これから書くことは自分自身を整理するためのもので、結構生々しい部分もあります。お目を汚したら申し訳ありません。
この7月と8月は心が死んでいるような日々だった。理由は様々だけど、人生を建設的に進めるようなことは何もしていない。ブログも2記事しか書いていない。
8月には34歳になった。9月になっても心がモヤモヤするような時間を過ごしている。
無気力に過ごし、暇があれば女の子のいる店(いかがわしい店ではありません)で現実から逃げるように時間を潰し「これは今しかない時間なのだ」と自分に言い訳をし、彼女たちよりわずかばかり年上であることをいいことにちょっとした余計な人生のアドバイスの真似事をすることで小さすぎる自尊心を満たし、足りない代わりに不足し過ぎともいえない金で安い弁当を買い生きていた。
周りを見ればキラキラしている。こんな時代でも前に進む人はいるし、楽しそうに生きている人達はいる。
自分は変わった。数年前は確かに前に進もうという気持ちと行動力があった。今はそれがない。はっきりわかる。何故だ?
写真を撮ろうとミラーレス一眼を買った。そのカメラはほとんど出番もないまま防湿庫で眠っている。なけなしの金をはたいて買った高価なレンズは一回も使用していない。カメラに取り付けてもいない。
スマホで動画を見る。ブログも書かないからこれまたなけなしの金で買ったChromebookも埃をかぶっている。
ようやく買った円盤も未開封。購入した電子書籍は読まない。
何もできない。しない。 何故だ?
一時の楽しさにかまけて自分を見失ったか? そういう部分も確かにあるだろう。だがそれだけではない。
さっきまたモヤモヤして近所を少し歩いてきた。無気力、他人への嫉妬、受け入れられない気持ち。その原因は・・・
この歳になると「夫」なり「父親」なりに憧れる自分がいる。
いや、それだけではない。俳優、アイドル、アーティスト、会社員、コスプレイヤー、声優、あるいは人生のステップとしての就職・・・・
そういった道に日々チャレンジし、活動している人々を知った。以前の私の人生にはなかったことだ。私はそれに憧れている。
それは詰まるところ幸せへの憧れ・・・ 自らが選びとった楽しさの中で生きるという美しい光景への憧れに他ならない。
だが自分が求めるものというのは本当に美しい「だけ」のものだろうか?
家族を支えるために仕事をし、上手くいかなければ怒られるか白い目で見られられ、家庭でも夫婦で衝突することもあるだろう。
子どもがいれば可愛いだけではない。夜泣きもすれば我儘もいう。子ども相手に逆ギレする時もあるだろう。
成長すればそれだけ様々な問題も起きる。
「夫」「父親」・・・カッコいいことばかりではない。逆にカッコ悪いことの方が遥かに多い。
何が言いたいかというと私は常に物事の表面、浅い部分しか見ていなかった。だから人を羨む。人を受け入れない。
「誰でも目に見えない部分がある」ことを想像できない。
大問題だ。
人は最終的には目に映る姿で信じるしかない。だが、それは単にその人を「自分の都合のいい存在」として認識しているに過ぎない。少なくとも私は。
カッコ悪い自分が許せない。だからカッコつけてもそれには中身がない。そんな自分にイラつくから他人を妬む。カッコ悪いを通り越してダサい。
カッコ悪くてもいいのだ。この世界にカッコ良くできることなんてほとんどない。
そういう風にできる人もいるかもしれないが、私はそうでない。
自分はカッコ悪いと、弱いと認めると心が楽になる。大事なのはそれを行動しない言い訳にしないこと。心配せずとも世の中の大多数の人がカッコ悪く生きている。
遠い昔は両親も家族の問題があった。きっと思っただろう。
「こんなはずじゃなかった」と。
思えばあの時の両親もカッコ悪く懸命に状況に向き合っただろう。
理想と180度異なる現実と。
恐怖には「自分は弱い」と開き直って立ち向かえばいい。前進する人間に嫉妬を感じたら「その人は失敗というカッコ悪いことを繰り返している」と思えば腹も立たない。むしろ自分もやる気になる。
カッコ悪くてもいい。カッコ悪くても。
結局、自分の心を死なせていたのはカッコ悪さを恐れて行動しなくなったこと。そういうことだったのだと思う。
不安はある。親ももう年だ。いつまで元気かわからない。私自身はあいも変わらず宙ぶらりんなまま。人生のパートナーなど見つかるはずもなく、布団に入ると未来を思い恐怖する。
そして恐怖から自分を誤魔化すためまた逃げるのだ。
「自分は恐れてなどいない、そんなカッコ悪い部分は自分にはない」と。
保育園の頃カッコつけといわれた。今思うとそれは的を得ていたのだろう。
これからどうするか・・・ もうわかっているはずだ。カッコ悪くてもいいと思い生きていく。カッコつけて行動しない人生、無様に失敗しても行動していく人生。どちらが自分の心に「熱」を与えるかはもうわかっている。
その過程で人を傷つけるのかもしれない。それが何より怖い。だがそれでも生きていきたい。
自分の力で人生は楽しいと思える瞬間を掴むまで。