こんにちは、管理人の侑芽です。
今回当ブログでご紹介する映画「コンテイジョン」。2011年に公開されたこの映画は、まるで新型コロナウイルスの発生を予言するかのような映画でした。
突如発生した未知のウイルス。瞬く間に感染が拡大し数千万の死者が出る世界。都市の封鎖、なかなか進まないワクチン開発……
映画というのは当たり前ですがフィクションです。しかし徹底した考証の上で作られた本作は、時代が違うはずなのにコロナウイルスに苦しむ世界のドキュメンタリーのようでした。
正直背筋に寒気を感じるくらい驚きました。その驚きを体験するだけでも「コンテイジョン」を観る価値があります。
作品情報
タイトル コンテイジョン 監督 スティーブン・ソダーバーグ 脚本 スコット・Z・バーンズ 公開日 2011年11月12日(日本公開) 配給 ワーナーブラザーズ 制作国 アメリカ 出演者 マリオン・コティヤール、マッド・デイモン、ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ 他
感想
タイトル「コンテイジョン(contagion)」とは「接触感染」のこと。
それを象徴するかのように、映画は冒頭から登場人物が触るクレジットカードや手すりなどが執拗にクローズアップされます。
また、一番最初が咳の音で始まりこの時点でぞっとしました。
新型コロナウイルスが流行りだすまでは気にも留めていなかった咳。それが一転して過剰なまでに気を付けなければならなくなった現代。
咳をすると「ああ、このキャラクターは亡くなるんだ」と思いました。
でも恐いのはその後。咳をして亡くなった人は「明日そうなるかもしれない自分の姿」。それを嫌というほど感じました。
多分というか絶対、コロナの前ならこんなこと思わなかったはずなんです。
でも自分はもう知ってしまっている。この映画の「これから先」に起こることを。その中で今まさに生きている。
これが冒頭数分で感じたことでした。
本作はマッド・デイモン演じる「ミッチ(市井の父親)」、ローレンス・フィッシュバーン演じる「エリス(CDC=疾病予防管理センターの医師)」、ジュード・ロウ演じる「アラン(陰謀論を唱えるブロガー)」の主に3者の視点から展開されます。
そうした複数の人物を通して描かれるのは、未知の状況に対して人間の誰もが「振り回し、振り回され、耐えるしかない」という現実。
ミッチは病気で妻と息子を立て続けに亡くします。しかも、妻に付き添い病院に行っている間に息子も死ぬという残酷な展開。
エリスは街の封鎖前に恋人を逃がそうとしたことを責められ、アランは根拠のない情報を発信し続ける。
色々な人の努力もあってウイルスの研究は少しずつ進んでいくんですけど、抜本的な解決まではなかなか結び付かない。
とにかく目の前の現実を生きるしかないことを思い知らされます。
ウイルスの感染拡大に伴い街が封鎖されていき、食料も配給制になるんですが足りない。
そして起こる暴動。今自分がこうしてキーボードを呑気に叩いていますが、コンビニもスーパーも飯屋も開いていて平和が保たれている。
この状況は凄い奇跡なのだと気づかされました。
映画の考証を務めたイアン・リプキンさんというのは実際の医師だそうですが、専門家の存在の凄さを認識させられます。
なんというか、このイアンさんの考証自体も「聞くべきなのは専門家の意見」というコロナ禍で浮き彫りになった問題を表してるようですね。
作中では最終的にワクチンが完成します。ですが、それが簡単に自分の手元に来ないことも描写されています。
それによって起こる新たな問題。政治的駆け引き。
「ワクチンができました! はいウイルス騒ぎお終い!」
なんてことにはならない。気長に、とにかく気長にウイルスと付き合っていかねばならないことまでが「コンテイジョン」では描かれています。
勿論、映画的な面白さも忘れられてはいません。
作中では「○○日目」と時間の流れが表記されます。これが冒頭では2日目から始まります。
あれ? では1日目は?
これが興味を魅かれる部分。最後にちゃんと謎解きが用意されていますが、こういう構成になっていることで私は本作がドキュメンタリーでなく娯楽作品だと思い楽しむことができました。
それにしても…… コロナウイルスを予言していたわけではないでしょうが凄い映画です。
本当に今の時代に観るべき映画だと思うけど、では何故そう思うのか。
それは「コンテイジョン」を観ることで今何をすべきかをわかりやすく考えることができるからだと思ったから。
かろうじて保たれている「今」は本当に奇跡なので、それを維持するために手洗いや消毒を徹底しないといけない。
もう散々叫ばれていることだけど、荒廃していく世界の様子と自分を結び付けて考えるのってやはり難しい。
人間は身近で問題が起きないとなかなか考えは変わらないから。
だから、真に迫った本作を観て感染を広げない努力の大事さとそれができなかった場合の世界の様子を考えるのは必要なことだと思います。
印象に残ったのがエリスが知り合いの息子に握手の意味を語る場面。
握手は大昔「武器を持っていないこと」を示す行為だった。
それを話した後、知り合いと握手を交わすエリス。握手という「接触」が描かれることで事態が終息に向かっていることが示されています。
一刻も早く、世界が元通りでなくでも気楽に握手を交わせる時代が来て欲しい。
そう願わずにはいられませんでした。
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