はじめに
とても申し訳ないことに、そのメイドさんと出会った時のことを私はよく覚えていないのです。
というのもその頃の私はまだメイドカフェに行き慣れておらず、行くたびにずっと緊張していました。
今なら新しいメイドさんが入ったとなれば「よし! 会いに行こう!」と気合を入れてお店に行くのですが、当時はそのような心の余裕もありませんでした。
今こうして振り返ると、だからこそまるでずっと昔から長い月日を過ごしてきたような、それぐらい「彼女」の存在が私にとって凄く自然で大切なものだったことに気づかされます。
思えば彼女と出会うまでは、メイドカフェで出会うメイドさんはある程度長くお店に勤めていた方が多かった。
ずっと緊張していた私にとってそれは頼りがいのあることでしたが、もしかしたらそのことに敷居の高さを感じていた部分もあったかもしれません。
だけど今お店の雰囲気に慣れ、昔に比べれば随分リラックスして過ごせるようになったのは間違いなく彼女のお陰です。
秋と冬
希望に向けて踏み出したはずの一歩は、自分を苦しめるだけだった。
そのことに悩んでいた季節。それでもお店にいる時だけはそのことを忘れることができました。
そこには彼女がいました。
「〇〇やけん」
聞き心地のいい方言。故郷でも良く聞いていた言葉。
懐かしい気持ちがすると同時に、彼女が口にする様子がとても可愛くて、それだけで嫌なことを全て忘れさせてくれました。
私がお店に行く回数が比較的増えてきたころには、彼女は十分に仕事をこなしていたように思います。
だけどまだまだ新米。だからでしょうね、メイドカフェに慣れず縮こまっている自分と彼女を私は重ねていました。
それ故に、彼女にはとてもリラックスして話しかけることができました。
良い意味で、自分の方がこのお店に先に来ていたという余裕もあったのかもしれません。
あれはクリスマスの時でしたが、天井に飾ってあった風船をおもちゃの剣で割って中のくじを引くという遊びがありました。
そしたら私、一等を引き当てたんです。
「普段の行いがいいからですよ」
その日もモヤモヤした気持ちを引きずってお店に来た私。屈託のない彼女の笑顔と言葉が心に染みます。
「いやあ、普段は人に言えないことばっかりしてますよ」
どうにか絞り出した冗談。それにも微笑んでくれた彼女。
今思うと、こうした何気ないことの一つ一つが大切な時間でした。
クリスマス、イベント…… それ以上に何もない普通の日に会ってかわした会話や一緒に撮ったチェキ。
それらが全て大切な思い出。
好きなお店ではじめて会った新人メイド。それが彼女で良かったと心から思います。
彼女はいつも仕事に一生懸命でした。
それ以上に、メイドの仕事がとても好きだという気持ちがその姿から伝わってきました。
それは、仕事の悩みもあったその時の私にとって眩しい程の輝く姿。
そんな彼女だったから、笑顔も言葉も全てが真っ直ぐでした。まるで船が迷わないよう放たれた灯台の光のように。
その光があったから、その時を生きれた。本当に、今そう思います。
春と夏
日常が壊れる怖さ。映画や漫画で他人事として楽しんできたことが現実に起こった季節。
お店の扉が閉まった時の気持ちは今でも覚えています。
そんな中でも、メイドさんたちはそれぞれが出来ることを精一杯やられていました。
この頃彼女が行っていた配信。それを通して、それまで以上に彼女のことを知りました。
彼女が語る想い出、過去の自分。それを通して感じた、一人の人間としての彼女。
思えば私は世間話はしても、店で働く彼女たちも等身大の人間であると考えたことはあっただろうか。
そんなことを感じさせられました。
そして再び開かれたお店の扉。皆と再会できた時はとても嬉しかったですね。
その頃の彼女たちのうち、誰一人欠けることなく再会できたことが何より嬉しかった。
でも今思うと、この仕事がとても好きな彼女にとってはとても辛かったんじゃないかなと思うんです。
もしもこの時期がなければ、もっとたくさん会うことができたかもしれない……
この時期に色々と感じることがあったためでしょうか。以前は然程書くこともなかった「手紙」を書くようになりました。
ある時に渡した彼女への手紙。とても喜んでくれたことを今でも覚えています。
その様子があまりにも嬉しそうだったから、私まで嬉しくなって幸せでした。
喜びをもらったのは私の方でした。かけがえのない気持ちです。
そして迎えた彼女の生誕イベント。
満席で忙しい中、それでも来たお客さんには必ず話しかけてくれた彼女。
その頃は後輩もでき、頼れる先輩の姿も見せてくれていました。
面倒見の良さはTwitterでも伝わってきて、その様子に癒されることもありました。
気づけば私も、この頃は店のメイドさんほとんどと顔見知りになっていて数カ月ぶりに会っても覚えていて頂けるようになりました。
新人の方が入れば以前ほど緊張せず挨拶できるようにもなっていました。
世の中は相変わらず混乱していましたが、それでも以前のような日々が戻ってきた。そう思っていました。
再び秋 黄金の季節
彼女がいた日々…… それは、メイドカフェに慣れない新米の私が少しずつお店に慣れて成長してきた時間だったと思います。
もしずっと慣れないままだったら?
今でも、あまり外に出ない日々を送っていたかもしれません。
メイドカフェという場所は不思議なもので、絶対にメイドさんと喋らなければならないからか、気づくと知らない人と話すのに以前ほど抵抗の無い自分がいます。
やはり気持ちというのは言葉に出さないと伝わらないなと感じることは多々あって、メイドカフェを離れた場所でも勇気を出して発言して良かったと思った時が何度もありました。
勿論、色々な出来事全てが自分に影響を与えてくれたとは思います。
だけど…… やはりコンカフェの皆さん、新人として入り成長してきた彼女との出会いはとても大きかったのだと今ならわかります。
今年の誕生日は、彼女がいるお店に行きました。そこで出されたケーキ。頂いたお祝いの言葉。笑顔で語り合ったジョーク。楽しかった。
また一つ、大切な思い出ができました。
きっとこれからも人生には色々なことが起こる。
でも、その度にいつも心から楽しそうに過ごしていた彼女の姿を私は思い出すでしょう。
人は心から何かを好きになれる、楽しむことができる、それはやがて周りの人にも伝わって誰かを勇気付ける。
それを感じさせてくれたメイドさん。
「ありがとう」
心より感謝します。
これから、そんな彼女との出会いを多くの人が待っているでしょう。
そのために、彼女がいつも笑顔で言ってくれていた言葉を私から彼女へ伝えたいです。どうか、彼女の未来が希望に溢れたものでありますように。
「行ってらっしゃいませ」
卒業を見送って
終わってみれば全てが本当にあっという間でした。
最後まで楽しい時間をいただき、本当にありがたく思っています。そして、彼女が残してくれたものは後輩の子に受け継がれてずっと残っていくのだろうと感じています。
やがてはその子からまた別の誰かへと……
そういう人間同士の血の通った交流。
それを見ると、自分ももっと頑張らねばと心を掻き立てられます。
彼女たちの物語はまだ始まったばかり。