仮面ライダークウガにおける謎の一つ。
「先代クウガは、如何にしてゴ集団などの強敵を封印したのか」
放送終了から20年以上が経過しても、ファンの間で様々な考察がされる話題だ。
「先代クウガは封印エネルギーの扱いに長けていた。それ故に通常形態の攻撃でも当てるだけでグロンギを封印できた」
私の知る範囲ではあるが、この説を唱える人が一番多い。
だとすれば別の疑問も生まれる。
先代クウガが行ったグロンギ族への「封印」とは、そもそもどういったことなのかという疑問だ。
以外にもあまり言及されていないこのことについて、自分なりに考えてみる。
そもそも、劇中の印象で「封印」という言葉がしっくりくるのはン・ダグバ・ゼバだけであろう。
クウガ第一話の冒頭で、先代クウガが棺に入りダグバを封印する描写がある。
他のグロンギ族には、戦っている描写はあるが封印らしいことをしている描写はない。
それにも関わらず、グロンギ族は全員地面の下に封印されていた。
劇中の戦闘場面が本当に古代で起こったものなら、クウガの封印とは攻撃を当てれば相手が地面に吸い込まれることだとでもいうのだろうか?
封印から目覚めたダグバが他のグロンギを蘇らせたことから、棺の封印が他のグロンギの封印に関連していたとは考えづらい。
なぜなら、もし関連があるならダグバが目覚めたタイミングで他のグロンギも復活しなくてはおかしい。
ダグバが封印されたから他のグロンギも封印されたとかではなく、封印はそれぞれの怪人に別個で行われたと考えるべきだろう。
ここで思い出したのが、クウガのベルトにある霊石・アマダムとグロンギの体内にある魔石・ゲブロンは本質的には同じものだということ。
だとすれば、同質のエネルギーをぶつけることで相手のエネルギーを無力化できると考えられないだろうか?
クウガの封印エネルギーをグロンギに流し込むことでグロンギは怪人としての力を使うことができなくなる。
神経に接続したゲブロンは封印エネルギーにより活動停止。
同時に、グロンギは仮死状態になり長い眠りにつく。
グロンギたちを、地面の下に埋葬したのはリントだろう。
さすがにクウガが一体一体の敵を、わざわざ埋めたとは考えづらい。
ダグバが他のグロンギを復活させる場面を振り返れば、ダグバの放った光線によりグロンギたちは目覚めている。
これはダグバのエネルギーにより先代クウガの封印エネルギーがかき消され、ゲブロンが再び活性化したと考えられないだろうか?
クウガの力の源であるアマダムは、人の意志を具現化させる力がある。
高く飛びたいと願えばドラゴンフォームに。
遠くの敵を倒したいと願えばペガサスフォームに。
現代のクウガ・五代雄介がもっと強くなりたいと願えばライジングフォームを発動させた。
では、先代のクウガは何かを願ったのだろうか?
相手を「殺す」という概念のないリント族。
であれば、先代クウガが願ったのは「相手を止めたい」ではなかったのか。
そう考えると先代クウガは封印エネルギーの扱いに長けていたというより、敵に与えるエネルギーの量が多かったと考えらえる。
相手を止めたい強い思いに、アマダムが反応した。
相手を止めるためには、より多くのエネルギーがあればいい。
CAPCOMのゲーム「ロックマン」を想像して欲しい。
通常、ロックマンが撃つバスターはチャージして強力な弾が撃てる。
先代クウガは、常時このチャージ弾を放っているようなものだったのだろう。
そういう戦い方をするのなら、何も強化フォームを与える必要がない。
必要なのは、単純にエネルギーの量だからだ。
恐らく、先代クウガには五代雄介のように「強い相手と戦うために自分も強くなる」という発想はなかったと考えられる。
では仮に、五代雄介が「相手を止めたい」と願えば先代クウガと同じことができたのか?
恐らく無理だろう。
五代雄介は皆の笑顔を守るために、グロンギを倒すことを決意している。
倒す決意を固めているのだから、アマダムが封印エネルギーではなく戦闘力の強化に働くのは当然だ。
確かに今度のクウガは骨があるな。これほど強い拳があればたくさんの獲物を殺せるだろうに。
引用:仮面ライダークウガ42話
ゴ集団のゴ・バベル・ダは五代クウガをこう評した。
戦いを嫌う五代にとっては侮辱の言葉だが、バベルからすればこの言葉はむしろ賛辞の言葉である。
様々な解釈ができる言葉だが、個人的には強い相手に純粋に強い「力」で向かってくる五代クウガをバベルは「骨がある」と感じたのだと思う。
封印エネルギーという「技」。
ファイター的なバベルからすれば、先代クウガの戦い方は認めるに値しないということだったのかもしれない。
五代雄介の性格を考えれば、先代のように封印する方がまだ精神的に楽だったかもしれない。
しかし、ある意味では過去の人々が現代に残した「災害」ともいえるグロンギ。
その因縁を完全に絶ち、痛みに耐えて戦った五代はまさに伝説を塗り替えた男だった。
封印という手段の功罪。
だが、そのおかげで作中で様々な人々の出会いがあった。
リントは変わったかもしれないが、捨てたものではない。
改めクウガという作品を観直すとそう感じた。