の人生を求めていたためだと。
その説得に反応したケンプの脳がビアスに反逆。他の千点頭脳も人間の心を取り戻し自爆。全ての千点頭脳は消滅し、ビアスは再び老人に戻ってしまう。
最初に見た時は、めぐみの言っていることは唐突に感じた。
だが、戻るなら何もひ弱な子どもの姿を選ぶ必要はないのに子どもに戻った事実がビアスの心情をそのまま示していたのだろう。
大教授になってビアスの手元にあったものは何だったか。物言わぬ脳と付き添いのロボットが一人。それだけである。
ビアスは天才だった。その上努力もした。その結果孤独な人生を送ることになった。
しかし、仲間を求めることは孤独に耐えて生きてきたこれまでの自分を裏切ることになる。だからビアスは走り続けるしかなかった。
悪に身を堕とし、手を血に染めて。それは恐らくケンプも。
もしかしたら、他の千点頭脳となった人々もそんな孤独な存在だったのかもしれない。
地上に落下し、口々に人間だった頃の懐かしさを叫ぶ姿からはそんなことを想像してしまう。
反逆し、自爆したことでその人生を終えたケンプ=月形。
あれ程ビアスを信奉していた彼の心変わりもやや唐突な印象。
考えられるのが、脳だけになったことでダイレクトにビアスの心理にリンクしてしまったのではないか。
ビアスの人間らしさに触れて、自分も人間性を取り戻したのかもしれない。
極端な学歴社会は人間性を歪める。何かに気が付くのは失った時。ライブマンのテーマの集大成がこの最終回だ。
老人に戻ってもなお野望を捨てないビアスに最後まで尽くすガッシュ。
そんなガッシュも、ついにレッドファルコンとの一騎打ちに敗北する。
マゼンダの攻撃にもびくともしなかったガッシュ。そんなガッシュがファルコンに右手を斬られるのは衝撃。
数話前までファルコンが手も足も出なかったことを考えれば、急に強くなり過ぎだろうと感じる人もいるかもしれない。
だが、実際ファルコンは強くなったのだと思う。ロボットであるガッシュの反応速度さえ上回る速さでの攻撃。
ガッシュの攻撃に耐え抜く精神。
確かにガッシュはとんでもなく強かった。しかし、ファルコンの勝利は機械さえ超えていけるであろう人間の可能性を示している。
残されたデンシヅノーもバイモーションバスター、スーパーライブロボで撃破。
最終回にしては今一つ強敵という感じがしないのが残念なデンシヅノー。だが、スーパーライブロボの豪快なジャイアントスイングの餌食にされるという見せ場があったのは唯一の救いか。
発進しようとするも、既にそれができる状態ではなく爆発してしまうヅノーベース。その中でビアスは彼を讃える幻聴を聞きながら最期を迎える。傍らには最後まで付き添うガッシュ。
爆発の火花を、ビアスを讃える花火だと優しい噓をつくガッシュ。これはもう主人に忠実とかそんなレベルの行動ではない。
心からビアスを思い、自分で考え行動している。紛れもなくガッシュには心がある。
演じる中田譲治氏の名演と相成って、ビアスの最期はどこか切なさを感じさせるものになっていた。
全てが終わり、残されたガッシュの首から映し出されたこれまでの戦いを振り返るライブマン。
「美しいものは何一つ映っていない」
めぐみの台詞がボルトとの戦いを一言で表している。
ビアスの言う勉強とは、自分だけが良ければいいという利己主義の行為だった。
しかし、この世界は自分一人の力であるわけではない。誰もが支え合いながら生きている。
勉強とはその為に行うもの、努力するもの。それこそが勉強の本当の意味。
ボルトの最後は自滅に近いため、敵側のドラマにややライブマン側が喰われてしまった感はある。
それでも、多くのキャラクターの苦悩と葛藤を描き切った物語はとても見応えがあった。
当時は戦隊シリーズの10作目として製作されたライブマン。
宇宙や地底からではなく、人間と人間の戦いの物語であった。
人間であるが故に道を誤るのがボルトメンバーの姿なら、人間であるが故に正しい道を歩けることを示したのがライブマン。
人間賛歌の物語・超獣戦隊ライブマンここに完結。