ネコはミカンを片手に夜明けを待つ

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“恐怖”と“希望”が同居する物語 ― ジョジョ第一部で描かれた人間の強さとは 

 

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 鮮烈な色彩体験 ― ジョジョ展に行ってきました

個人的なことで恐縮ですが、先日、近場で開催されたジョジョ関連の展示イベントに足を運んできました。

展示空間に一歩足を踏み入れた瞬間、まるで虹の中に飛び込んだかのような圧倒的な色彩の洪水。

ジョジョといえば独特のカラーリングが印象的ですが、実物の展示はやはり迫力が違います。

アニメや雑誌でカラー絵を見たことはあっても、原画の色の重なりや光の立体感には、また別の感動がありました。

 ジョジョとの出会いと再燃

私が『ジョジョの奇妙な冒険』に出会ったのは小学生の頃。友達が持っていた単行本を見せてくれたのが最初でした。

それからずっと読み続けていたわけではありませんが、初めてページをめくったときの衝撃と恐怖の記憶は今でも鮮烈に残っています。

 

そして本格的にハマったのは、数年前に放送されたアニメ第三部「スターダストクルセイダース」。

そこから改めて第一部から読み直し、物語の深さと独特の世界観に引き込まれました。

ジョジョ第一部『ファントムブラッド』はなぜ怖い?恐怖の本質を考察

『ジョジョの奇妙な冒険』は現在(2020年時点)で第八部まで展開されています。

どの部もそれぞれ面白いんですが、やはり私の中で一番印象が強いのはジョジョとの出会いとなった第一部です。

そして第一部「ファントムブラッド」には、他の部とは異なる独特の恐怖が息づいています。

 

石仮面の力で吸血鬼となったディオ・ブランドーや彼が作った異形の怪物たち。
ディオに支配された街や人々の変貌ぶりは、ホラー映画さながらの演出で描かれ子供だった私にとってはトラウマ級のインパクトがありました。

 

まさにホラー映画ファンである原作者・荒木飛呂彦先生の持ち味がこれでもかと活かされていたと、改めて感じます。

 

しかし第一部で描かれている恐怖とはそうした怪物要素だけなのでしょうか?

 

改めてファントムブラッドで描かれる恐怖とは何かを探り、後の部でも描かれる「黄金の精神」の意味を考えてみたいと思います。

人体破壊のインパクト

子どもの頃に第一部を最初に読んだ時、一話の冒頭から恐かったです。

ファンならご存じ、謎の部族が儀式をしていて石仮面を被った男が出てくる場面ですね。

そうした絵面も恐かったし、いったいこれは何のお話なのかまったく想像できない恐さもありました。

 

その後は周知の事実としてディオが吸血鬼になって、さらに多くの怪物を作り出していく展開になります。

そして、その展開の中にもいくつもの恐さがありました。

それまで私は漫画というとドラゴンボールとかコロコロコミックで連載されていた漫画くらいしか知りませんでした。

だから派手な人体破壊の描写があるジョジョは衝撃的過ぎました。

吸血鬼になったばかりのディオが警官を次々殺害する場面に震え上がったのを覚えています。

同時に、それまで普通の青年だったディオが吸血鬼になった事実も恐かったです。

私はウルトラマンが好きなんですが、シリーズの中には人間が怪獣になってしまう話がいくつかあります。

それをそこまで恐いと感じたことはなかったにも関わらず、ディオは恐かった。

この違いは多分、直接的な人体破壊描写があるかないかの違いだと思うんです。

石仮面などの古典的な恐さと人体破壊の恐さ、二重の恐さがファントムブラッドにはありました。

ディオ・ブランドーの“現実的な怖さ”|サイコパス的支配の構造を読む

ディオ・ブランドー

彼の存在そのものが人間の倫理や常識をあざ笑うような理不尽な恐怖の象徴です。

吸血鬼になった後の数々の行為は恐かった。

 

しかしそれより印象的なのは少年ディオがジョジョ、つまりジョナサン・ジョースターの屋敷に来たばかりの頃ですね。

 

もう本当に悪知恵が働くというか何というか、あの手この手を使ってジョナサンを孤立させて全てを奪おうとするディオ。

 

後の勇気溢れる姿と異なり、やられっぱなしの少年ジョナサンは読んでいて可哀そうになります。

ジョナサン・ジョースターの不遇と理不尽|第一部が“怖い”と感じる理由

この辺の話を読み返しているうちに、ふと気づきました。

 

「いきなりこんな理不尽が始まって終わりが見えないって滅茶苦茶恐いホラーじゃないか!」と。

 

ディオは彼の父親とジョナサンの父親の縁があって屋敷にやってきました。

ジョナサンからしたらそんな親同士の因縁なんて関係ないんですよね。

それにも関わらず酷い目に合わされ続ける……

 

例えるなら殺される理由も無いのにホッケーマスクを被った殺人鬼に追っかけられるようなものです。

自分には何も非がないのに理不尽な目に合う。

この頃のディオは人間でまだ子どもではあるんですが、表立って本性を見せていない分尚更恐い。

 

人間だからやっつけて終わりというわけにもいかないですしね。ジョナサンの立場を自分に重ね合わせたら絶望するしかありません。

逆に吸血鬼になった後の方が、ディオに対して「こいつはやっつけていい存在なんだ」と思えるようになってホッとした部分もありました。

見方を変えれば、人間の頃より恐くなくなったのかもしれません。

根っからの「悪」であるディオ

ディオの残酷さは、単に「悪のカリスマ」という一言では片づけられないものがあります。

彼の中には「悪を行う」ということに対して一片の迷いもありません。

 

例えば、少年時代にジョナサンの愛犬ダニーを焼き殺した場面は、その残虐性と無意味さが強烈な印象を残します。

私たちは通常、「悪役には悪役なりの事情がある」と考えがちですが、ディオにはそれすらも通用しません。

一応酷い家庭環境で育ったことが描写されていますが、彼の中には共感の余地がまったくない空洞のようなものがありました。

そして、それが逆に強烈なリアリティを生んでいます。

本当に恐いもの

ファントムブラッドでは、吸血鬼やゾンビのような怪物たちが次々と登場します。

彼らは人間だったころの姿をとどめてはいても、もはや完全な異形。

 

人間の体を簡単にバラバラにしたり、内臓をえぐり取ったりといった描写は、少年漫画の枠を超えた残酷さを持っています。

しかもそれが、極端に誇張されて描かれるのではなく、妙にリアルで生々しい。

 

しかし、私が行った長崎の荒木飛呂彦原画展の音声解説で荒木先生自身が

「一番恐いのは何代も前の世代の因縁が襲ってくること」

と解説されていました。

 

そのコンセプトは特に第三部が顕著なんですが、ファントムブラッドでも父親からジョナサンへという形で身に覚えのない因縁が伝わっています。

現実の世界でも身に覚えのないことで責められた経験が、誰にも一度はあるのではないでしょうか?

自分に非があって酷い目に遭う場合もありますが、何の前触れもなく詐欺や事故に遭うこともこの世界ではあります。

 

理不尽ですよね・・・ まるでディオのように。

 

物語全体を通して描かれる理不尽な運命。

それこそが怪物たちよりさらに恐ろしい本当の恐怖のように私には感じられます。

ジョジョに宿る“黄金の精神”とは?逆境の中で生まれた正義の原点

『ジョジョの奇妙な冒険』を代表するキーワードが「黄金の精神」です。

第四部で初登場した言葉ですが、それ以前の部も含めて主人公たちをはじめとした正義の人物たちを表す言葉として使われています。

荒木先生自身が様々な場所で語られていますが、ジョジョの奇妙な冒険の登場人物たちはみんな前向きです。

 

普通の物語だと身に覚えのない運命がやってきたら主人公は「何で僕がこんな目に」って悩むと思うんです。

だけどジョジョに関しては気持ちいいくらいそれがない。

 

ディオが吸血鬼になった時にジョナサンがやったことは何か。それは「真正面から戦う」でした。

そう、目の前で怪物となって暴れるディオに対してです。

もちろんここで主人公が逃げたらお話にならないんですが、現実的に考えればこんな状況で逃げても誰も文句は言わない。 

 

むしろ逃げるのが最善の選択ですよね。

 

 

でも逃げない。

 

それは他の部の主人公もそうで、本当に誰一人目の前の状況に「何で俺が」なんて言わない。

 

優しさとか思いやりとか黄金の精神に含まれるものはたくさんあると思います。

でも改めて一部を読み直した時、「理不尽な運命に勇気を出して立ち向かう」というのが黄金の精神の源流なんだと感じました。

 

それを最も感じたのが第一部のラスト。

『ジョジョの奇妙な冒険』が単なるホラー漫画ではないのは、このラストに理由があります。

ジョナサン・ジョースターの「正義」「優しさ」「人を守る覚悟」といった信念が、最終盤で一気に花開くのです。

 

理不尽な悪が勝ちそうな絶望の中で、ジョナサンが自らの命と引き換えにディオを封じ込めようとする姿には、心を揺さぶられます。

これはまさに、後の部で繰り返し語られるキーワード――「黄金の精神」の始まりではないでしょうか。

 

単に「正義が勝つ」ではなく、「絶望の中でも人は信念を貫けるのか?」という問いを投げかけてくるようなラストでした。

終わりに:ファントムブラッドが残したもの

『ジョジョの奇妙な冒険』は、その後スタンド能力の登場でバトルの幅が広がり、より娯楽性の高い作品へと進化していきました。

しかし原点である第一部には、すでに人間の怖さと希望の両方が描かれています。

 

ファントムブラッドが残したもの、それは後の物語全てを貫く大きな芯となりました。

ホラー要素満点のこの作品に、子どもの頃に抱いたトラウマすれすれの恐怖、そして数十年後に感じた静かな感動――。

この物語がなければ、私はここまでジョジョという作品に惹かれ続けることはなかったかもしれません。

 

何よりたまたま私と出会い、ジョジョを紹介してくれた私の友人。

もう何十年と会っていない、今後も恐らく会うことのないであろう彼との出会いが全ての始まりでした。

ジョナサンとディオのように善と悪ではありませんが、奇跡のような縁で出会ったその友人に改めて感謝しています。