映画「るろうに剣心」は原作漫画の実写化に成功した作品といわれている。
何をもって成功と判断するかは意見の分かれるところだが、興行収入30億円という数字は成功と呼んで差し支えない説得力を持つだろう。
実のところ本作には、原作と比較してテイストが異なっている部分が少なくない。
それにも関わらず、なぜ本作は実写化に成功した作品と評価されるのか。
この記事では「るろうに剣心」を題材に、漫画を実写化した場合に観客を納得させるポイントが何なのかを考察していく。
「るろうに剣心」原作と映画の違い
まず「るろうに剣心」の原作と映画で異なる点を整理する。
上映時間の都合上、映画では原作と大幅に異なる展開が見られた。
・原作の黒笠編と観柳編が同時進行で進む。
・相良左之助との戦いが途中で終わったまま左之助が仲間になる。
・原作ではもっと後に登場する斎藤一が、映画では早くから剣心と再会する。
・観柳編で登場した人気キャラクター・四乃森蒼紫が登場しない。
・原作では黒笠編の後が観柳編だが、映画では黒笠・鵜堂刃衛がラスボス。
また作品が持つ空気も原作と映画では微妙に異なっている。
わかりやすいところでは、剣心が必殺技を出す時の演出だ。
原作での剣心は少年漫画らしく技を出す際は技名を叫んでいる。しかし映画ではこの演出は極力抑えられていた。
刃衛のキャラクターも奇妙な笑い方をする恐ろしくもどこかユーモアを感じる原作に対し、映画では機械のように冷酷な一面が強調されていた。
通常であれば、実写化は原作をできる限り忠実に再現するのが鉄則のはずだ。
それに当てはめた場合「るろうに剣心」は必ずしも原作を忠実に再現しているわけではない。
それにも関わらず、なぜ本作は実写化の成功した例といわれるほど支持を得たのだろうか。
一本の映画としてのクオリティ
まず漫画の実写化としてどうこうという前に、本作は一本の映画としてクオリティの高い作品であった。
破綻のない脚本、佐藤健や香川照之といった実力派俳優たちの演技、アクションシーンの持つ高揚感、明治時代を再現したセットや衣装の素晴らしさ。
実写化作品では原作の再現性ばかりに注目してしまうが、映画である以上大切なのは「映画としてのクオリティ」である。
先述したような原作と異なるストーリー構成も、映画のクオリティを高める上で有効に働いていた。
観柳と刃衛のうち、どちらがラスボスに相応しいかは一目瞭然だろう。
蒼紫を登場させなかったのも、映画全体のバランスを考えれば正しい判断であると感じる。
仮に登場していたとして、蒼紫と刃衛でラスボス戦が二度続くことになる。この場合映画としてやや間延びした印象になることは否めない。
原作一巻にはない冒頭の戊辰戦争の場面も「剣心が抱える過去への苦悩」というテーマを伝えるには効果的であった。
これがあることで剣心と刃衛の対比が明確になり、観客は剣心に感情移入することができるのだ。
完成度の高い映画は原作ファン以外の観客も満足させることができる。
映画「るろうに剣心」が公開されたのは2012年だ。連載終了から10年以上が経過していた。
人気作とはいえ原作のファンとそうでない人間のうち、どちらが多く映画を観に来るかを考えれば後者だろう。
そうした「原作のファンでない人間」が楽しめ、数値として高い興行収入を示した時にその映画は「成功した」といえるのではないだろうか。
原作ファンを納得させること
警官をしている斎藤一が原作より早く剣心と再会する展開は自然に感じる。
例えば本作に蒼紫を登場させたとして、蒼紫と斎藤を戦わせて剣心と刃衛のバトルと同時並行で描く方法もあっただろう。
しかしそれは明らかに原作改変の一線を超えている。
剣心が技の名前を最低限しか口にしないのは、シリアスな映画の雰囲気に合わせたためだろう。
想像してほしいのだが、実在の人間たちが戦いの中で技名を叫んでいたらどうだろうか。
仮面ライダーのような特撮ヒーローなら映える演出だが、苦悩する剣心の姿としてはややバランスが悪い。
またせっかくのアクションのスピード感が、技名を叫ぶことで失われる可能性もある。
しかし最後に剣心が技名を呟くことで、ファンは紛れもなく本作が「るろうに剣心」であることを実感できた。
原作改変をどの程度受け入れられるかは人それぞれだ。本作の改変に否定的な人もいるだろう。
だが本作が原作の持ち味を大事にしている作品であることは間違いない。
本作は原作の完全実写化とはなっていない。
しかし原作から改変した部分を持ちながら、ファンが「こういうのもあり」と納得できる作品となっていた。
漫画の実写化にあたり大切なのはこの点であると考える。
誤解を恐れずいえば、元々漫画の実写化は無理があって当然なのだ。
漫画の魅力は「漫画だからできる表現」にある。
どんな突拍子のないストーリーや演出、キャラクターデザインも漫画なら自由だ。
それが実写映画という違う媒体になれば、上手くいかない方が自然なのである。
キャストが発表された際「原作のイメージと違う」という声がある。
だがそもそも違って当然なのだ。
同じ問題はアニメにも当てはまる。
一見すると実写化に比べればハードルの低いように見えるアニメ化だが、いざ始まれば「思っていたのと違う」という作品もあるだろう。
実写であれアニメであれ、元の媒体が違う媒体で展開されればそこには無理が生じるものなのだ。
映画「るろうに剣心」ではできるだけその無理が観客に伝わらず、これも一つの形として納得してもらえるよう気配りがされていた。
もちろん他の漫画が剣心と同じようにしても受け入れられるという保証はない。
しかし「るろうに剣心」を見返した時に思う「こういうのもあり」という感情。
それこそが実写化を成功させる一つのポイントではないだろうか。