はじめに
漫画「鬼滅の刃」に登場する鬼の中で上位クラスの集団である十二鬼月。
その中でも最強の位・上弦の壱にいるのが黒死牟(こくしぼう)です。
戦いにおいては他の鬼のように血鬼術は使わず、自身の剣技で戦う鬼。
強さは下弦の鬼は勿論、同じ上弦の鬼である猗窩座(あかざ)や童麿(どうま)を遥かに上回ります。
鬼滅の刃20巻では鬼殺隊の柱たちと黒死牟との戦いの決着、そして黒死牟の過去が描かれました。
人間離れした力を持ちながらも平穏を望む弟に嫉妬する兄。
恐ろしい力で鬼殺隊と読者を絶望に追い込んだ黒死牟の正体は、嫉妬により人生を狂わせてしまった弱い一人の人間でした。
私が黒死牟の過去を知って、ふと頭に思い浮かんだキャラクターがいました。
ウルトラマンシリーズの一つ「ウルトラマンティガ」に登場したイーヴィルティガです。
人間誰でも嫉妬はあります。それで人生を踏み外してしまうことも。
この二人の姿を振り返ることで、嫉妬を越えて生きるためのヒントを考えてみました。
黒死牟 弟への嫉妬
黒死牟の正体は「継国巌勝(つぎくにみちかつ)」。
鬼殺隊の元になった始まりの呼吸の剣士たちの一人です。
巌勝には双子の弟の縁壱(よりいち)がいましたが、その時代双子は不吉とされ縁壱は巌勝と大きく差をつけて育てられました。
この頃巌勝は、母親の左側に常にくっついて歩く弟を弱く可哀そうな存在と考えていました。
ある日巌勝の剣技師範が戯れに縁壱に竹刀を持たせて持ち方と構えを軽く指導したところ、縁壱はまたたくまに師範を打ち倒してしまいます。
巌勝がどれだけ打ち込んでも師範から一本を取れなかったにも関わらず。
縁壱に強さの秘密を聞く巌勝に縁壱は「生き物の体が透けて見える」と語ります。
この時巌勝は理解します。
今まで憐れんでいた弟が自分より遥かに優れた存在であったことを。自分がどれほど努力しても縁壱には絶対に及ばないことを。
その後二人の母親が亡くなった際に、さらに衝撃の事実が巌勝を打ちのめします。
母親は何年も前から「左半身」が不自由になっていました。
母に甘えくっついているように見えた縁壱は、実は母の不自由な左側を支えていたのです。
下に見ていたはずの弟が自分を上回る力を持ち、自分が気づきもしなかった母の真実を理解し支えていた。
あまりにも大きな縁壱と自分との差を知った巌勝は激しく嫉妬します。
その後紆余曲折を経て鬼狩りとなる二人でしたが、巌勝が鬼狩りになったのは人を守るためではなく縁壱の強さを自分のものにするためです。
修行に励む巌勝。
しかし、まったく縁壱に追いつくことはできず嫉妬は鎮まるどころか益々大きくなるばかりでした。
太陽の陽の光のように眩い縁壱に対し、巌勝はまるで闇の中に孤独に光る月のようです。
そして鬼舞辻無惨の誘いを受けた巌勝は更なる強さを手に入れるため「黒死牟」となってしまうのでした。
イーヴィルティガ 光への嫉妬
1996年放送の「ウルトラマンティガ」。
イーヴィルティガは第44話「影を継ぐ者」に登場します。
近年ではウルトラマンの偽物ではない「悪のウルトラマン」という立ち位置のキャラクターが多くいますが、その先駆けとなったキャラクターです。
その正体は青年科学者「マサキ・ケイゴ」が超古代人の残したウルトラマンの石像と一体化したものです。
「ウルトラマンティガ」におけるウルトラマンとは、超古代人の遺伝子を持つ者がウルトラマンの石像と一体化して誕生する存在です。
ティガに変身する主人公・ダイゴ隊員と同様にマサキも超古代人の遺伝子を持っていました。
マサキは心身ともに優れたエリートですが、自分こそがウルトラマンの力を使って人類を導く存在にふさわしいと考える傲慢な人物です。
ダイゴ隊員からティガに変身するためのアイテムを奪うのですが、自分とダイゴ隊員との能力の差を見せつけるようなマサキの態度からは嫉妬を感じます。
「なぜ弱いお前が選ばれて、優れた俺が選ばれないのか」と。
ティガの作中ではウルトラマンが「光」に例えられますが、マサキは光を手にしたダイゴ隊員に嫉妬しています。
その姿はまるで光に照らされた影のようです。
そしてついに石像と一体化するマサキ。
しかし、しだいにその力をコントロールできなくなり暴走。闇の巨人イーヴィルティガとなってしまいます。
ですが、最後はティガとの一騎打ちに破れ人間の姿に戻り拘束されてしまいました。
その後マサキは改心したのか、終盤で再登場し怪獣に破れ力を失ったティガの復活ミッションに力を貸すのでした。
二人から学ぶべきこと
鬼滅の刃の中で継国縁壱という人物は桁違いの能力の持ち主です。
だから、そんな人物が身内にいると考えれば巌勝が嫉妬する気持ちもわかります。
また、マサキ・ケイゴは優れたポテンシャルを持つと同時に物凄い努力家です。
石像を自力で探し出し、一体化するシステムまで自分で開発しています。
また、怪獣や宇宙人と戦う部隊のメンバーであるダイゴ隊員を、素人であるにも関わらず肉弾戦で叩きのめすほどのトレーニングを積んでいます。
そこだけを見ればウルトラマンに相応しい人物のように思えるし、自分がマサキなら「何故ウルトラマンが俺じゃないんだ」と考えます。
巌勝もマサキも努力の人です。
努力は認められ、賞賛されるべきなのに何故二人とも道を誤ってしまったのでしょうか?
それは嫉妬心が原因で努力の目的を間違えてしまったからです。
巌勝が努力したのはただひたすらに縁壱を超えるためでした。
マサキが努力したのはただひたすらにウルトラマンの力を手に入れるためでした。
二人とも自分以外の何かになろうとした。
だから巨大な力の誘惑に心が負けてしまったのです。
もしも巌勝が自分は縁壱とは違う人間で同じにはなれないと気づいていたら、もしもマサキが自分はダイゴ隊員にはなれないと気づいていたら。
マサキはまだ救いのあるラストですが、黒死牟は悲しみと後悔に満ちた最期を迎えました。
「あの人を超えたい」「あの人にできないことをしたい」。
そう思うことは多々あります。自分と同じことをしている人だったり、状況が近い人を知っているなら尚更です。
だけど、どんなに努力しても「私」は「あの人」にはなれないのです。
だって、そもそも違う人間なのだから。
巌勝は縁壱と同じではなく自分だけの強さを目的に。
マサキはウルトラマンになることではなく自分にしかできないことを目的に。
ティガの最終話では世界中の子どもたちがティガに宿って文字通りウルトラマンになります。
でも、石像化したティガを救うために奮戦している瞬間マサキもまたウルトラマンだったと感じます。
もし誰かへの嫉妬に心が潰れそうになったら、自分は自分なのだと考える。
それは自分の醜い部分や弱い部分を認めることで、勇気がいるかもしれない。
だけど、道を踏み外さない本当の強さとはそうした心持ちの中で生まれてくるものだと二人のキャラクターを見ると考えるのです。
黒死牟は最後の最後まで縁壱になることを捨てられませんでした。
その無念は、誰かへの嫉妬からその人に拘り続けたならば私たちの誰にでも起こりえることなのです。
勿論、諦めきれないことがあるから人間は生きていける面もあるでしょう。
でもそれを成し遂げるのが本当に自分の幸せなのか?
絶えず自分に問うことも必要です。
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