2021年のスーパー戦隊シリーズ最新作「機界戦隊ゼンカイジャー」は、斬新なメンバー構成で話題を読んでいる。
五人のメンバーで人間は一人だけ。後の四人は機械生命体なのだ。
もちろん四人にはそれぞれ性格も人格もあるが、長い歴史の中でメンバーが常に人間だったことを思えば異例の出来事である。
こうした人間一人と人間外の仲間という物語の元祖を考えると「桃太郎」にたどり着くのは飛躍した発想ではない。
舞台「AND TO THE LEGENDARY 陰陽道・桃源郷」は、2021年3月19日から21日にかけて福岡市で上演された。
誰もが知る「桃太郎」を題材にした物語だ。
製作にあたり福岡市で活動する劇団「陽(ひざし)project」と、私立通信制「勇志国際高等学校」がタッグを組んでいる。
様々な魅力に溢れた舞台だが、中でも私を魅了したのは両作品で重要な役柄を演じた女優・今中智尋の存在だ。
今中智尋はドラゴンボールの孫悟空である。
なぜなら彼女の演技には、数々のアニメで少年役を演じた声優・野沢雅子の演技にも通じる少年の純粋さが感じられたからだ。
本作は太古の日本という設定だが、演出は非常にポップなもの。
冒頭に組み込まれたキャスト紹介は、プロジェクターを使ったド派手な演出。
しかしこれがあったことで、観客は前情報がなくても登場人物を把握することができた。
キャストが紹介される度に拍手が起こる。今中智尋の名前が映し出され、自然と拍手に力が入る。
そこにいたのは紛れもなく姿は彼女でありながら、これから運命に立ち向かう一人の少年の姿だった。
「陰陽道」で今中智尋が演じたのは皇族の血を引く稚武彦乃命(わかたけひこのみこと)だ。
倭王朝の霊帝(れいてい)はの吉備津彦乃命(きびつひこのみこと)と稚武彦の息子兄弟に岡山に現れた鬼の討伐を命じる。
皇族に伝わる神の力が使える兄に対しそれが使えない稚武彦は父に自分を認めさせようと焦るが、神の力は使用に対し生け贄を必要とするののだった。
霊帝の真の目的は稚武彦と鬼を犠牲にして、生け贄を必要としない無限の力を得ること。
霊帝が吉備津彦を重宝する場面で、舞台端で佇む今中智尋の表情は苦悶に満ちていた。
それを見ることで観客は稚武彦の真剣な思いを感じることができる。
例えメインでない場面でも今中智尋の演技は常に全力だ。
鬼退治にあたって、占いにより三人のお伴が選ばれた。
その時舞台に異変が起こる。
なんときじを表す紋章が、某SNSのアイコンだったのである。
すかさず入る役者の突っ込み。
唐突な演出に面食らったが、これが後のシリアスな展開とのギャップを生み作品にインパクトを与えることに成功している。
年少の観客も意識したライトな演出は個人的には好感度大だ。
まるで「銀魂」や「デッドプール」のような第三の壁を越える演出にオタク心をくすぐられる。
犬飼部犬飼武(いぬかいべいぬかいたける)、猿飼部楽々森彦(さるかいべささもりひこ)、鳥飼部留玉臣(とりかいべとまたまおみ)の三人がお伴として選ばれる。
それぞれ桃太郎の犬、猿、きじにあたる。
本作は認められたい少年と彼を取り巻く陰謀を描いたストーリーに、近年注目を集める鬼を題材とした内容など少年漫画を彷彿とさせる舞台だ。
ある意味「キャラクター物」である本作で一番大切なのはキャラクターの魅力である。
その点において本作は実に秀逸だ。登場人物全員に明確な個性がある。
堅物の犬、ひょうきん者の猿、まとめ役のきじと描き分けの見事さ。
これに稚武彦と吉備津彦を加えればそのまま戦隊だ。
稚武彦がレッド、吉備津彦がブラック、犬飼部がブルー、猿飼部がイエロー、鳥飼部がピンクといった感じだ。
功を焦り飛び出す稚武彦を追う形で他の四人も鬼退治に出発する。
一方岡山では阿曽媛(あそひめ)と王丹(おに)という鬼姉妹の物語が展開されていた。
二人の父はかって朝廷の勢力拡大のため吉備津彦に命を奪われ、その時姉妹も命を落とす。
しかし父の強い憎しみは鬼神温羅(きじんうら)として鬼を生み出す存在となり、姉妹も鬼として生まれ変わっていた。
鬼として生まれながら殺戮を好まない阿曽媛に対し、王丹は父の怨みを果たそうとする。
キャラクターが揃えばそこに必然的にドラマが生じる。
生まれた時に名前を与えられた阿曽媛を、名前すら与えられないまま死んだ王丹は憎んでいた。
岡山に到着した稚武彦一行は王丹と交戦し、阿曽媛を人間と勘違いした稚武彦は彼女を助けることとなる。
ここから本作に流れるのは「人の業を救うのは人である」というテーマだ。
稚武彦も阿曽媛も演じるのは女性である。
しかし今中智尋の演技は、まるで「天空の城ラピュタ」のパズーのように汚れなき少年の思いを見事に表現していた。
分かり合えない鬼姉妹は、同じく分かり合えない稚武彦兄弟の対比である。
本作には様々な対比が描かれた。
吉備津彦と犬飼部は、互いに本心を知り友情を結んでいく。
一方で霊帝は全ての物を利用する対象としか見ていない。
分かり合える者達と分かり合えない者達の物語は、部下の裏切りにより霊帝が死ぬことでターニングポイントをむかえる。
稚武彦こそ誰よりも民を思う気持ちを持つ存在と知った吉備津彦は、自分の身を犠牲に鬼神温羅を封じ込めることを決意する。
それは自らが鬼となり本に封印され、その中で永遠に温羅に身を切り刻まれることを意味していた。
その痛みを供に背負うため無限の月日を鬼狩りと戦い続ける犬飼部。
一方で稚武彦は、最終的に家族を知らない阿曽媛にそれを教えるため彼女と家族になることを決意する。いつか阿曽媛と王丹が分かり合える日のために。
「万能の力を否定し、足るを知る」これが本作のもう一つのテーマだ。
これは作品の冒頭で示され、倭朝廷が侵略を広げる理由となった「人は便利さを捨てられない」という問題提起への答えである。
稚武彦は神の力を使えない代わりに、人として精一杯の誠意で阿曽媛に接することで彼女と理解し合うことができた。
霊帝の支配を求めたスパイであった猿飼部は鳥飼部により命を絶たれる。
行き過ぎた人間の行いが悲劇を生むことは「フランケンシュタイン」に代表されるように普遍のテーマだ。
それを誰もが知る桃太郎と結びつけたところに、改めて本作の面白さを感じる。
そして少年漫画の魅力は強い思いが奇跡を起こすことだ。
運命に翻弄されながらも純粋な気持ちを捨てなかった稚武彦の姿に、人間の持つ未来への可能性が描かれていた。
その可能性がもたらす奇蹟は永遠の時を戦い続け、疲れ果てた犬飼部を稚武彦の魂を宿した桃太郎が救いに来るラストで頂点をむかえる。
稚武彦を通して人間の可能性を描き、犬飼部を通して友情を描いた本作は最後まで人間賛歌の物語であった。
本作において「鬼」は絶対悪として描かれてはいない。
だからといって本作は誰もが知る桃太郎を否定する物語でもない。
本作が重視していたのは物語としての桃太郎の成り立ちだ。
昔話というコンテンツの再構成は、世界は視点を変えることで無限の可能性を秘めていることを感じさせてくれた。
真っすぐな少年である稚武彦を男性が演じる選択肢もあっただろう。
しかしやはり稚武彦は今中智尋でなければ演じられない役だったと思う。
「智尋さんは努力の天才で、そして才能の天才」
今中智尋の姿を知る人から聞いた言葉だ。
個人的な話で恐縮だが、どんな時も弱音を吐かず常に人の心を明るくするために行動し続けてきた彼女の姿を私は知っている。
私はその姿に元気づけられた一人だ。
だから稚武彦役が彼女で良かったと心から思う。
もちろん本作の魅力は彼女だけに留まらない。
プロジェクターを使った鮮やかな視覚演出、役者陣の熱演‥‥‥
中でも犬飼部を演じた田中耀大の熱演は特筆すべきものだ。
まるで映画「カイジ 人生逆転ゲーム」のカイジのように心の奥底から発せられた叫びは限りなくリアルに迫った虚構(演技)であり、だからこそ確実に観客の胸を打っていた。
「陰陽道」の物語は「桃源郷」と重なることで存在している。
この二つが揃うことではじめて一つの物語になる。
だが片方の物語を観ただけでも改めて思う。
今中智尋は孫悟空である。
少年役を捉えどこまでも伸びていく無限の可能性はそのまま悟空だ。
彼女のポテンシャルの凄まじさを「桃源郷」で、私はよりはっきりと目撃することになる。
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