仮面ライダー剣(ブレイド)という作品を振り返ると、本作には仮面ライダークウガから仮面ライダー555までに使われた様々な要素が投入されていたことに気づく。
『主人公が人外の存在になる可能性を抱えている(クウガ)』『神のような巨大な力との戦い(アギト)』『カードというアイテムの使用とライダーバトル(龍騎)』『怪人が抱える苦悩(555)』など。
こうした直近の作品の要素を取り入れながら、ブレイドが他の作品と被らないブレイド独自の色を放っていたことに驚かされる。
個人的な意見になるが、その最大の理由は最終回となる第49話『永遠の切り札』の存在に他ならない。
『永遠の切り札』あらすじ
バトルファイトの勝者となったジョーカーの攻撃で仮面ライダーレンゲル・上條睦月が負傷。もはや戦えるのは仮面ライダーブレイド・剣崎一真のみとなる。
烏丸所長と仮面ライダーギャレン・橘朔也との再会も束の間、出現するダークローチにより世界は滅びに向かう。
闘争本能に動かされながらも自身の封印を望むジョーカー=仮面ライダーカリス・相川始と決着をつけるため剣崎は彼の元に向かう。
しかし剣崎は始を封印する以外のもう一つの方法を考えていた‥‥‥
感想
リアルタイムで観ていた時、私は橘が発言するまで剣崎が何を考えていたのかわからなかった。
そのため他の登場人物と同じタイミングで、剣崎の決意に衝撃を受けた。
そして剣崎がもう一人のジョーカーとなって始と戦わない選択をしたラストで、とても悲しい気持ちとなりブレイドの視聴を終えた。
クウガから555までの作品でも、それぞれ凄まじい戦いが繰り広げられてきた。
それでも、どの最終回からも穏やかな印象を受けるのは「主人公が仲間と同じ日常を生きれる」という安心感を感じるからだ。
もちろんクウガの五代雄介は最終回時点で旅に出たまま。
しかし視聴者は見知らぬ海外を旅する雄介の姿を見ることで、彼と仲間達の再開を信じることができる。
五代はみんなと同じ世界に生きることができるのだ。
剣崎一真はそれができない。
不死身のアンデッドになった剣崎は仲間と同じ日常を生きれない。
誰も剣崎と一緒に歩むことはできない。
ある意味人生の救いである『死』ですら剣崎には与えられないのだ。
「こんなことをするべきではなかった!」
当時は剣崎に対してこう感じたし、今でも思っている部分がある。
この剣崎のラストは、人間ではない人外の存在になるという昭和の仮面ライダーの要素も受け継いでいた。
悪の組織を倒した後バイクに乗り旅に出ていくライダー達。
その姿は親しい仲間達と別れた剣崎の姿に重なる。
平成ライダーの第1作・仮面ライダークウガは新しいヒーローを目指しながらも、怪人のモチーフなどに昭和ライダーの要素が取り込まれていた。
クウガの「新しさを目指しながら昭和ライダーのテイストも取り込む」という部分も、ブレイドは内包していたことになる。
仮面ライダー剣から衰えないパワーを感じるのは、初期平成ライダーの集大成というだけでなくその時点での全仮面ライダーの集大成であったからに他ならない。
昭和ライダーでは第1作『仮面ライダー』に登場したさそり男のように、主人公の友人が怪人となって襲い掛かる話が度々あった。
その極めつけが『仮面ライダーBLACK』のシャドームーンだろう。
ライダー1号・本郷猛もライダーBLACK・南光太郎も友人を救うことができなかった。
彼らにできたのは友と戦い安らかな眠りを与えることだけだ。
しかし剣崎は始と戦わない選択をすることで友を救った。
これは剣崎が先輩達ができなかったことをやり遂げ、先輩越えを果たしたことに他ならない。
常に戦って相手を倒すことで大団円を迎えていた歴代作品の中で、仮面ライダー剣は初めて相手を倒さず平和を得た作品だ。
剣崎が死ねない身体になるという大きすぎる代償を払って‥‥‥
ブレイドのこうしたテイストは『仮面ライダー』からスタッフとして活動していた、長石多可男監督の存在あってだと思う。
人ならざる力を持ち、人の社会で生きられない男の苦悩と気高さ。
仮面ライダーの原作者・石ノ森章太郎氏とも親交が深かったとされる長石監督は、その世界観を深く理解していた。
ブレイドに対し複雑な心境を持っていたともいわれる長石監督だが、この最終回を残してくれたことに心から感謝したい。
また、集大成というのは何もテーマ的な側面に留まらない。
ブレイドに登場するライダーが昆虫をモチーフにしていること、ブレイドがライダーストロンガーやクウガのように電気属性の力を使うこと。
この頃まで比較的徒手空拳のイメージが残っていた仮面ライダーの中で、ライダーXのように剣をメインに戦うこと。
さらに前作までの派手な色の主役ライダーと違い、紫紺のブレイドの抑えた色合い。
これはモスグリーンでヒーローとしてはやや地味な色をしていた初代ライダーを彷彿とさせる、というのは考え過ぎだろうか?
偶然だが初期仮面ライダーの最終作にして、ブレイドと同じくカブト虫モチーフの仮面ライダーストロンガーはシリーズ5作目であった。
仮面ライダーの剣もまた平成ライダー5作目であり、何か運命のようなものを感じずにはいられない。
ブレイドという作品についてよく聞かれる意見だが、私も序盤を観るのがやや辛かった。
個人的には主役のブレイドに力強さが欠けていたことがその理由である。
もちろんこれはアンデッドを封印して、カードを増やした分強くなるという作劇の都合もある。
だが序盤からライダーバトルが続きサブライダーの活躍にも時間が占められたこともあり、最初から強さが安定していたそれまでの主役よりブレイドは頼もしさが欠けてしまった。
だがそんなブレイド・剣崎が成長し、それまでの主人公が誰もできなかったことをやり遂げた最終回。
仮面ライダーは孤独なヒーローだ。そして文字通りたった一人で世界を守った剣崎はまさしく仮面ライダーであった。
決して爽やかな終わり方ではない。
剣崎が運命に屈し、バトルファイトがいつ再開してもおかしくない可能性を残している。
今後ブレイド世界の平和は非常に危ういバランスの上に成り立っていくのだ。
そして橘や睦月、虎太郎や栞といった仲間達はその後の人生で心から笑える日を送れただろうか?
その答えはわからない。
だが本作にどのような感想を持ったとしても、それは観た人間自身が選び掴み取った大切なものだ。
人間の持つ強さと優しさ、気高さを描いた『永遠の切り札』及び仮面ライダー剣は今後も永遠に語られ続けていくだろう。
もう一度いう。
仮面ライダー剣は、この時点での仮面ライダーシリーズの集大成である。